やっぱりLiveが好き

目の前の空間を味わうのが好きな人の記録🍀

「坂東玉三郎 特別舞踊公演」7/27 南座

一年ぶりの南座公演。入り口では筋書代わりの三折のフライヤーが配られて、玉三郎さんのご挨拶と各演目についての解説が。日数の少ない舞踊公演だと、筋書ではなくこの形がちょうどいいなぁ、なんて思います😂作ってくださるのは大変だろうなと思うんですが💦

 

〈口上〉

幕が上がると、解説や打掛披露をしていた時の衣装とは違い、久々の裃でのお姿。八千代座とは違い、南座だと少し奥まった位置で、スッキリとシュッとした感じの玉三郎さん(表現が擬音ですけど(笑)💦いつも口上ではそんな風に感じる)

 

連日多くのお客様が来てくださり千穐楽を迎えられたこと、この日もご来場下さったこと…そのことへの感謝を何度もお話しされていました。

この後に演じる演目の解説があり『高尾』は荻江節では演じてきたものの、長唄ではこの南座が初めてなのだそう。そんな貴重な機会を目にすることができるのが嬉しくて楽しみでワクワクしてました♪

その『高尾』は実在した遊女で十一代続いたのだそう。親兄弟のために売られてきて郭勤めの苦しさもありつつ四季の華やかな様子も描かれていて、不幸になった人や、逆に幸せになった人もいたと。

この唄の太夫は罪を犯したわけでもないのに、最後は地獄の責め苦にあうとのこと。『鷺娘』で地獄の責め苦にあうが、その時は火責め。『高尾』では「カラス」に、とは以前から聞いていたものの、どんなものかと思っていたら『目玉をくりぬこうと飛んできたりつつかれたり…』と仰っていて、壮絶なものでした。

またそのカラスを打掛の裏に描いている、とのことでこちらも楽しみでした。

 

『藤娘』は鷺娘より多く演じてきて、特に何、とはっきり書かれたものがあるわけでもないが、『高尾』の「地獄」と『藤娘』の「天国」をお楽しみいただければ、と仰っていて、地獄と天国いったりきたりに笑ってしまい和んだ客席でした😂

〈高尾〉

舞台後方に地方さんが横にならび、その前に桜のときのような木と葉の紗幕が。そして下手には塚(お墓 )があり、唄が始まりしばらくするとその塚から姿を表す高尾太夫。その場所から登場されるとは全く知らず、出てこられたときには驚いたんですが、実際の高尾太夫というより亡霊の、その雰囲気そのものでした。

美しさの裏にある寂しさ、哀しさ、儚さ、どうにもならない辛さ、それらを強く感じました。最初に上から降っていた深い緑の葉には、そこまで思うことはなかったものの、最後の地獄の責め苦になってどんどん舞い散る葉に、襲うカラスの様子が感じられるようになってくるんです。そしてカラスを描いた打掛はどこででてくるのだろう、と思っていたら、最初にお召しになっていた打掛をとちゅうで脱ぎ、それを最後の最後というときに裏返してバッと肩に掛けるとカラスが描かれていて、太夫の表情、佇まい含めて、襲われているようにしか見えない。この時の様子は息をのむというか、本当に圧巻でした。

その場面に入る直前では、髪が乱れたようにご自身で鬘から髪を出していて、「本当に地獄の責め苦なんだ…」と思いましたね。当たり前のこと書いてますけど😂いやー、始まるんだなぁと思ってしまいました。

 

最後は舞台の中央から奈落へと消えて行く太夫。足をクロスしてくるくると回りながら下がっていかれる、私の好きな場面で、嬉しいような気持ちもあるけど、この世のものではない太夫が再び消えていく、感じが鳥肌もので。この世であの世を見ていたことに気づいてハッとする、それほど太夫の世界に引き込まれていました。

 

 

〈藤娘〉

神奈川県民ホールでの『お話と素踊り』の時に、「藤娘を踊るのは、この南座でおわり」というようなお話をされたようですが、(直接聞いたわけではないのでどのような感じでお話されたのとかはわかりません)、私が思うことに過ぎないんですが、どんな演目でも、その時の一期一会だなぁと最近は特に思います。

玉三郎さんだけでなく、自分自身もいつなにがあるなんてわかりませんし、誰でもそうですし。また次があるとか、また観れるとか、そんなことは思わずにその一度を大切に観て感じるということが何より大事なのではないかと。あとは先のことはご本人にさえわからないことがあると思うので。鷺娘にしても、他の演目にしても、もう演じられることはない、そう思っていたものが思いもよらぬ形で再び観ることができる、そんな機会も巡ってきたりする、その奇跡的なことを何度も見せていただいてきたから、というのもあります。

だから「また演じてくださるだろう」などとは思っていないんですが「これで最後だから!」という感傷的な想いや先入観で観るよりも、目の前にあるものを観て体全体で全力で感じる、そのほうがよっぽど今の玉三郎さんの演じるその世界を体験できる、そんな風に思います。

 

松竹座とは舞台上の大道具も違いました。袖にはける、というときは一度もなく、真ん中の大木の影ですべて行われていて、同じ『藤娘』を観ているのにもかかわらず、また新鮮さがあり、観客のことを考えて下さっているのを感じました。

暗転で唄だけが聞こえるとき、この時から出てこられる瞬間が楽しみでワクワクなんです(笑)そして灯りが付く瞬間のまばゆさ!この時の全身から幸せ感が溢れてくる感じがたまらない。玉さまの藤娘に会えた!という喜び。何度味わうことができてもこの感覚はいつも最高な瞬間です。

藤の花を持って踊ってらっしゃるけど、藤が一面に拡がる中で戯れている、その世界が玉三郎さん演じる姿を通して現れていました。口上でも仰っていた「天国」、まさにそれで。

塗り笠を持ってこちらを恥ずかしそうに覗いては引っ込む藤娘。もーーー、あまりにも愛らしくて魅力的で心を鷲掴みにされます(笑)

松竹座では後半を『潮来』で、今回はずっと演じてこられてきた『藤音頭』で。

以前躍りが上手い、といったら失礼かもしれないけど、表現がある方の躍りを手から見ていたらすごくわかりやすかったので、今回玉三郎さんの手の表現を見ていたら、手が柔らかとか表現があるとかそういう次元じゃなくて、そこだけを見ていられないという…そこから藤娘の世界に入ってしまうような、そんな感じがして。玉三郎さんは別世界を作り出す方なんだと思いました💦

松にお酒をあげるところも、ちょいちょい、と呼ぶところも寝そべっているところも、躍りのどの部分も、「やっぱり好きだなぁ!」って思うものばかりで、藤娘が好きとかどうとかというレベルのものではないなぁと、それくらいこちらにも染み込んでいるものだと、今回思いました。

見ていくうちに、今までたくさんの藤娘の世界を玉三郎さんが目の前につくりだしてくださり、感じてきたその世界が自分の中からも溢れてきて、これだけのものが自分の中に残されて確かにあるんだ、ということも今回改めて知りました。

舞台は消えてしまうけど確実に自分のなかに残されたものがあって、こんなにもそれが幸せなことだったんだなと、そのことに気づかせてくれた今回の藤娘でした。

もしかしたら、最初に書いた先入観、それがあってそう思ったのかもしれないけど、今までの藤娘の世界がフっとわいてきた自分の感覚、今回思い出させてくれたことは、今それを思う必要があって出てきてくるたのかもな、と思います。

日が暮れていくのがわかると、藤娘ともお別れだから、寂しさがわいてきます。花道から歩いて帰られる時、そこにいるのはやっぱり藤娘でしかなかった。「玉三郎さんの」じゃないんですよね、藤娘、そのもの。揚幕に消えていくのを見届けると、気持ちのこもる拍手が続きます。

 

 

〈カーテンコール〉

少しすると、揚幕が上がり、玉三郎さんが再び花道を歩いて舞台に向かってきてくださる。舞台に戻られると、スタオベをしていた方に「座ってくださいね」といった柔らかいお願いをジェスチャーでして、(となるだろうと最近の公演を観て思っていたのであえてせずに座ってました☺️気持ちはスタオベ)惜しみ無い拍手が送られます。上手と下手に分かれた地方さんにも拍手を、と玉三郎さんが手を差し出すと、いっそう大きな拍手が送り、関わるいろんな方々に思いを馳せることができる瞬間だと思います。

 

そして幕が下りても拍手はやまず、二度目のカーテンコール。花道からもどられたときか、二度目のカーテンコールで下手からご挨拶されたときか、どちらかだと思うんですが、花道の入り口付近で、上の階、一階奥の方、そして花道の両脇の方々、そして、舞台中央前方付近まで、つまり劇場の全部をくまなく見て私たちの顔を見てくださり、たいてい舞台中央前方付近の私の位置はあまり見てもらえることがなかったんですよ。なのに、今回はしっかりと見ていただけたという確信(笑)にいたるほど感触があって、本当に嬉しかったです。

いただいた感激を拍手でお返しできれば、いつもそう思っているけれど、やっぱり、見てもらえると嬉しいんだなぁ。そんな気持ちがしました。

 

そして3回目のカーテンコール。少し時間があいてから幕が上がります。舞台上に玉三郎さんはいらっしゃらず、下手からご登場。最後も地方さんへの拍手、そして玉三郎さんは客席の全方位を見てくださり幕がおり、終わりました。