やっぱりLiveが好き

目の前の空間を味わうのが好きな人の記録🍀

「坂東玉三郎 下関特別公演」6/28 下関市民会館 ①

一昨年の公演ぶりの下関公演!!!当日は関東の方に台風が来るかもとかなんとかで
出発に影響するのかなあと一瞬思ったけれど、まあでも行かれるに決まってる!(笑)と思いとくに台風の気配も何も感じないまま行ってきました。
下関に着くまでも、電車が運休のところも一部あるような情報もあったけど、実際はそんなこともなく無事に到着。

下関といえば、会場前に幟があったはず!!と思い見てみるとやはり!!!「坂東玉三郎丈江」の幟があったよ!!!曇の間から太陽も差し込んで、暑いくらい。
中に入ると、最近の他の会場同様、無料の見開き冊子(3ページ分も!)が配られていて、玉さまのご挨拶、今回の演目解説、玉さまに下関公演を依頼した最初のきっかけ、玉さまが口上で仰っていたけれど今回の公演のきっかけ、それらが書かれていて、これに写真がプラスされていたら販売されていてもおかしくない内容。さすがに三ページともなると企業が賛同してくれているみたいで、それでも有難い。
一昨年のようなポスター販売はなかったようだけど、実行委員(恐らく)の人達もあたたかな対応で、駅からこちらに来るまで、中に入ってこれらを見て感じて、一度行っただけの場所でもそれらの風景すべてを覚えていて、「帰って来れたなぁ」って懐かしさも感じた。

今回一桁台後半、中央ブロックの端という席だったんだけど、座ってみると、床に傾斜がついていない全くのフラット、席が前後列でずれた配置にされているわけでもないので、舞台が見づらいかもという予感。始まったら的中だった。二年前は気づかなかったのかなぁ。今回地唄舞で、私は出来るだけ集中して観たいものなのに、前の人の頭を避けてかつ後ろに横に迷惑にならないようにと思いつつ見えるポイントを探すのにその一瞬(×何度何度も)を使ってしまうのがもったいなかった。少しの見えづらさは他の会場でもあるけど、ここまでだったのは最近ではなくて、ホールもリニューアル済みだから動かせないんだろうけど、見える為の工夫があったらなあ、この労力全部玉さまを観ることに使いたいのに、って思ってしまった。実行委員の方の熱意や会場スタッフの方達の対応の良さを感じているだけに、この一点だけはもったいないし、どうにかなったら、というのが今回唯一の心残りでした。が!ほかはすべて素晴らしかったんです!

玉さまの口上から始まり。

<口上>
能楽堂とは違い、幕があるので拍子木の音から始まり。幕が上がり、お辞儀をされた玉さまがいらっしゃる。
冊子を読むと何かの記念公演として玉さまの公演が行われていることがほとんどで、今回も下関市になる前の「赤間関市市制施行百三十年記念として」の公演と玉さまも仰っていて、いろんな記念の時に玉さま呼ばれてらっしゃるんだなぁ。
「下関と言えば歌舞伎でもご縁が深く」とお話されて、阿古屋の壇之浦合戦と(阿古屋は下関でも上演済み)あと義経千本桜の渡海屋、大物浦のことを挙げられていた。
下関へは今回で六回目の公演(うち一回は鏡花作品等の読み語り)・・・この六作品全部のポスターがロビーに貼られていて嬉しかったなぁ。思わず写真を撮った。
「十四年前に初めて来させていただき、今年で計六回、二年に一度のペースで公演をさせていただいて・・・今回も実行委員の方達が色々設えてくださって」と、実行委員の方のことにも触れてらしたけど、冊子の実行委員の方の言葉を読むと、やっぱり玉さまに来てくださる為に実行委員を立ち上げて色々尽力されてきたんじゃないかなぁという感じがした。
「こうして満員のお客様に来てくださることは役者冥利につきること」のようなことも仰っていてこの日の客席も見渡してくださった。
「数日前から、台風が来るとの情報が出ていて、この遠くにお客様が足を運んでくださり、おしゃれをして正装をしたりして来てくださるのに・・・」という心配をされていたとのこと。まったく正装ではなくてすいません💦と思ったりしたけれど(笑)
で、「おとといの夜からこちらに入りまして、実行委員の方が『もし台風だったら幟をしまわなくてはならないので、今のうちに見ておいてほしい』と言われまして」客席「(笑)」…せっかくだから玉さまに見てほしかったんですね(笑)実行委員の人も気が気でない上に幟まで出せなかったらがっかりだもんなぁ(笑)でも見れてよかった!
「宿泊所からはお稲荷さんが見えるんですが、そのお稲荷さんにそのことをお願いしていましたら、昨日から晴れまして(笑)、今日来る前にさっそくお礼を言ってまいりました」ということを仰ってた!色々ポイントがあり過ぎて(笑)「宿泊所」はい、ホテルでも旅館でもなく「宿泊所」にちょっときゅんきゅんするんですが!!どういう意味でか、意味はなくてそう仰ったのかさっぱりわからないけどこの言葉の選び方が好きでした(笑)
こうして来る観客のことをこんな風に思って下さるのはなんて嬉しいことなんだろうと思う。で、「私たちは劇場に入れば自分たちのことを一生懸命やるだけ」ということも仰っていて、心配しながらもこの場を創り待っていてくださったんだなあと思う。

そして地唄舞について
「今回舞わせていただきます『地唄舞』はもともと関西方面、上方のものでしたが、江戸の役者が踊るのはおかしいのではないかと思われるかもしれませんが…」というはなしから上方舞を広められた竹原はんさんのお話へ。「竹原はん先生は50才から舞踊家になられた方なんですが、はん先生が歌舞伎座で踊られることになると即日売り切れになりまして…竹原はん先生の妹さん、はなちゃんという方がいらして、妹といっても本当の妹ではく周りのいろんなことをしてくださっていた方なんですが、そのはなちゃんに『どこでもいいので紛れ込ませてほしい』と一枚だけ取っていただきまして観ておりました。はん先生への憧れの思いもあり…」と、そのときの様子を語る玉さまが、越路さんのお話をされた時同様、純粋さの塊のような、気持ちの透明さとまっすぐさでキラキラ光っていて、ただとても好きだった、その思いが物凄く伝わってくる。
だから、その憧れの地唄舞をこうして舞われていて、それを見せていただいている。玉さまの好きが脈々と続くものを、今玉さまを通じてこうして私達が受け取っているって、何だか凄く特別なものを受け取っている感じがする。
「挿し絵がまわっていると思っていただければ」「歌舞伎舞として見ていただければ」と仰っていたけれど最後の鐘ヶ岬は道成寺からきているだけに「振りはそのまま」だそう。

口上の時の拵えについても「口上ですと(通常)裃ですが、数年前から解説もさせていただいたときから、江戸の女方の普段着を着させていただいていて」と仰っていて、八千代座の映像舞踊公演以外では初めてこのことについてお話しされてた気がする。

「舞踊公演に来てほしい」という声が全国からあるそう。でもそういったことについては何をどうするとかを仰るのではなく、「精一杯勤めさせていただきます」というような言葉にされていたと思う。

( ゚д゚)ハッ! あと、「由縁の月」のイントネーションが、「ゆかり」の「か」を高くするんじゃなくて「ゆ」においてらしたのがワタシの中では印象強くて、帰りの新幹線の中で何回も「ゆかりの、ゆか、ゆか、ゆかりの…」と同じように言う練習をしていた(笑)なんのため!!わからないけど、玉さまと同じように言いたかったのです(笑)それが「正解」…正解というものがあるのかもよくわからないけど、もしかしたらそのイントネーションで「ゆかりのつき」ということが本当なのかなぁと思ったのでした。


その②へ続く。