やっぱりLiveが好き

目の前の空間を味わうのが好きな人の記録🍀

「坂東玉三郎 初春特別舞踊公演」1/18,19 大阪松竹座 〈口上〉

私が行く前日に観に行った友人から、
「口上の最後に加わったひとつの話が
うっかり泣きそう」と聞いていたので
なんだろうなんだろう?と気になっていて。
そんなドキドキと期待と少しだけこわさ
(一体何のお話なの!というw)を抱えて
行ってきました‼️

松竹座外の玉さまの看板まわりや、
ロビーの天井等のお正月飾り、
二階に飾られていた羽子板もそのままで、
最後まで華やかな気分で出迎えて下さり、
劇場前にいらした方たちもお着物姿の方が
多かったのも嬉しい光景でした。

〈口上〉

お話の内容は、初日二日目と
大きく変わるところはないけれど、
気になったことや前回聞き逃してたこと、
そして!最後にお話しされていたことを。
短い記事になるかなと思いきや、
初日二日目の記事と全く同じことを
書いてるところもあるんで
(単にまた書きたい(笑))
口上のみで長文になっております(笑)


最初に、松竹座とのご縁のお話。
お正月に舞踊公演をなさるのは今年で三回目、
玉さまがおっしゃった開催年(その前は
平成30年、その前も同じような間隔)を
聞いて『…( ゚д゚)ハッ!また三年後くらいに
お正月舞踊公演開催してくださるかも!』と
先のことはわからないけど、個人的な妄想と
望みでニヤッとしてました(笑)

また、松竹座では数々の大役を
つとめさせていただいた劇場である、
とのこと。


去年の秋にこの公演が決まってから、
どうするか考えていたそう。
以前のお正月公演には獅子舞等で(華やかに)
お出迎えをいたしましたが、
今年はそれは難しいので何か華やかなものを、ということで打掛を、となったそうです。

そのお言葉通り、とても華やかな口上と
なった打掛披露。
上手下手の書割が上に上がると、
下手に打掛、上手にお箏の演奏の方。
玉さまは立ちながらの解説。

お箏の演奏の方々の紹介

上手の川瀬露秋社中の方々を玉さまがご紹介。
箏、三味線、胡弓の三曲手ほどきから阿古屋
まで、露秋さんのお義母様の川瀬白秋さんに
教わり、また実際の舞台でも
常に控えてくださっていたのが白秋さんだった
とのこと。
今は露秋さんがついて下さっているそうです。

二日目と同じくお二人ともマスクのような
ものは無しで、玉さまは
「お顔を見ていただきたくて」と仰っていて、
心からうなずきたい気持ちだったし、
お二人が演奏して下さってる時、
素敵なお顔が拝見できてよかったです。
玉さまを見ている時間が長いとはいえ💦
演奏の方のお姿も拝見できるのは、
より雰囲気を感じられることでもあるし、
そういう配慮をしてくださる玉さまで
よかった、と思います。

玉さまは極力、説明感がないように
そのように仰って下さったし、
安心してもらう為に仰ったと思うけど、
言わせてしまっているような感じも
あった気がして。
説明などされなくても見て汲み取れる、
それが当たり前にできる一人一人が集まった
客席でありたいなぁ、と思います。

打掛披露

まず、玉さまが打掛の説明をお話され
「お願いします」と言葉に出し
合図することをきっかけに、
お弟子さん達が打掛をお持ちになり、
お着替え、そして打掛披露。

この時お箏の演奏も始まり、
打掛披露が終わると演奏終了、という
凄くスッキリした形になってました。

初日、二日目は玉さまがあまり合図せずに
演奏する流れになってましたが
(といってもおそらくあまりに合わせる時間が
なくてきっかけが難しかったように見えた)
言葉に出さずに進めることがきれいな進み方、
とかの枠がなくて、
一番スムーズに見ていただけるやり方として
そうされたのかなぁ、なんて思います。

打掛披露の時、玉さまは最初に上手へ行き、
斜め後ろを振り向くようなあの体勢で
打掛を見せてくださり、
その次は反対側の下手へ向かい、
今度は下手で見せてくださる。
上手から下手へ向かう、という時も、
斜め前方へ視線を向けながら本当に美しく
移動されていて、初日辺りよりもさらに
魅せる場面となっていた気がします。

その次に真ん中へ戻り客席に背を向け、
両腕を横に伸ばし背中の真ん中あたりを張り、
全体が綺麗に正面に見えるように見せて
くださりながら、
少し舞台奥へ歩き止まる、という、
初日頃にはなかった一連の流れが、
より磨かれて美しい一幕のようでした。

上手から始めたら、次の打掛披露は
下手から上手へと、交互にまんべんなく
順番が来るようにされてたと思うし、
そこにも配慮のお気持ちが感じられて、
美しくスムーズに進化した時間でした。

最初の揚巻の衣装

揚巻は、舞台のなかで五節句すべてを
衣装で着ていて、無病息災を願うもの、
とのこと。
お正月のものは、帯に伊勢海老などが施されて
いて、玉さまは出来上がったものを見て、
昆布など「よく出来ているなぁ」と思い
見ていたけれど、すべて刺繍でできていると
知ったそう。

千穐楽は舞台に近かったので、とはいえ
舞台奥は遠いので必死に凝視してたんですが(笑)
本当に昆布に見えるような絶妙さで、
単なる一枚の単色の布、という感じでは
なかったです。

また千穐楽は、
「揚巻の登場の時はほろ酔いで出てくる」と
その様子を少し実演して下さった‼️
「酔った勢いで意休に悪態をついているのか、
それとも酔った振りをしているのか」
みたいなこともお話くださり、
役の細かい考察を聞けたのも嬉しかったです。

この日は「裾には羽子板、蹴鞠…」と
ここにこういう刺繍がされてるということを
口頭でも仰ってくださって、
少しずつそうしたことを付け加えて下さるのが
玉さまの「楽しんでいただきたい」という
お気持ちの表れなのかなぁ、と感じました。

「お正月飾りを着ているなんて『歌舞伎者』
というように、変わってますよね」
のように仰ってたけど、でも玉さまは
小さい頃からご覧になっているから、
特に不思議に思ったことはなかったそうです。


今回は解説の最初から立った状態で
説明してくださっていた玉さまですが、
打掛を着るとき脱ぐときもすべてその状態で
進めてらっしゃいました。
お座りになられた状態だと、袂を打掛の中に
いれる作業などが功一さんがされてましたが、
今回は玉さまご自身が袂を持ってすっと
打掛の中にいれる、功一さんは前を直す、
というさらにスッキリした流れに
変わってました。

夕霧の最後に着る打掛

吉田屋は仁左衛門さんがお相手のことが多く、
22才の時に一緒に演じてから、
あと一年と少しで50年になる、と仰っていて、
客席からは「50年かぁ~‼️」という感じの
驚きと感嘆の声がもれていて、
『にざ様と50年なんですね😌』のように
皆思ってたのでは、という気がします(笑)

刺繍が大きく施されたものは、
通常は数人で作るものだそう。
だけどそれだと『手』が変わってしまうので、
この夕霧の打掛は上加茂のご婦人が一年かけて
お一人で作られたそうです。

また、江戸時代に全国の各座元が
素晴らしい着物?を持っていて、
「うちに来て(興行して)いただけたら、
こういう衣装を着ることができますよ」と
役者の気を引くようなものを各地で作って
招いていたそう。
例えば地の色が見えないくらい刺繍された
ものとか。

そういうものが「江戸歌舞伎衣装」に載っている
そうで(それは本なのかよくわからない)
玉さまはそれを元にたくさん作りたいけど、
そういうわけにはいかないので(笑)
いくつかの図案を取り寄せて作ったうちの1つが
この夕霧の打掛だったような。
夕霧の打掛だったかどうか、というところだけ
自信がない💦

打掛を客席に見せてくださったあと、
「実際の(舞台での)夕霧より、長く着させて
いただきました(笑)」
と仰る玉さまがかわゆかった(笑)

富姫の御簾とくす玉の打掛

この模様がどこにくるのが、お客様から
一番良く見えるか、
ということを考えるのも難しい、とのこと。
むろいよしおさんという方と親しかったそうで、その方がこの打掛の柄も作って下さったと
↑この話の記憶があやふやな上に、
このお名前で該当するような方が見つからない💦

この打掛、紫の地に、横に金の刺繍が
たくさん施されてるんですが、その数が凄い…
以前間近で見たときよりも、舞台で玉さまが
角度を変えて見せてくださると、
その本来の美しさがよりわかります。

玉さまが「ぬめぬめ」という表現をされてたん
ですが、まさにその動かして光輝くのが
「ぬめぬめ」な感じ。
悪い意味ではなく(笑)良い「ヌメ」です(笑)

富姫の龍の打掛

富姫が亀姫のところに雲に乗って帰るので、
玉さまのお好きな龍と雲の絵にしたとのこと。
夜の場面に着る衣装なので、初演の日生劇場
歌舞伎座での上演中となったとき、
龍の絵だけだとそういう広いところだと
みえないので、龍に金の刺繍を施したと。

「富姫が亀姫と『こんな男がほしいねぇ』
と言うところで着る打掛」、と仰ってて
天守物語を持ってるけどまだ見ていない私は
『玉さまがその台詞を!!』とひとり
ニヤッとしてました(笑)


玉さまが個人的に思うのは、龍は人間が
作り出した?(想像上の)ものだけど、
いつも見てくれているような気もしている、
とのこと。
良い行いをしたときは見守っていてくれて、
そうでないときは睨まれているような。
いないのかもしれないけれど、もしかしたら
神様のような存在、神の使いなのかも、と。
富姫が龍のような感じがする、というような
ことも仰ってました。

揚巻の桜の打掛

揚巻の時は、何枚もの衣装を着て40キロにも
なるけれど、ずっとそれを着ているから
その重さが大役をつとめさせていただいている
実感がある、とのこと。

幔幕に○○(←なんて仰ってたか忘れた💦
刺繍されてるモチーフをさして)
宴が行われているんでしょうねぇ、と玉さま。
さりげなくその光景が目に浮かぶようなことを
仰ってくださる。

賤の小田巻と傾城雪吉原について

シテ方は舞台上には一人しかいないけど、
頼朝が目の前で見ていて、義経のことを
思いながら舞っている場面、と。
あと衣装のことも説明してくださいました。

傾城雪吉原については、「高尾懺悔」は舞踊集の
中でしか踊っていないが、
あの世でカラスに攻められるという前後が
ついてしまうのをこういう場で観ていただく
のは…ということで、花柳さんとご相談して
真ん中の春夏秋冬の部分にしたそうです。

最後にお話ししてくださったこと

初日、二日目の時には、ここに来ることが
できない方がいらっしゃることをお話下さい
ましたが、
千穐楽前日では、「こういうことについては
お話ししないと決めておりましたが、
このようなことになりましたのでお話するの
ですが」と、一息おかれ。

↑この一息置くのがね、長く感じるくらい、
なんだなんだ!ってソワソワしてしまって。
とはいえ中継の時にも仰っていたそのことで
あろうこと予想はついたはずなのに、
この沈黙、ためが少しだけ長くて深くて、
内容はそのことについてであっても、
続く言葉は私には予想外のことでした。


「このような状況下でおいでになりにくい中、
初日より連日盛況で、お通いくださり…」
と感謝のお気持ちを伝えて下さいました。

それは初日の辺りでも、この日の口上冒頭でも
お話くださってるけど、
この時は何か凄く決意してお話しくださって
いる、という雰囲気が漂っていて、
言葉を出すまでに少しつまるというか、
お話しされる前にぐっとこらえて、
という感じの間があり…
何か感極まってらっしゃるのがわかって。

玉さまのお話、またその様子から、友人も
「来られなくても仕方ないと充分理解しつつ、
そんな中でも来てくれる人達への感謝が
物凄く溢れていて、こっちが申し訳なくなるくらい。
まよいながら、でも気持ちを伝えたい感じだった」と言っていて、本っ当にその通りでした。

来ることに葛藤があって、でも来た人、
来ることを真っ直ぐに決めて来た人、
ほかにも一人一人に色んな思いもあったと
思いますけど、どういう理由であれ、
会場にいた人すべてに、
玉さまのお気持ちが伝わったと思うし、
それを聞いて、こんなにも感じて、そして
想って下さってるんだなということを知り、
震えるような気持ちでした。

「鬘をつけて化粧をして、美しい衣装や
素晴らしい音楽に乗って私たちが役で
出ていき踊りますが、その向こうにある世界も
感じていただけたら」と。

玉さまは、「私達はその手立てです」と。
「皆さまが(それぞれの持つ)夢の、憧れの世界へ
旅立つ、その手立て、架け橋と思っております」

私達(玉さま)そのものではなく、私達を通して
それぞれが内に持つ憧れの世界を
感じてほしい、と。

…役者というものをされてる方にとって、
これは当たり前のことなのかもしれないけど、
それでもこんなに客観的に、ご自身を、
演劇というものを理解しつくして、
私達に明確に提示してくださる方は、他に
いらっしゃるのかな、なんて思ったんです。
役者さんもいろんな方がいらして、
色んな思いや考えでされてると思うけど、
玉さまは本当に俯瞰して見てらっしゃるんだ、
と。


自分が観て感じているものは、単に目の前の
もの、というだけでなく、
自分の内側の世界により、外に観て感じる世界
が変わってくる。
そこにさらに豊かな世界を観るのも、
日々自分が何を見て何を感じ、心を耕すことが
できるのか…それがとても大きいように思うし、
ただ受け身でいることよりどこにでも何かを
見いだすこと、
そういったことの出来る感性を磨きたい、と
思った玉さまのお話でした。


そして「皆様、どうかご無事のご帰宅を、
心よりお祈り申し上げます」という風に
仰ってくださり、
前楽の日は、本当に『どうか、どうか、
ご無事に』といったお気持ちが強烈に
伝わってきて、もう泣きそうでした(泣)
私は平気で行ってましたが(笑)💦
それでもその玉さまのお気持ちが真っ直ぐに
届いて嬉しくて有り難くて。


千穐楽も同じように仰ってくださいましたが、
その前に、ひととおりお話が終わると
ニコッと笑顔になられ
「舞台が、待っております」と。

この時の玉さまの様子と一つ一つの間に、
腹を決めたような、何か決意というか
前を向いてしっかり歩く人の清々しさと強さを
感じて、前日までの感極まった様子とは
全く違うのがわかりました。
しつこくその様子をもう一度書きますが(笑)、
顔をあげ直すようにして、笑顔になられ、
「舞台が」一拍おいて「待っております」。
その玉さまを見て、こちらも同じ方を向こう、
と思えた瞬間でした。

玉さまは、きっと幕が開く前も開いてからも、
毎日私達のこと考えて下さっていたんだろうな、と。
でないとたった一日で、また初日からの変化
も、そのような明らかな違いにならないのではと。

行くことをやめる人がいても、
自分が見に行けてない日も、
来る日も来る日も。
玉さまは毎日想い考え、変わらずに
ずっと待っててくださった。
そんなことが頭に浮かび、
とにかく胸がいっぱいでした。


重複しているところもあるけれど
↓友人から聞いたことや自分の覚えている日の
全部を、一字一句間違わずにとはいかないけど
できる限り残しておきます。

「現実を離れて夢の世界に誘うのが
私たちの役目ですから、一生懸命勤めさせて
いただきますが、
皆様がお健やかにお幸せにあられますよう
心からお祈りして舞わせていただきます」

「皆様、どうかお健やかでお幸せに過ごして
いただき、傾城雪吉原のように、春を待たるる…
素晴らしい待たるる春を、待たるる夏を、
そして待たるる秋を、お迎え下さいますよう、
心よりお祈り申し上げております」

「そして柔らかな日々、世の中になりましたら、
(千穐楽は平らかな日々、平らかな世の中に
なりましたら)
また伝統芸能を、歌舞伎を、松竹座を、
ますますご贔屓にしていただけますよう
お願い申し上げます」

…私達の健康や幸せまで想ってくださり、
その上こんなにも心のこもった、
聞いただけで心にふわっと花が咲くような、
先を楽しみにしたいと思うような、
そんな情景を浮かべられる美しい言葉を
そっと贈っていただいた、そんな気がして、
本当に素敵で嬉しくて、
ずっと大事にしたい言葉で、
ここでも感激で泣きそうでした。

どれだけの言葉を知っているか、ということも
もちろんあると思うけれど、
よりどこにでも美しさや何かを見いだす感性、
ご自身の心を常に豊かにしてきたからこそ、
美しいものを表すことができ、こんなにも
素晴らしい言葉を人に贈ることができる方
なんだろうな、と思います。
その玉さまの見せてくださるものに、もっと
深くて様々なものを見て感じられるよう、
自分の内側を豊かにしていきたい、と思った
そんな日でした。

最後に「隅から隅までずいーっと、
希い(こいねがい)上げ奉りまする」
という風に仰って、口上の幕が閉まりました。

演目、カーテンコールへ続く。