やっぱりLiveが好き

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シネマ歌舞伎「吉田屋」

この前の記事に追記と修正↓

始まって、まずはにざ様のインタビューから。どうしてもにこにこなお顔を見ることに集中してしまい、お話を聞くことが断片的なものになってしまう💦
なので覚えてる部分もあれば、曖昧なところもかなりあって、うーん、これはもう一度確かめに行きたい…。

途中から玉さまのインタビュー。歌舞伎座上の階の客席で撮影の映像から。そしてにざ様のインタビューと交互に映され、吉田屋本編へつづく…。
という作りの今回の吉田屋。




にざ様が編集に携わられてることは耳にしてたのでエンドロールで
「編集協力 片岡仁左衛門
を見て、あっ!と思ったのが…

『今回玉さまが編集に関わっていない』
ということ。

最近見るシネマ歌舞伎は、玉さまががっつり編集に関わってらっしゃるものだった。
その作品には、本編の前のインタビューや舞台裏の映像にも細部へのこだわりが感じられた。作品の内容を大事(起点)にしつつ、それと分断しないような、世界観の繋がりを持たせたもの。
インタビューひとつにしても、その役者さんをどこからどのようにして写すのか、照明、作品に関連した何かの登場、音楽、ナレーションの声(今回担当された葛西さんがよくないと言うことではないのだが)ナレーション内容…
スクリーンに写るすべてが、意図をもって選択されたものであり、それを観て聞いて、本編へ心の状態も繋がって行っていたのだと思う。
本編のみならず、すべてで一つの作品。


シネマ歌舞伎「吉田屋」にながれる作った人の一貫したなにか、こだわりが感じられなかったのが、物足りないと思った理由なのかもしれない、と思った。
にざ様は編集協力ということだけど、そこまですべてに関わられているわけではないと思う。臆測なのでわからないけど、たぶんご自身やお父様の写真や映像のことかな、と。

もちろん、玉さまの作り方が全てではないし、今回はインタビュー部分と本編を分ける意図で作ってらっしゃるのかもしれないし、その作り方も有り。
ただ、私の好みは、玉さまのような作品の世界観まるごと作るようなものなんだなぁと思った。

いかに日頃から玉さまが芸術性の高いものを創り、それに触れることができているかということがよくわかった気がする。

決して玉さまだけを称賛したいのではなく、他の人を批判したいのでもないけれど、想いやこだわりのあるものは、目に見える形で作品に現れる、と思った。



でも!!にざ様のインタビュー内容はとてもよかったし貴重だったと思う。仁左衛門襲名の時に大病されたこと、そこでもし神様が、自分が仁左衛門を襲名したほうがよい、ということなら生きられるだろう、そうでなければ、生きられないだろう、と思ったということ。
そこで生きることができたから、もうこれはとにかくやるしかない、というようなことを仰っていた。
その話をされるときに、にざ様の言葉がつまる瞬間があって、さまざまな思いがあったのだということがうかがえた。


玉さまと50年相手役としてやってこれたことに関しても、お二人それぞれの側からのお話もあって、で、やっぱりお二人ともがお互いのことを、結果的に運命的なものだと感じてらっしゃったし、歌舞伎役者として、人として、どうあるか、どれだけ魂を注いでこられたか、が同じような深さに感じられる。


にざ様のお父様の伊左衛門がいかに凄かったかということ、とてもじゃないがそうはなれないと思っていたにざ様が感じていたプレッシャーが大きかったこと。
そこに、玉さまと巡業で吉田屋をやりなさい、とすすめてきた勘弥さん。
そうして演じることになったにざ様が「伊左衛門はこういう家の生まれ、育ちなんだ、それを絶対に忘れるな」とお父様から言われてきて、ご自身がそう見えるためにいかに工夫して演じて来られたかということが、吉田屋本編の細かな動きなどからもわかる。
にざ様にとってはとても重要な演目であったが、玉さまはそういったプレッシャーを感じることはなかったそう。


調べたら、シネマ歌舞伎に使われた時の映像より後にもお二人が吉田屋で共演してらっしゃる。
にざ様パンフレットのインタビューでも「そのあとに演じた方が納得して演じられている」という言葉があった。

これより後の吉田屋を見れてはいないけど、お二人は演じる度にさらにより良くしてらっしゃるはず。年齢が若いときより、そのあとの方がさらにその役の雰囲気を纏ってる、奥底から放つなにかがある、って他の演目を見ていて感じるから。
だから、一番新しいお二人の吉田屋の映像を使ってほしかった、という気持ちもある。


ただ、脇を固める吉田屋の主人喜左衛門夫婦が、我富さん秀太郎さんという配役だったから、この時の映像にしたかったのかなという気もする。
お二人とも別の演目で拝見したことはあるけど、吉田屋では雰囲気、在り方、台詞の言い方やなめらかさ、もうすべてが廓の人そのものだった。

こんなに素晴らしいお二人とにざ様玉さまで吉田屋が観られるのは本当に贅沢だとおもう。
でも今の玉さまのほうがさらに素敵!!ということを知ってるから…それこそ贅沢なジレンマかな(笑)

ということで、色々思うことはあったものの、やっぱりもう一度観たい。