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「開館40周年記念 人間国宝スペシャルトーク①」 4/29 MOA美術館

開催のお知らせを聞いた時から、玉さまと人間国宝お三方の間で、どんな化学反応、お一人のトークショーの時と違うお話になるんだろうと、期待が高まっていたんですが、その予想をはるかに上回るものでした!!!

このトークショーがどういうものだったというと、(MOA美術館より引用)

MOA美術館開館40周年を記念して、坂東玉三郎(歌舞伎役者)/室瀬和美漆芸家)/藤沼昇(竹工芸家)/土屋順紀(染織家)重要無形文化財保持者(人間国宝)によるスペシャトークを開催いたします。

というものでした!

 

〈開催のきっかけ〉

始まる前に館長(確か)から少しお話があり、まず去年の土砂崩れの被災者の方へのお見舞いの言葉と、あとこの日はご招待で、最前列でご覧になられてたようでした。

そして、今回開催にいたったのは、MOA美術館が開館して40周年ということで、玉さまから「何かお手伝いしましょうか?」との申し出があったとのこと。…この時点で会場ちょっと沸く(笑)おそらく玉さまファンが「玉さま、なんて素晴らしく粋なことを仰ってくださったんだ!」というふうに私もテンションか高まったし、他の方もそうだったんだろうと思います(笑)

 

揚幕が上がり、二番目にお出になられた玉さま。橋懸かりの客席に近い方には土屋さんの紋紗が三枚飾られていて、その向こう、奥を通ってこられるので、お着物の隙間から玉様がみえる感じ。

舞台上には席が四つ横に並んでいて、玉様は一番上手側の席。そして衣装は玉さま含め全員がお着物✨玉さまはグレーのような薄くて渋い紫に近いような色だった気がします。

皆さんお座りになられて、玉さまが「…じゃあ(笑)」みたいな感じでマイクをとって、「舞台に出るということをしてるので今日は司会もさせていただきます(笑)」みたいに仰有って、観客もそのようすをニコニコしながら見ているといった和やかな始まりでした。

玉さまは、「こういう形で他の方とお話すことは初めてですけど、皆さんは集まったりされるんですか?」の問いに、漆芸家室瀬和美さんは工芸の方たちのまとめ役?発起人?的なことをされてるらしいですけど、皆で集まるのはそこまで多くはなく、個々でのやりとりはあるのだとか。

 

〈それぞれの世界に足を踏み入れたきっかけ〉

そしてまずはじめに竹細工の工芸家の、藤沼昇さんに

玉さま「(ご自身が今いらっしゃる)その世界に足を踏み入れるきっかけになったことは?」とお尋ねになり、

藤沼さんがお生まれになったのは、第二次世界大戦が終わる二ヶ月前のことで、それから30歳まで有名カメラ会社で働いてらしたそう。戦後にフランスやロシアでは、それぞれの国の人が自国を自慢に思ってること(フランスなら凱旋門だったり、ロシアも地下の建造物だったり、その他のことも)が言葉は通じてなくともわかったと。

それまではカメラマン?をしようとしていたものの、そういうことに直面してから、会社をやめることをきめ、自分の国、日本の文化を知ろうと思ったそう。その時の感じをお話されてる記事があったので少しこちらから引用します。

カメラマンをしていた27歳のとき、ヨーロッパ旅行で立ち寄ったパリで人生が変わった。藤沼氏が語る。シャンゼリゼの石畳に立ったとき、日本も負けていないんじゃないかと思ったんです。よし日本人として何かやってやると。日本文化の勉強から始めました」

そしてカルチャーセンターで色々やってみるなかで選んだのは竹細工。確か「これ」という理由があったのではないけど、竹になった、と仰ってた気がします(ちょっと間違えてるかもですが)

 

そして漆芸家の室瀬さん。「玉三郎さんや藤沼さんは自分の代からですけど、私は父親が(この仕事を)していたので、小さい頃から人間国宝が周りにたくさんいるのが当たり前だったから、40歳くらいまで20年は劣等感でいっぱいだった」そう。「そういう人たちに囲まれていると自分の作品を良しとはとても思えない。」と仰ってたのも凄く印象的で、そういう家に生まれた方のことをなにも知らずに羨ましがることってありがちだと思うんですけど、確かにあまりにも当たり前の基準値が高すぎる環境で育つ苦しさを思うと、ほんとに大変なことなんだと想像できる気がしました。

このお話の時だったか、玉さまが樂吉左衛門さんがご子息に譲ったことをお話しされてました。(それだけ仰ってたか、室瀬さんのお話とリンクしてたか、ちょっと忘れてしまいましたけども💦)

 

次は染織家の土屋順紀さん。土屋さんは以前に地元の岐阜県関市で玉三郎さんとトークショーでお話しされていて、その時、なぜこの道に入ろうと思ったかをお話しされてたんですが、(自分の過去記事にはなかったので(笑))まどろべぇさんの記事 がわかりやすくまとめられているので(とっても読みやすいのでおすすめです)引用させてもらいます😂

土屋氏「当時高校生で、玉三郎さんのことを写真で知っていてこんな方がいるのかと思っていて、

元々染織に興味はあったけれど、志村ふくみさんとのこの対談を読んで、染織家になろうと自分の道を決めたんです。」

 

玉三郎さん「まあ!そうだったんですか!そう伺って何だかすごく胸がいっぱいです」

玉さまが月一で色んな方と対談されていた記事があり、それを読んだことがこの道に入るきっかけとのこと。今日も志村ふくみさんのお話をされてました。(ちょっと内容がうろ覚えで💦)

土屋さんは、「やっぱり(ご自身が選んだものが)『好き』なんですよね」と一言おっしゃると、他のお二方も凄く頷いてらっしゃいました(玉さまもだったような)。

そして玉さまはお答えになる前に、「皆さんに今お聞きしたのは、‘ふっ’とひかれた、そういうことによりその道に入ったと思うので」そのきっかけをたずねようと思ったのだったそう。←ここ、かなりうろ覚えでもしかして全然ちがったらすいません💧

 

そして玉さまは何にひかれたかというと、「色(色彩、色合い)」と「音楽」だったと思う、とのこと。色が音楽にのって動いている、それが(歌舞伎、躍り)だったそう。

その②に続く