一、口上ー衣装の解説ー
お久しぶりのブログ更新です💦その間も観に行ってましたが今から振り返ってかけるだろうか😅書けたら書きます(笑)
能楽堂は一年ぶりくらい?前回茶庭のもみじが紅葉してたので、(今年はこれから)去年よりは早い時期に開催されました。
能楽堂といえば橋懸かりから登場される玉さまを見つめながら舞台への出入りを見守るの特別な空間と時間。暗がりの中ほんのり灯る中から登場されました。
江戸の女方の拵えの玉さま。正面と脇正面にお辞儀をされ、やりづらいので(もっと丁寧な言葉だったと思います💦)向きを変えておっしゃった後に、正面と脇正面の間に向きを代えてお辞儀。ちょうどこの延長線上の席だったので最後にこちらを向いてくださるのが嬉しい♪
こちらの能楽堂とのご縁の始まりやその後も度々訪れ出演されたこと、やっと今年になって色々解禁されたので、玉三郎さんのお泊まりになっている熱海のホテルも満席とのこと。…満室でなく、満「席」とおっしゃるところ(うっかりな感じがしましたが(笑))が舞台で生きてらっしゃる玉三郎さんらしい😁
そして、こちらの能楽堂に最初に出演されたときに共演した「梅津貴昶(たかあき)」さんという熱海出身の舞踊家の方。その梅津さんがこの8月に他界されたとのこと。本名が一馬さんだったので「かずまちゃん」と呼んでいたそう。『楊貴妃』や地唄舞の振り付けをしてくださったいた、と。自分は振り付けをつけることはできないが、たくさんの曲を振り付けしてもらった、ということをお話くださいました。
また、玉三郎さんの写真集を過去に出してらっしゃる福田尚武さんがつい先月、10月にお亡くなりになったことを御園座公演後に知ったとのこと。10月頭までは、次の写真集の打ち合わせをしていたが、そのようなことになってしまったそうで。ですが写真集は今後出版されるとのこと。
その福田さんに追悼の意味を込めて、過去のエピソードをお話くださいました。
福田さんは歌舞伎の写真を撮っていたところ、玉三郎さんの写真、舞台写真も撮ることになったそう。最初はよかったものの(玉三郎さんご本人にOKがもらえる写真)、あるときからすべてNGになって使える写真がなくなってしまったとのこと。「絶交していたわけではないんですが…(笑)」と仰ってましたがそこまで写真が採用されないとなったとき、玉三郎さんは福田さんに「一体どういう風に(どんな瞬間を)撮っているのか」というようなことをたずねたそう。福田さんからは「歌舞伎の正しい形である瞬間、美しく見える瞬間」というような答えが返ってきたそう。それを聞いて「歌舞伎の正しい形って⁉️」と、キマっている瞬間のことだろうけど「歌舞伎の正しい形」は玉三郎さんにもわからないし、そこを問い詰めても福田さんからこれという答えは返ってこなかったそうで。なので玉三郎さんは「正しい形でなく美しくなくてもいいから(お客様に見せられる程度には美しく)好きなように撮ってみて」と伝えたそう。
すると福田さんの撮る写真すべてがOKになるほどになったそう。ここだという瞬間が見つかったらそこをあらゆる角度から撮るのだそう。その辺のエピソードが福田さんもお話しされています
→ほぼ日の学校「Hayano歌舞伎ゼミ」 - ほぼ日刊イトイ新聞
明日への言葉: 福田尚武(舞台写真家) ・“心の眼”で撮る歌舞伎役者
福田さんとはとても気が合ったそうです。
福田さんは玉三郎さんのり6つ年上、梅津さんは2つ年上だったそうで、この年齢になるとこうした別れも増えてくる、と寂しさを感じてらっしゃることも伝わってきましたが、素晴らしい方たちとの思い出を共有してくださってありがたいなと感じました。
衣装解説と阿古屋三曲へつづきます