やっぱりLiveが好き

目の前の空間を味わうのが好きな人の記録🍀

「坂東玉三郎 特別舞踊公演①」5/18,19 八千代座

〈口上〉

前回来た時とは違い、一階桝席はすべてひとつの枠に横並びで四席に変わっていて、二階まで満席の八千代座。

幕が開き、玉さまのお姿がみえると、「ヒャーッ!!」みたいな歓声と、熱烈な拍手が送られます✨二日間とも、こんなに凄い反応は初めてだったような気がします。

そして口上のはじまり。即日完売で連日たくさんのお客様に来ていただいたことへの感謝を述べられていました。前の口上でお聞きしたお話と重複もあるけど、それもそのままに、メモな感じで書きとめ。細かいところちょっと違うかも💦

 

・八千代座に来たことの経緯 

このお話は初日からずっとされてきたようですが、特に18日はその当時の描写を昨日のことのように話されててほんとに光景が浮かぶようでした。八千代座の写真が届いて、それを開いたのは新幹線に乗っている時だったと。この時の様子をなぜかハッキリ覚えていて、その写真を見たときに心惹かれるものがあり、その年の7月に下見に訪れれ、そして11月に舞踊公演を二日間開催することに。11月は公演予定がなかったか、お休みにしてたかちょっとうろ覚えだけど、そういった理由でその時期に始めたのだそう。

玉さまが八千代座公演を始める数年前から、澤村藤十郎さんは金丸座で公演を始め、何度も出演のお誘いはいただいていたけれど当時は出演することはなし(澤村藤十郎さんは玉さまのことを「伸ちゃん」と呼びながらお誘いを受けていた言葉を玉さまが再現)。このお話、他の時に聞いた時は、たしかなんとなくお引き受けしなかったと仰ってた気がします😂

玉さまは八千代座で公演を始めたので、同じそういった木造の芝居小屋で公演することができてよかった、と。金丸座へはその後、ご出演されたとのことでした。

 

一回目の公演のこと 

千穐楽の日に特に細かくお話されてたのが、最初の公演についてのこと。初演時のお話だったかはちょっと確信がないけど💦実行委員が立ち上がり、当時玉さまと年齢が同じくらいだったり少し上だったり、10こくらい?下だったり(笑)、近い世代の人達だったのでやりやすかったそうです。チケット販売を受付することさえしたことのなかったその方達が、10台電話を揃えて受け付けたものの、実際は見れる数の8倍~10倍(数字あやふや)の人たちが申し込もうとしてたらしく、ほんとに大変だったそう。

一回目の公演が終わって熊本空港から帰る時、飛行機に乗る前に並んでいた際、「別れ」の言葉は普段から言うことはなく「じゃあね」「またね」と挨拶することが多い玉さまは、この時なぜか「またね」という言葉が出たそう。真面目な実行委員のひとたちは「またね、ってことは来年も…」と受け止めて(笑)そのひとことにより30年も続いてたとのこと。最初から続けようと思っていたら逆にできなかったかもしれない、とも仰ってました。…八千代座に惹かれて来られたことも、発したこの一言も、偶然てことはひとつもないんだなぁと、導かれるままにすべてが流れていっている、そんな感じがします。

 

・八千代座について、改善と大改修

木造の八千代座に地方さんが入り音を出すと、劇場と楽器が、草木など自然のもの同士で作られているからか、コンクリートの劇場とは違ったよい響き方をする、と。幕が上がって、実際にお客様が入った八千代座の素晴らしさについてもお話されてました。

「ふるあめりかに袖はぬらさじ」を上演したときは、客席が舞台上の『岩亀楼』と続いている(まるで客席まで岩亀楼)ような感じがしたそうです。…実際に味わってみたいなぁ😂猛烈に思います。あの雰囲気や空気感をそのまま表せる劇場、芝居小屋はなかなかないし、その中で観ることができたらどんなに嬉しいかなぁと。叶ったらいいなぁとここに書いておきます‼️

 

玉さまがふと口にしたこと、例えば「八千代座前が舗装されたら…」すると翌年はそれが直っていて、自分が発した一言を全部ひろってくれて、そうしてどんどん良くなってきたと。

あと昔はトイレもそんなに整備されてなかったのでお客様のお召し物(お着物)が大変でご迷惑おかけしたと。…ご自身で実際の場所を見てそう、想像されたのか、観客の声が届いたのかなんですかね。

八千代座は他の劇場とは違い、個人同士(市民)が協力してやってきたからできたことが多く、その上で市や行政?等に働きかけて、それらの行動が文化財として指定されるまで至った、と。大改修の時には、文化財として表にみえるところはすべてそのままに、耐震構造にして、今皆様の上からおりてくる風、冷房をいれたり。あと、「舞台の上からお客様の正座がお辛そうにみえたので椅子の導入もした」と。…私も座布団席だった時にもぞもぞしてたことは何度かあるので(笑)そういう姿を玉さまは目にされていてそう思って椅子をつけてくださってたとは!そして今回初めて椅子のついている席だったんですが、下に少し足をいれるスペースもあるので正座より断然楽でした😂

開演前に「正座のほうが楽なのに」と話す言葉も聞こえてきましたけど💦椅子だと足を前に出すだけでなくて、その椅子の下、内側に爪先をいれたり、自由に動かせるので多くの人にとっては今の方がありがたいものになってるだろうと思います。

 

・蛍の話

18日の日に、昨日から蛍が見え始めた、とお話されていて、「蛍と待ち合わせしてるわけではないんですが…(笑)7時45分から出てきて、9時半には退場しますので(笑)」と、正確な蛍出没時間を教えてもらいました😂

19日の日には、確か平成五年に見に行った時、あたり一面に蛍がいて、その光景は忘れられないものだったそう。またそういう場面を見てみたいもののなかなかかなわず、そこまで蛍が出現したのはその一回だったそうです。

あと、ふるあめりか初演の時だったかうろ覚えなんですが、その時は一匹飛んでいるのが見えたと思って、水のなかを見たら下流?まで蛍の光でいっぱいだったというお話も。

そんなふうに見れる時と見れない時があるからか、地元の方達が「蛍調査隊」のように(笑)蛍の出るところを調べてくれていたと。辺り一面の蛍に、ぜひ出会ってほしい、のように観客の私たちにもすすめてくださってました。

 

・衣装のこと

去年の1月の松竹座が、お正月らしさが全くなかったので口上で衣装をお見せすることを思い付き、そこから各座で要望の声があったためにずっと続けてきたものの、今年二月(か一月)でもう新しくお見せできる衣装がなくなってしまったので、同じものになりますが…と吉田屋の最初の衣装、赤の鳳凰と、紫の孔雀、黒の鷺の衣装を披露していただけました。

江戸歌舞伎の衣装」という大きな図鑑があり、地の色が見えないくらい刺繍が施されたものなど、今では作ることができないものがたくさん載っているそう。それを元に、たしか作った衣装が赤の鳳凰かと(違うかも💦)。刺繍はたいてい何人かでするものだけど、そうすると縫い方に違いがでるので、この打掛は京都の方が一人でします、と言ってくださって一年かけて作られたそう。この時だったか、「紫の鳳凰も作ろうかしら」とぼそっと一言仰ってたのが妙に気になったし、客席の一部が沸き立っていたような(笑)

また、衣装を見せてくださる時に、袖口をぴんと張って背中一面を見せるようなお姿、それは見せるため、ではなくて、打掛を合わせる(下に着ているものにあわせるのか身体に合わせるのか?そういう感じかと)ためのものなのだとか。上手下手中央で見せて下さるとき、最初とその後では少し角度や見せ方も違ったのは、衣装に合わせてなのかわかりませんが、玉さまの雰囲気の違いを感じた気がします。

黒の衣装は「枯れ柳に雪もちの~」みたいに仰ってて素敵なんですが覚えることができなかったものの💦今年の一月に拝見したときには時間が足りずまだ雪の量が少ないままで、たしかその千穐楽には完成したものを拝見できた気がします。雪の降らせ方が圧倒的で、鷺の美しさもそのままに、ほんとに素敵な打掛で目を奪われました。紫の孔雀は、羽の部分、その中の目のようにみえるところ等も立体感と鮮やかさで美しく、赤の鳳凰も拝見するのは何度目かだと思いますけど、見るたびに刺繍の厚み、細かさ、多さに驚きます。

衣装披露の時は、上手の後ろの方、下手以外からはなかなか見えない屏風に隠れた位置でお筝を演奏してらっしゃいましたが、やっぱりあの美しい音色がこの時間をさらに雰囲気を作り出してくれて、玉さまの衣装披露には欠かせないなぁと思います。

最近は玉雪さん功一さん、たまに玉朗さん、と玉さまのお弟子さんたちがお着替えのお手伝いをされてましたが、今回は新派の河合雪之丞さんのお弟子さん、誠三郎さんと穂積さんが参加で、この後の黒髪への支度にも出てらっしゃったようです。

玉雪さんが、玉さまが衣装を着やすいように後ろから袖を通しやすいような準備をして、着終えたものを功一さんが持ち帰り、雪之丞さんのお弟子さんが前から直す、ということをされてて、二日目の最後だったか、なぜか雪之丞さんのお弟子さんが玉さまになにかを言われているのか、しばらく玉さまの前にいらしたのがなんだったのか気になります(笑)衣装を着るときにみてるのって、バランスとか綺麗にきれているかとか、そういうところなんでしょうか。細そうなお弟子さん達のお仕事が目に見えるところで食い入るように見てしまう場面でした。

 

・区切りとしての今回の公演

今まで続けて来られてきた公演としては今回でおわりということ。始まりがあればおわりがあるからこそ、次の一回がまた有意義な一期一会になる、そのようなことをお話しされていたと思います。

「『今までは責任のある公演を行ってきましたが、これからは、責任のない(笑)公演でこちらに来たい』ということを連日口上でお話してきまして、(はじまる前に)桝席に座りながら『責任のない公演てなんだろう…』と考えていたんですが(笑)」と仰って(笑)、「衣装をおみせするだけ、とか(笑)」←衣装だったかちょっと忘れてしまいましたけど、そんな感じに責任のない公演のことを例えてらっしゃいました。公演時間でないときに客席に座ることがよくあるそうです。

また、こうして舞台の真ん中に立たせてもらっているのは自分だけだけれど、衣装さん、鬘を用意してくださるかた、他いろんな方のことをあげられて、そのかたたちすべてのおかげでなりたつということ、また公演には良い音楽が必須であるという言葉にすごく力を感じたのが印象的でした。

そういったお話からも、八千代座で公演をすることはこれからもあるだろうけども、他の方たちもどんどんこちらに来て公演をしてほしい、皆さん(観客の)も来ていただきたいといったこと、田中傳左衛門さん達も、八千代座にて公演を続けること(演奏しに来ることだったか)望んでらっしゃるので、とも お話しされてました。

 

口上が終わる少し前に、この後薄暗い中で次の準備をして、そのまま次の演目「黒髪」が始まることをお伝えくださり、今回の「黒髪」は桜姫東文章の桜姫で、ということでした。

最後の挨拶「ずいっと」とおっしゃるとき、とても軽やかで、今回の公演を象徴してるようにも感じました。