やっぱりLiveが好き

目の前の空間を味わうのが好きな人の記録🍀

「開館40周年記念 人間国宝スペシャルトーク②」 4/29 MOA美術館

の続きです。

ここから先は時系列もバラバラだと思います💦記憶が消えないうちにメモします。

〈教わるということ〉

土屋さんから玉三郎さんへの質問。

「どのように先輩方から教わってきたか」ということについて。昔は通りがかる(劇場内の)すべての人達があれこれ教えてくれたそう。国立劇場は洗面所がひとつしかなかったから、トイレは個室に入りなさい、と言われていて、とある方(お名前忘れてしまった💦)は玉さまが個室から出ようとすると「今日は(まゆげ)いいね」次の日は「ちょっと短い」とか、ほんとに会うたびにみーんなが教えながら通っていったと。

五代目歌右衛門さんが亡くなっても、ついてらした方(こちらもお名前忘れました💧)がいらっしゃるから、「六代目はこうだけど、五代目はこうだったよ、あんた(の場合)はこっちね」とか、 全部わかっているから五代目ご本人がいらっしゃらなくとも、すべて(それ以降の者に)伝わっていたと。

なので、今の教える時間、一緒の時間を作らなければならないのとは全く違っていた、ということでした。

 

玉さまはお義父様の勘弥さんと一緒に過ごす間、お世話みたいなことをずっとしていて(と笑いながら仰るw)勘弥さんがお酒を飲んでいてお猪口を下に置こうとしたとき、まだ飲み干してないのに次をいれようとすると、それは違う、飲み干してちょうどお猪口を置く時につぐんだ、ということや、

何かがあっても何もなかったようにして整えておくことが女方としてのつとめであり、そういったことを言われてきた、と。

そして「他人から教われ」とも言われていたそう。

室瀬さんも土屋さんも、師匠や親に教わることは「行儀」のことで、仕事の技術的なことは周りの人達から教わってきたそう。そこで「行儀」に関することだったか、「門送(門まで出て先様が見えなくなるまでお見送りすること)」の話が出ると、

玉さまが20代前半の若い頃、絵の凄い方(💦)のところに、勘弥さんに言われて訪ねたところ、奥様や他の方がお見送りをするのではなく、当時の自分のような若い者にそうしてご本人が対応してくださった、というエピソードをお話しくださいました。

また「一緒に過ごすことでしかわからないことがある」こと、あの「人間同士が直接ふれあうこと(‘実際’に会うこと)が大切」ということに皆さんも共感されていて、玉さまが常日頃から仰っていることが他の方からも語られていていること、、やっぱり大事なことであることを改めて知りました。

 

〈藤沼さんの竹細工の話〉

藤沼さんが扱う『竹』。たけ、の語源?元々の意味は何か、ということをずっと探していて、ようやく見つけたのが『多気』だったそう。(多だったか少し自信がないですか、カタカナ二つと仰ってたのでこれかな?と)多いときには1日で60センチも上に伸びるのだとか。それだけ大地のエネルギー(気)をたくさん(多)吸って上に伸び、タケノコが出る時期にはタケノコ(子供)に栄養をたくさんいかせるために、上につく葉を散らして栄養が下にいくようにする、とのこと。

そして竹はとてもシンプルな構造ゆえに、作り手の心がそのまま現れてしまうそうです。なのでいかに自分の精神、心を整えておくかが大事で気をつけているとのこと。

昔の竹と今の竹は、酸性雨の影響でか、微妙に違ってきてるそう。だから昔と同じような作品を強引に引っ張ろうとしても折れてしまったりするので、今の竹に沿った作品を作らなくてはならない、と。

また漆塗りもご自身でされていて、百回塗らないと、下の地が透けてしまい、急いで厚く塗ると失敗するので、慌てずにつくることが大事だとも仰ってました。

また、漆器に花を生けると、ガラスや他の入れ物よりはるかに花が長持ちすることに気づいたのだそう。これには漆芸家の室瀬さんも驚いてらした様子でした。

 

〈室瀬さんの漆の話〉

漆は、人間でいうならば肌にシャッと傷をつけて、そこに樹液(血)が集まって固まって身を守ろうとする、その固まる前に樹液をいただくのが漆の取り方だそうで、一度固まってしまうと鎖状に強固に固まってどんなに強い溶剤でも溶けないそう。だから、よくお客様に、「酢の物(お酢)を入れても大丈夫か?」と聞かれるがたった3%ほどの酢酸で漆がだめになることはないとのこと。

10年前くらいに登山家の三浦雄一郎さんが8000m級の登山とする際に、「昼は(+)50度、夜は(-)40度となる山で温かいものを器に入れてもすぐに冷たくなる」との相談を受け、それまで使っていたのは傷ついても大丈夫なようにプラスチックだったが、プラスチックはすぐに熱が逃げてしまうのだそう。漆なら熱が逃げない、と室瀬さんがお話すると、雄一郎さんから頼まれ、登山に関わるスタッフ全員分のお椀を作ったと。置く場所がボコボコでも大丈夫なように、とかいろんな工夫をしたそうです。実際、登山で使った時、洗うのは雪を溶かした水。雪と言っても当然砂利も入り器の内側に当たるので傷が出来るが、ただそうなるだけで、器自体は全く大丈夫なのが漆器だそうです。

・・・漆器は熱いものを入れても外側の手で持つ方まで熱くなることはない、と聞いたことがあり、実際そうなので、本当に優れた物なんですねぇ。

 

漆が99.9%乾いていても、残りが乾いていなければだめなのだそうで、本当に繰り返しと根気が必要な作業、と。

また、漆は千年(一万年?)前のものが今も残るので、当時のものと比べても遜色がないように作らなければいけない、とも仰ってました。

 

それにくらべると「千年、一万年前の踊りや演劇は残っていない」と玉さまが仰り、昔の人はそういった知恵に気づいて活かしていたことがやはり凄い、と皆さん思ってらっしゃるとのことでした。

 

〈動物の毛で道具を作るということ〉

漆を塗る際に使う筆<髪の毛のような細いものが掛けるもの>を作る職人さんがもうお一人しかいらっしゃらないそう。

京都の方で、琵琶湖畔にいるネズミの背中の毛だけが適しているのだそうで、都会の地下を走るようなねずみはその部分がすれて全く違うのだと。

そのねずみをとる方もいないので、すべてご自身で用意する必要があり、その毛ももうほとんどとれないとのこと。

代用として三味線で使う猫の毛を使ってるけど、毛が取れなくなれば筆も作れない、筆が創られなければ漆を塗ることが出来ない、そういう現状なのだそうです。

こういった動物の命を使うことに対して、すべて禁止される方向になってきているけど、一概にそうと決めるのではなく、例えば「命絶えたもの」を使わせてもらうことにすれば、土に埋められ終わるのではなく、この先もずっと大事にされ残っていく。そうして活かされる方がいいのではないか?とお話されていました。

これには玉さまも深くうなずかれてましたし、命を大事にすることはそういったことすべて禁止にする・・・なんでもかんでもごっちゃにまぜて短絡的に考えるのではなく、命を大事にしつつ、活かし活かされる道を臨機応変に考えてもいいはずだ、と思います。

 

そのへ続く