やっぱりLiveが好き

目の前の空間を味わうのが好きな人の記録🍀

「九月大歌舞伎」 9/14 歌舞伎座〈映像×舞踊公演 鷺娘〉②(追記あり)

〈映像×舞踊 鷺娘〉

歌舞伎座の舞台をめいっぱいを使ったスクリーン。
長唄の演奏も映像の中のものを使うので冒頭は映像からスタート。

映像の中で玉さまが登場された!と思ったら、(実物の)セリが下から上がってきて白無垢の鷺娘、玉さまが現れる。
最初からのご登場!!!!!!
最初は後ろのスクリーンに写る映像の玉さまと重なって見られるけれど、そのうち舞台上の玉さまお一人のみに。

通常は舞台の背景、大道具は舞台一番後ろ辺りにあるものだけど、、それより半分くらい手前の部分に背景があり、
スクリーンの位置もあるので玉さまはだいぶ前の方で踊ってらっしゃるのかな、なんて思いました。

本当に玉さまお一人なんだけど、鷺娘の内側が空間を埋めつくしている感じがして
(空間が)さみしいということが一切ない。

綿帽子から少し見えるお顔下半分も、お着物の袖口の部分に手を隠し内側に丸めながら足を出す鷺の姿も、
その体とお着物で作られるラインも、それらの外側に見えていることすべてに、目に見えない鷺娘の内側が滲み出ている感じがする。


そして、玉雪さんと玉朗さんが出てこられた。
(今までは大体玉雪さん功一さんという組み合わせだったのにここに来て玉朗さんというのも驚き)ということは!!!!

八千代座での映像×舞踊公演ではなかった、引抜きが観られる!!!!これも全く予想していなかった😂

引抜きは、その一つ一つの動きと、後見をつとめるお弟子さんとの息の合い方、合わせ方と、玉さまの、全くなんでもないように見せること、次、引抜いて変わる!っていうときのワクワクと、ガラッと変わった衣装を観たときの目に映る鮮やかさと自分と他の客席の空気がパッと変わるから凄く好きで、今回もその一つ一つが堪らなくドキドキした!すべてが鮮やか!!

歌舞伎座では引抜きを、鷺娘の引抜きをやってくださった!ってことがもうびっくりするし嬉しくてしょうがなかった。

白無垢から赤いお着物へ。手拭いを使う場面、「縁を結ぶの神さんに」よりもう少し後の後の取り上げられし嬉しさも 余る色香、辺りまで踊られると、
玉さまがセリから下がり、映像のみに切り替わった。


そこから地獄の責め苦まで映像のみ。
映像の中の演じている空気も、確実にこちらまで伝わってるんだなぁ、ということを改めて思ったり。

そして海老反りのあと。一番反った地点くらいのところでセリが上がってきて体勢を戻すというところで玉さまが実際に出てこられる。

この場面は、「歌舞伎座」という大きな劇場、この舞台のサイズだから、この降りしきる雪の世界を、目の前の出来事という現実感から遠ざけ、鷺娘の全く別の世界をまるごとそこに表せる、ということが可能なんだな、と思った。

雪を降らせるということは八千代座と全くおなじなんだけど、舞台の大きさ=すべてのスケールが大きい、ということが、それを成り立たせていたんだと思う。

八千代座は八千代座にしか出せない、舞台との一体感を感じられる良さがあり、同じく歌舞伎座だから出せる別の良さがある、ということがはっきりわかった。

自分が玉さまを知った時には鷺娘を演じなくなってすでにかなりの年数が経っていたし、歌舞伎座で鷺娘が観られる時がくる、なんて思ってもみなかった。
八千代座で観られたけども、「歌舞伎座でも観てみたい」ということは、無いと決めつけていたから望むことすらなかったし。

そんな、嘘のような本当のことが目の前で起こって、それがもう完璧な「鷺娘の世界」だった。


口上で玉さまが「振付の先生と相談して」というのは、はっきりとどこの部分か、変えたのか変えていないのかもわからないけれど、
ただ地獄の責めの、鷺の精が苦しみ舞う姿が、八千代座で観た時よりももっと自然な感じがして、もしかしたら今回、より合うものに微妙に変えたりされたのかな、なんて思ったけど、実際はどうなのかはわかりません💦
八千代座の時よりもさらに練っての今回の鷺娘、というのは間違いなかったと思う。

(9/25追記)「歌舞伎座」という大舞台に映像をどのように合わせていったらいいか、ということをいろんな専門の方とご相談されてお作りになられた、ということを仰ってました。
だから、何かを変えた、ということではなく、歌舞伎座に、合う、ふさわしいものとして上演するのに、どのようにしたら一番良い形で皆さまにご覧いただけるか、ということだったんだろうなぁと思います。


八千代座より実際の登場回数は一回少ないけど、その分、白無垢、地獄の責めの部分ともに、踊る時間が長くなっていると思う。
地獄の責めは、「そんなに回るの!」って思ってしまうくらいくるくる回られてて、これは私が感じたことだけど、昔の激しさというのとはまたちがう(でも振りは変わってないかもしれない、緩く見えるとかそういうことではない)、だけどその場面での鷺の精の苦しみが胸に迫る感じは全く変わらず、むしろいまの方がもっと感じるのではないか、というそれくらい素晴らしいものだった。


幕が下り、終わらない拍手にもう一度幕が上がる。
そこには先程の息絶えた鷺娘のままの玉さまがいらっしゃる。
幕が下り、拍手が続き、再び幕が上がると、玉さまは立ってらして、上手、下手、最後に真ん中から全体を観てくださり、終演しました。

玉さまや、関わったすべての皆様に拍手をする時間、気持ちがさらに伝えられる時間を設けてくださって、カーテンコールができて嬉しかったです。



玉さまの鷺娘を観ることができるというのは、何にも代えがたい、本当に特別なものだ、ということを今回でさらにさらに痛感した。
この世界を観られること、観たことで得た自分の感覚は言葉で言い表せるものではなくて、同時代に生きて玉さまを知って、そして鷺娘を観ることができる、ということって、本当に凄いことだと思う。

こんなに素晴らしい役者さん、演出家の方の方が創るもの、演じるものを観ることができていることを改めて噛み締めるというか。


今回の鷺娘を約ひと月も演じるということがどれだけ大変なことなのか…数ヶ月舞台で踊ることはなくともずっと準備をし続けてくださっていたこと、こうして舞台に立ってくださること、ありがたい思いでいっぱいです。

今回、心から、幸せだと感じた鷺娘でした。



色んな意味で特別で、だからこそできた今回の公演。

最初八千代座で始まった映像×舞踊公演だけど、八千代座の客席との近さがあってこそできた、それ以外では出来ない、のではなくて、
劇場が変わればその劇場に合わせた、その劇場だから出来ること、より活かせることを見つけるという、玉さまの着眼点と発想力、周りの様々なジャンルのその道の人達に聞き協力を得て、観客に楽しんでもらえるためのベストを探す、という凄さ。

だからきっと、南座では南座でしか出来ない映像で
×舞踊公演になっていたのは間違いなかったろうし、どこの劇場であろうと、きっとそうなると思った。

観る前に「一体どんな風になるんだろう?」と疑問に感じていたこともすべて吹き飛ばされた。
今まで発表観されたもので常にベストなものを観せてくださっているのに、まだそんな考えがよぎったなんて!って思ったけれど💦今回で、さらに、そのことを強烈に実感しました。