やっぱりLiveが好き

目の前の空間を味わうのが好きな人の記録🍀

「坂東玉三郎 映像×舞踊公演」11/1,2,3 八千代座 その②

<鷺娘>

映像の部分、実際に演じる部分、というのは恐らく以前と同じ箇所で、最初に出て来られるのは白無垢の場面から。佇まいに寂しさが溢れていて、怒りというか恨みを表すようなところではその体の中心から感情が外側ににじみ出てきていて、玉さまは本当に手に取るようにその感情が感じられる表現をされる方だと思う。やりすぎなのではなくじわりとこちらまで伝わってくる感じ。鷺のような足や手の動きが繊細。綿帽子を脱いで、というところ辺りまでだったと思う。

そして二度目の登場は最後の地獄の責めの場面。海老ぞりの後から最後の少し手前まで。前回この時の玉さまを観たとき、自分の目で見ることはないと思っていたそのお姿が目の前で観ることができて、驚きと衝撃が一気に襲ってきて涙なしには観られなかった。本当に嬉しかったし感激した。

今年は、玉さまをじっと観ていて、玉さまの目には鷺娘の見ているその風景が映っている、だからこそその場面が私にも伝わってくる、ということをしっかりと感じた。鷺娘に限らず、玉さまの目にはその風景が見えている。だから私達もその風景を感じることが出来る。その人が心に映し出しているものが、他者にも伝わる、ということは並大抵のことではないのでは、と思う。それを玉さまにはいつも感じることが出来る。だからまるでその風景を観たような感覚を味わい、よりその人物を、その演目を味わうことが出来ているのだと思う。毎回、その世界に連れて行ってもらえている。

風景、景色だけでなく、鷺娘の心を体全体を通して、何よりやっぱりその目に心を感じる。どんな景色の中でどんな気持ちで居るのか、それが伝わってくること、その世界を味わえることはなんて幸せなことなんだろうと思う。

スクリーンが上がって玉さまが出て来られる時の高揚感もたまらないし、舞台上の玉さまが映像の玉さまと溶け合っていくようにスクリーンが閉まるのも素敵。実際の玉さまだけでもっと観たい!って思う時もあるけれど、この映像×舞踊公演は、単に半分映像を用いたものではなくて、見方によっていろんなことが感じられる舞台で、ひとつのジャンルとしてとても魅力的なものだなぁと思う。

 

楊貴妃

 中車さん演じる方土が蓬莱山の宮殿に訪れ、楊貴妃が鳥かごのような(名前がわからない💦)ところから出てきて少ししたところ(じゃなくて鳥かごから出てくるところからだったかな?)で玉さまが実際にご登場。

八千代座であの鳥かご(のような素敵な白いあれ!)を観られるとは・・・!!歌舞伎座でなく八千代座。八千代座自体が蓬莱宮。全体があの雰囲気で包まれる。歌舞伎座ではその広さからか、全体的な夢幻感が強かったけれども、八千代座というもっと狭い密の濃い空間では、「楊貴妃」という人そのものをより強く感じられた気がする。玉さまの楊貴妃が出て来られて、なによりその気品と高貴さに圧倒される。儚くもあるのにその美しい強さが表れていた。楊貴妃に視線を向けられると動けなくなるような、そんな不思議な強さと鋭さ。

二度目は扇子をお持ちでの登場。あの扇子は実際かなり大きくて、二枚の扇子を交差させるようなときは、少し重なるくらい、二枚が当たるんじゃないかというくらい近い位置にあったりする。扇子をザっとした方向に向けられる時、腕を伸ばして広げる時・・・とにかくどのときでもその扇子と楊貴妃と舞からあふれる美しさが凄い。扇子で舞いながら花道でも踊られるんだけど、場を圧倒する方を強く感じる。決して広くはない花道で、あの大きな扇子を使って回りながら舞うことは観ているよりもはるかに大変なことなのでは、と思った。

三度目の登場は最後の最後まで。鳥かご(のような素敵なあれ!)に入るまでが観られた!!!衣装の袖の部分を長くしたあと、頭上に掲げ垂れる様子も袖を持つしぐさも腕をさげるのも、何もかも美しかった。正面を向いたまま後ろにさがり、鳥かご(のような美しいあれ!)の手間で立ち止まり、短冊のような細さの暖簾のようなところを端よりの方ら開けて、楊貴妃は入ってしまわれた。

この瞬間が寂しくて切なくて、あぁ、ずっとずっとずっと楊貴妃を見ていたい、という気持ちでいっぱいになる。この空間中にうめつくされたあの雰囲気が終わってほしくない、ずっと楊貴妃と居たい、そんな気持ちだった。

 

<カーテンコール>

緞帳がしまったあと、鳴りやまない拍手。再び開き、そこには楊貴妃のお姿でお辞儀されている玉さま。楊貴妃であるその合間にふと、玉さまの笑みが見られることが嬉しくてその様子にさらに拍手が大きくなる。上手、下手、中央と来てくださり、お辞儀をされる。上手や下手の方に行かれた時は特に二階や一番遠くのお客様までゆっくり見ていらっしゃる感じがする。

そして二回目のカーテンコール。今度は楊貴妃ならではの、片方の腕を反対の肩の上に置き、長い袖が美しくかかるようにしてご挨拶してくださる。上手で、下手に行かれた時も同様にしてくださり(恐らく上手の時とは反対の腕をかけてた気もするけどどうだろう💦)そして真ん中では、舞踊の時に足を深く折り曲げて重心をものすごく低くするときのあのお姿でお辞儀!!楊貴妃でのカーテンコールがあまりにも特別で素敵すぎた。

それでも鳴りやまず三回目のカーテンコール。緞帳が開いても玉さまはいらっしゃらない。八千代座だととのバージョン!下手そで側から玉さまが舞台上へご登場されお辞儀。二回目の時か三回目か忘れてしまったけど、下手側に行かれた時は花道のかなり奥の方まで行かれてお客様のお顔を各方面よく見てくださって、舞台上に近い方の花道の両側も、端の席のお客様のことも、二階から身を乗り出さんばかりのお客様も本当によく見てくださってそのお姿を見てこちらも嬉しくなって感激した。こんなにも見てくださって、また玉さまのお姿が見えるようにしてくださってなんて有難いんだろう、と。

最後の舞台中央でのお辞儀はやはり中国式というか楊貴妃ならではの、深くお足を折った低い姿勢で両腕を床と並行のようにしているときもあったかなぁ。楊貴妃の雰囲気をそのままに、素晴らしいご挨拶をしてくださって胸がいっぱいだった。本当に本当に幸せな八千代座公演でした。

 

公演が終わって、人がいない頃に八千代座の前を通ってみたいなと思って行ってみた。空は真っ暗だけど、八千代座への道や八千代座の前は街灯がポツポツついていて、目の前まで行くと、「八千代座」の看板、「祝世界文化賞受賞」の幕が煌々と照らされていた。

 時間にもよるのかもしれないけど、誰もいない時間でもこうして照明をあててくださっているのも感慨深かった。

八千代座の前に立ってぼおーっと見ていると、昼間に見るのとは、人がたくさんいるときとはまた違って、その存在がとても大きくどっしりしたものに感じられて、「あ、この小屋に守られているんだな」と思った。

今現在の快適な、設備の整った八千代座になるまでには長い月日と玉さまや地元の方達のお陰があって成り立ってる。今も空気を入れ替えたり、他にどのようなご苦労があるのかはわからないけど、手をかけ、小屋を守ってらっしゃる。だけど、そうして守られてきただけでなく、八千代座が玉さまや玉さまの公演に携わる方々、他に来られる出演者の方々や実行委員や地元の方皆様を、守っているからでもある、そんな感じがした。八千代座の頼もしさに気づくことが出来て、大好きな方達が八千代座に守られている、それがとても嬉しくて有難い気持ちでいっぱいになった特別な夜でした。