やっぱりLiveが好き

目の前の空間を味わうのが好きな人の記録🍀

「坂東玉三郎 初春特別舞踊公演」1/2,3 大阪松竹座 <賤の小田巻・傾城雪吉原>

 ほんの少し追記しました。

一番下の※です。

 

初日二日目のことが遠くなってしまったー!

もう千穐楽が迫ってきている‼️

ということで投稿します💦

 

口上の時に仰ってた二つの演目について。

賤の小田巻は昔からの振りを、

当代の花柳壽輔さんが、今回

改定して下さったもの。

傾城雪吉原はお亡くなりになった壽應さんに

振り付けしていただいたもの。

お二人への、特に壽應さんへのお気持ちを

お話しされてらっしゃいました。

 

傾城雪吉原は、傾城の高尾が

いまはあの世でカラスに攻撃されるという

地獄の責め苦を味わっているものの、

その場面は切り離し、最後は春を待つ、

という風にしたとのこと。

 

…今までにも何度かそのようなことを

聞いたことがあったと思うけど、

カラスからの攻撃‼️

高尾がなぜにそんな目にあうのか…。

 

今の傾城雪吉原でよかったと思います💧

 

 

<賤の小田巻>

幕が開くと、下手→ /    \ ←上手 

↓こちらが客席側で

ハの字の線はこのように皆さんが

並んでらっしゃるという意味💦

下手側には鼓や笛の方達、

上手側には三味線、唄の方達。

その後ろの列にお箏の方達が、

舞台奥の方は幅を狭く、

手前の客席に近いほど間の舞台の幅が

広くなるように、

ずらっと奥行きを感じる並びで

まずそれが圧巻でした。

 

ふわっとした淡い水色の空に

桜の背景、金色?ぽい、

華やかな明るい色のお着物で

舞台奥から玉さまの静御前が登場。

全体的にお能のような衣装、鬘。

赤地に金の扇子。

 

番附で解説を読んでいたものの、

わかるけどいまいちつかめず💦

なぜ「しず」に「賤しい」という字が

使われているのかも不思議で。

こちら↓二つの記事がわかりやすかったです。

 

https://oreno-nihonbuyou.com/shizuno-odamaki/

しずやしず しずのおだまき 繰り返し 昔を今に なすよしもがな。(静御前) - タカちゃんの絵日記

 

ふわー!!!なるほど!(今さら!)

玉さまの静御前の舞の静けさの中に

感じる確固たるなにかというのは、

本当に良くわかりました(遅)


前半は舞台奥で奈落へ下がり、

後半では烏帽子に長袴に刀を差し、

桜色に金の扇子をもってらっしゃる。

白拍子として頼朝の前で舞う、

だからそのお姿。

音楽がどことなくお正月ぽい

(桜の背景なんで違うと思いますが💦)

舞台の奥から手前まで奥行きを使い、

場を静かに制するような舞でした。

最後には静御前が舞台奥の中央へ、

すると毛氈で覆われたセリが上がり、

幕が閉じる。

もっと味わいたいと思います。

次回へ持ち越します(笑) 

 

<傾城雪吉原>

暗転から始まり、雪がキラキラ。

と思うとセリが上がってきて、

傘を差した玉さまの傾城が

こちらに背を向けて静かに現れる時の

幻想感がたまらない…。

 

この時のしんとした空気と雪の煌めき

さらに玉さま傾城のお姿を観た時、

引き込まれてひたすら見入ってしまいます。

こちらの方を向いて歩いてこられた時

見える足元の高下駄。


華やかさの象徴のような物に毎回高揚します

 

ゆっくりと雪をなぞるように足を動かしていく様子が

誰かを待つような、何かもて余してる風にも見えたり、

斜め前方の視線の先、傘を持つそのお姿そのもので

背景や気持ちだけではない、そのもっと奥、魂そのものをこちらも感じているんだろうな、と思う。

 

玉さまはよく「魂」という言葉をお使いになるけど、

自分はそれを「これ」と掴めてるわけでもないから

と思ってその言葉を書いたことはあまりないけど、

毎回感じてる「これ」というのは、やっぱり「魂」なんじゃないか、と思う。

そうとしか言い表せないし、毎回そこに響いて

震えて喜びでいっぱいになっている、と思うんです。

 

傘を少し閉じて回るとき、身体の線がこんなに美しさを作り出せるのかというくらい、

もちろんそれだけじゃないんだけど、描くその線のために下半身をかがめ続けていたりすることが、

見ているよりも実は物凄く大変なことだと思うんだけど、

そのひとつひとつが傾城の美しさや気持ちが滲み出るピースなんだなと思う。

 

( ゚д゚)ハッ!あと、先月の日本振袖始の時も釘付けだったんだけど、

というか毎回釘付けなんだけど、玉さまが踊る時の「手」

しなやかな手の動き、形、全てから醸し出されるもの、

そこに動く空気そのものが信じられないくらい柔らかくて、

この演目だとそれがさらによくわかる気がする。

 

話は傾城雪吉原に戻り、傘を下ろしてトントン、と雪を少し落とした後に

開いた状態の傘を横に持って、くるくる回すときがある。

このときに雪がひらひらと下に落ちてく様子がなんとも綺麗で。

 

その後に口元に打掛の袖を当てて、伏し目がちの時とか、

手紙を読みかなしむ時も、何一つ大げさじゃないのに、

その人の奥の何かを確かに感じられる。

 

背中を向けた状態で高下駄を脱ぎ、玉さま傾城がその傘を置こうとするとき

後見で出てらっしゃる玉雪さんが、寸前に受け取り下に置くんだけども、

玉さまが口上の時、あとこの演目の時の

「ファサっ!」と置く感じより

何倍も静かに置いてらっしゃるのをつい見てしまいます(笑)

打掛はそこまででなくていい、というのがあるんだろうか…わからないです(笑)

 

春の場面。その打掛を脱いで、踊る傾城玉さまの

体、手の動きの間にある空気が柔らかく動いて、

玉さまを見ていると、そこになくとも手の先には枝があり、

目の前に恋人がいて、その視線の先には野山があるのが何故か見えるんですよね。

 

 

あと、一瞬で心と表情がかわるのもよく伝わってきます。

心が喜びに満ちているときも、辛く重さがのしかかっているときも、

大げさなものは何一つないのに、その表情、こころが確実に感じ取れて。

 

夏の暑さや、夕日が差すときの照明、

夜になり灯りがともり奥行きが感じられる花街、

明るいだけではない、その情景を感じられるような照明が

本当に綺麗だといつも思う。

 

最後には再び雪が降り、遠くを見つめる傾城を

見てるとくぅーーっと切なくなるのと、この時間が終わらないでほしい‼️って思いながら幕が閉じます(涙)

 

〈カーテンコール〉         

幕が閉まり、拍手は収まる気配が全然ない!これが素直にできるのが地方公演の良さだー‼️

 

幕が再び上がると、玉さまがお辞儀をして座ってらっしゃいます。

玉さまの表情を見ていても、こちらの気持ちが伝わって、

受け取ってくださってるんだなぁという気がしてました。

       

初日の後のEテレ中継で「カーテンコールもさせていただいたんです。

ですからご来場くださいましたら、精一杯喜んで頂いているということが何か、

胸に迫る思いが致しました。

と仰っていてましたが、やっぱり通じていたとわかると尚更嬉しかったです。

 

また一日目は一度カーテンコールがあり、

玉さまが座ってらっしゃる状態で上手、下手へも

お辞儀をしてくださり、そのあと、後方の演奏や唄の方々に手をかざされ、

大きな拍手があり幕が閉じました。

 

二日目は、幕がしまった時からも皆の気持ちが

いっぱいになっていることも肌で感じてたし、拍手にも現れていました。

この日は一度のカーテンコールでは拍手が全くやまず、

二度目のカーテンコールへ。

 

一度目は初日と同じく玉さまが座った状態でのお辞儀でしたが、

二度目の幕が開くと、玉さまが立ってらして、

上手下手へ、そして後ろの演奏、唄の方達へと手をかざされ、拍手。

一日目めと二日目のカーテンコール一回目には気づかなかった(わからなかった)

けど、二日目二度目のカーテンコールには黒いマスク代わりのものを外していて、

皆様のお顔を拝見できました。

 

田中伝左衛門さんがニッコリ笑ってらしたのがとても印象的で、

友人や自分は、カーテンコールの時に笑顔の伝左衛門さん

今まで見ることがあったかな?と記憶になかったので(もしかしたらあるのかも)

その表情を拝見できてこちらも幸せな気持ちでいっぱいに。

 

玉さまって、同じ演目でも前より今が圧倒的に素晴らしいと感じるんですけど、それは前が良くないってことでは全くなく、常にベストを更新されてるというか。

今回の傾城雪吉原もそうでした。

 

Eテレ中継を見てもわかるように、特に今回の傾城のお姿の玉さまは、

本当に透明感に溢れてらっしゃる。

カーテンコールの時の玉さまは、胸が一杯になってらっしゃるような表情でしたし、

その玉さまを見てまたこちらもぐっとくる、言葉が要らない世界というか。

想いが伝わり合い、通じ合えてるのかなぁ、と思います。