やっぱりLiveが好き

目の前の空間を味わうのが好きな人の記録🍀

「十月大歌舞伎」 10/5 歌舞伎座〈映像×舞踊公演 楊貴妃〉②

楊貴妃

中車さんの方士が蓬来宮を訪れる最初の場面は、映像からの始まり。
方士が楊貴妃のもとにたどり着いたとなったとき、スクリーンの後ろが透け、それが上がると、楊貴妃の居る鳥籠のようなものがあり、玉さまが出てこられる、ということだったとおもう。


視線するどく、斜め下をサッ!と見るところとか、鳥肌が立つような感じ。
ゆったり歩いてらっしゃる時とまた全然違う瞬間。楊貴妃の秘めてるものって何だろうってこういう時に凄く思う。

方士が楊貴妃と踊る、というときは、スクリーンが現れ、目の前の玉さまの楊貴妃は、映像とともにおどる。
映像の中で楊貴妃がひもを受けとる場面では、実際には方士がおらず、ひももないけど、受け取っている、というふうに演じてくださる。

玉さまの楊貴妃の動きを見ていると、物があるとかないとか関係なく、その世界を創りだす、成立させるのは、人物の心がここにあって、目の前にはいない者、物を見る、向ける心があるかどうかなんだな、ということがわかる。
それは他の演目の時でも同様に。


二枚扇を使った舞の鮮やかさ、後ろ姿に黒髪が揺れ、その髪を持つときや、長い袖を上げ、お顔を覗かせる時の何とも言えない艶やかさ、どの時も強烈に引き込まれる。

実際の舞台では方士が舞台袖へ向かう時、客席からは見えにくい位置で玉さまが中車さんに扇を渡してるんだけど、今回は玉さまのまえにスクリーンが下り、映像は流れてるんだけど実際の玉さま楊貴妃も透けて見える、という形。
これより前の場面で後見の玉雪さんが舞台上に現れて扇を渡してらしたので、おそらくこの扇を受けとるということもスクリーンの後ろで玉雪さんがされていたのでは、と思う。玉雪さんは見えなかったけれど。スクリーンを使ったこういう場面が事務的なものでなく、より効果的で幻想的に見えるというのも今回の特徴だった。

必要だから、だけでなくそれ以上に魅力的な場面にすることを心がけてらっしゃるから、単にそれだけではないものを感じるんだと思うし、そういったところも玉さまの凄さだと思う。


今回のスクリーンの使い方は、鷺娘とはまた違った新しい魅力を見せていだいた。舞台に携わるいろんな人の協力もあってだと思うけど、玉さまの演出、創るものは、いつも発想が豊かで、本当に可能性というのは無限なんだなと感じる。


最後の場面。舞台一面にスモークが現れて、その幻想的な雰囲気が、繋がってはいるかもしれないけどお目にかかることができない世界へまた戻られてしまうんだな、という寂しさで胸がつまるようで、玄宗皇帝の気持ちはこんな感じだったのでは、と思うほど。


楊貴妃の存在感、人を惹き付けて離さない不思議な魅力っていうのは、玉さまの演じる他の役とは何か違うと思ってて、
それは楊貴妃がこの世の者ではない、あの世のひとであるというところが凄く大きいのかもしれないけど、ただ亡くなっているからということではなく、何かはわからないから結論はないけど(笑)、今回そんなことを思った。

表面のその奥、心情とか、楊貴妃がどう在るか、そういうことに触れたい!って物凄く思ったし、もっともっと、玉さまの楊貴妃をよく観て感じたいと思った。それくらい魅了された楊貴妃でした!!

〈カーテンコール〉

幕が上がり、舞台中央に立ってらっしゃる。在り方が楊貴妃の役そのまま、ゆっくり一歩一歩前へ歩かれて上手を向いてお辞儀、下手、中央へお辞儀をされて幕が下がる。

二度目のカーテンコール。客席を見る時も歩くときも、あくまで「楊貴妃」の役から離れることない優雅さのまま、上手、そしてその後下手を越えて、花道へ!!!

外花道側の客席に外国人のお客様がいらして、たぶんこの方が玉さまの目に入ったからだと思うんだけど、「あら」みたいに気づかれて、視線と会釈を送っておられた感じがした。
その外国人の方がどのように玉さまの楊貴妃のことを見てらっしゃるのかな、と思って少し注目してたんだけど、笑顔で拍手されていて、伝わってるんだなぁと思ったし、
玉さまがそうして心を向けてらっしゃる様子に、見ているこちらも気持ちが温かくなった。

その後、玉さまが二階三階をご覧になった時に、ひときわ拍手が大きくなるのがわかる。
自分が三階にいる時にもしそのように見ていただけたら、とても嬉しくなるのがわかるし、
すべての人へのお心遣いが、そのように大きな拍手として玉さまに送られているんだなぁと思う。

花道の内側の客席も見てくださり、舞台中央へお戻りになられて、幕がおりました。