やっぱりLiveが好き

目の前の空間を味わうのが好きな人の記録🍀

シネマ歌舞伎 「怪談 牡丹燈籠」

最終日に駆け込みで行ってきました!
何年ぶり?二回目の牡丹燈籠。だいぶ話を忘れていたので新鮮な気持ちで観てきました(笑)


まず強烈に惹かれたのは先代の中村吉之丞さん。
自分の家に出入りしていた医師の新三郎恋しさに気を病んで死んでしまった七之助さん演じるお露の乳母お米役で、お露の後を追い、二人で幽霊となって新三郎のもとに現れる、という役。

この人物の今まで生きて経験したことが厚みとなって滲み出ているような感じで、
生きている時の語り口調、間、在り方も、絶妙。
幽霊となったあとは、ただお露の為にという一途さが不気味さを増してた感じがする。


あんまり上手くてこの方は一体誰?!と思ったのが三津五郎さん演じる九蔵。
最初に語りの円朝役で出ているけれど、円朝さんとは全く違う愛嬌のある役で、玉さまのお峰にかまをかけられて、にざ様演じる伴蔵の隠していることをうっかりばらしてしまう、という役。
もう表情や仕草がくるくる変わって、こんなに面白く演じられるなんて凄い!

前にも一度見ていてきっと同じこと思ってるはずで😂三津五郎さんが演じてることもすぐ思い出してもよさそうなのに、あまりの別人ぷりに「三津五郎さんじゃないよね?…って三津五郎さんだった!!」と確認して驚いたくらいだった(笑)


そして、にざ様演じる伴蔵と、玉さま演じるお峰の夫婦。
全編通して息が合っていて、前半では貧しい暮らしでの普段の人となりがにじみ出ていて、なんだかんだ言っても凹凸がカチッと合って、仲の良い二人が最高。
笑いとか滑稽さって、間とか言い方とかすべて上手くないと難しいだろうな、と思うんだけど、お二人はほんっとにそういうところも完璧。

新三郎のことが恋しい幽霊から「自分達が再び新三郎と会えるように新三郎家のお札を剥がしてほしい」と頼まれた伴蔵は、お峰のアイデア通り(世話してもらっている新三郎が死んでは自分達がお金に困る、だったらお札剥がしと引き換えに大金をもらおう)、幽霊に申し出て、大金を手にする。(その結果、この後新三郎は幽霊にとりつかれて死んでしまう)

得たお金を、お峰さんが手をぶるぶる震わせながら数える「ちゅう、ちゅう、たこ、かい、なー!!」
ここが大好き!!!ひさびさに見たけどあんなに派手に手を震わせているとは(笑)!!!
回り舞台が動き、お峰さんが客席から見えなくなっても「ちゅう、ちゅう、たこ、かい、なー!」と叫んでるのがさらに可笑しい(笑)

前半の最後に、伴蔵とお峰が顔を客席に向けて二人で顔と顔(ほっぺた)をぴったり合わせて抱き合うのが、
か・わ・い・い!!!!!!
身悶えポイントです。最高です。


後半の二幕は、幽霊から得たお金で別の土地へ移り、関口屋というお店を始めお金持ちになった伴蔵とお峰夫婦になっている。
暮らしが変わったことで伴蔵はお峰にはろくに構わず、外で他の女の人に入れあげてしまう。

伴蔵と一緒に、その女のいる店に出入りしている九蔵を見つけたお峰は、詳しいことを九蔵から探ろうとする。
↑ここが最初に書いた三津五郎さんの部分。落語家の円朝さん~九蔵はものすごく役の振れ幅が大きいのけれど、どちらも見てもぴったり。このあとのにざ様玉さまもだけど、本当に上手い方というのはこれはぴったりだけど、あれはそうでない、ってことがないんですよね…。

その関口屋で手代として働く定吉役が玉雪さん。役は10代?くらいですよね。それを玉雪さんが!!というのも衝撃でありました。
そしてその前に通行の商人として功一さん。やたらスタイルの良い商人さん(格好は農民みたいな)です(笑)なまり言葉で話すの上手い。


引っ越す前に伴蔵夫婦の近所に住んでいたお六が、お峰を訪ねてくる。お峰さんは、暮らしは変わっても心は変わらずお六さんのことを思い、優しい。
それとは対照的に、過去の悪事がばれたくないならまだしも、昔の暮らしぶりすらも言いふらされたくない伴蔵は、お六さんを追い出せ、という。

他にも伴蔵の女遊びを追及したお峰に、伴蔵が謝ってひとまず仲直り。ここでのお峰の畳み掛けるような問い詰めが凄い。


別の日、伴蔵はお峰を久しぶりにもてなし、態度を改めてやり直すことを話すが、次の瞬間刀を振り落とそうとする伴蔵。
この立廻りの中の、『お峰が盾にしている傘を、伴蔵が上からビリビリビリ、と破いて上から刀を振りかざす』という場面。
シネマ歌舞伎のパンフレット表紙にもなっているけれど、ここはとにかく格好良い。
一瞬でスピーディーに終わってしまうわけでなく、歌舞伎だからできる、その様式美を、間をもってみせてくれるんですけど、息をのむ、心鷲掴みにされる瞬間。

なぜこんなことになっているのか、というようなお峰。無我夢中でお峰を殺した伴蔵は、そこでやっと我に返る。


一幕と違い、お峰は暮らしは変わったけど心根は変わっていない。伴蔵は形としてはお峰に向いているつもりでも、心は向いていない。
それが微妙に、繊細に現れているんだけど、でも確実にそれが観ているほうに伝わる。

人間の恐ろしさや、大事なものを見失い、気づく。そのすべてを伴蔵が体験し、それを見てこちらもハッとする。

にざ様も、玉さまも、素晴らしすぎて、映像とはいえ、また観ることができて本当に良かった。


あと、もう一組の男女、源次郎、お国も話も同時に進んでいくのだけど、家を乗っ取ろうとしていた二人が、何の関係のもない女中も口封じの為に殺していて、その後二人が転落した人生になった時、その女中のことを今も想う女中の妹と出会う。
二人が背景のようにしか見ていなかったであろう殺した女中は、誰かが今も想う大事な人であり、この妹が出てくることで「人」としての存在、その重さが感じられ、その前には「仕方なく殺した」ということはなんの理由にもならないことが、わかる。
ただ、そんな中でも源次郎お国は伴蔵達とは違い、生活や環境はわるくなっても心はむしろ前より通じあい、どんなことをしたのであれ二人で最期まで一緒である覚悟をしてる。

伴蔵お峰と、源次郎お国が対比のように描かれていること、関わった人物の背景を描くことで、このお話の構造がより「人間」を見せているんだと思う。


見に行こうか迷ったけど、本当に行ってよかった!!!
こちらも、どこかの放送で観ることができたらいいのになぁと思います。