やっぱりLiveが好き

目の前の空間を味わうのが好きな人の記録🍀

「幽玄」 9.25/9.26  歌舞伎座

千穐楽と楽前、素晴らしすぎた・・・楽前まで、ありがたいことに花横でしか観ていなかったから、千穐楽でセンターで観たらわかったことが沢山あった。

 羽衣

去年の幽玄にはなかった、舞台の上方に能舞台のセット。歌舞伎座仕様なんだろうなぁ。11人で伯竜というひとつの意識体を表してるようで、同じ伯竜の中で、対立したり受け入れたり、面白い。動きがとても優雅で美しい。一つの方向を向く前に、一旦違う方向へ向きを変えてから入りなおす、といったものだったり、フォーメーションがどんどん変わっていくことだったり、天女が天へ帰る時の、上に上がっていくような様を人で表現する、とにかくそういった「表現」が本当にたくさんあって、「動き」「美しさ」を大切にされているんだなぁとおもった。鼓童のメンバーが太鼓をたたいている時、変わっていくリズム、バリエーション豊かな叩き方から出る音、響き、本当に面白くて引き込まれる。玉さまの天女も、羽衣を奪われた悲しみが、言葉から、体全体から、客席に背中を向けたときもその背中から凄く伝わってきた。天女が去る時の回る盆を使って上に上がっていくような場面のときも、回る玉さまがさーっと目の前を去って遠くに行ってしまうところもすーっと気持ちよく視界が上に開ける感じがして凄く好きだった。で、盆から降りる時は歩く歩道の要領で、降りる直前に歩数多めにさささっと小走りなるのがちょっと親近感を感じたけど真の意味はそうでないような気もする(笑)

 石橋

獅子の精の五人の役者さん達、その若さからくるものと、役者さんの内側から表現されるものが、本当にこの演目にぴったりだったと思う。鶴松くんはその内側からあふれるものが外によく表れているように感じられて、とっても凛々しかった。歌昇さんは、羽衣の時もだけど、センターで率いる役がお似合いだなぁと思った。石橋が終わり、花道から去る時のその動作、表情からそうあるべき人、という感じが凄くした。役者さんたちを、同じメンバーを見て太鼓を息を合わせていく鼓童の人達がまたかっこよくて、獅子の精の動きに合わせて叩くシンバル?の音も良い!!最高。

 道成寺

琴と三味線、太鼓と笛から始まる夜空、というか宇宙そのもので、花子さんの時間を超えた、残されてしまった想いというか、その何かが存在するところの広大さとともに寂しさを感じられてこういう風に表現されることが凄いなぁと思う。花道から花子さんが表れて、娘道成寺の時よりもより柔らかに、自由に、人間的表現豊かに踊り、体で表されて、垣間見える恨み、鐘を見つめる目も悲しくて、影ができ、それにより花子さんの心の暗闇の深さ、果てしなさが表れているように感じられた照明も本当に好きだった。

花子さんが鞨鼓をつけて、鼓童のメンバーの太鼓を聴きながら面白そうな様子をふっと見て真似て同じように叩いてみせたり、鼓童のメンバーの後ろに隠れるように居て、時折花子さんが横から顔を出すところ、なにこのかわいさ!!!って悶絶してたけど、「鼓童のメンバーに憑依してる花子が時折本性を見せるように思える」っていう友達の感想を聞いて、なるほどなぁ、と思った。憑依、あとは憑依した人の花子さんと同調してしまうような部分をあぶりだされひっぱりだされているようにも思える。前に観たときは、花子さんは太鼓を軽くたたくくらいだったと思うけど、25日は音がはっきり聞こえてきて、花子さんのリズムとして叩いていて、鼓童の太鼓の音とずれたのか、と思いきや最後は音が合っている、という感じだった。26日はそこまで音を出していなく、花子さんのリズムを出しているというほどには感じなかったので、日々試行錯誤して変えてらっしゃるのかもしれない。花子さんの踊り、動きが本当に滑らかで、吸い付くような感じがする。何に対して、というのではないんだけど。鐘の中に入った後、出てくる後シテの蛇となった玉さま。最初のころには立ち姿勢のまま舞台奥から出て来られたと思う。25日はその舞台真ん中部分がよく見えなかったけど、26日、がっつり正面から観れた昨日、打掛を頭の上から被った玉さまが、まるで地べたを這いつくばるような伏せた姿勢で現れた。前に出るごとにその姿勢、上半身を徐々に上げていき、そのおどろおどろしさ、不気味さ、この世のものではないようなその雰囲気が格段にアップしていた。鞨鼓といい、蛇といい、本当にどこまでも玉さまは、改善、進化の手を緩めない。日々より良いものを、そうお考えになりながら、演じながら、さらに、さらに、と変えていくその精神はあまりにも凄すぎて、その出来上がって出てくるのものに圧倒されっぱなしだった。去年の幽玄にはなかった鱗四天も凄かった。歌舞伎座という広い舞台にふさわしい、より蛇の存在の大きさを際立たせて、さらに鼓童の太鼓の迫力というものも伝わり、この鱗四天の存在って大きい。鼓童のメンバーと交互に山を折るような形で交差していく時、手に持つ桜で波打つような動きの表現、どれもが圧倒されたし、スケールを大きくすることのの凄さが、視覚的、感覚的にもよく分かった。

この時の鼓童メンバーの太鼓も、打っている様子を見ると凄く大変なのがわかる。決して大変そうに打っているわけではないけど、鱗四天、蛇の玉さまのスケール、存在感の大きさに合わせて太鼓もそうなってる。大塚くんと佑太くんの太鼓、太鼓のフューチャーのされ方がすっごく好きで、よく見て聴いてたら佑太くんの太鼓って和太鼓じゃないようなものも入ってる?ドラム、というか和太鼓のものとは違う、もしかしたら和太鼓なのかもしれないけど。確か和太鼓と横並びに交互に組まれていたように見えて、発想の豊かさ、枠を作らない自由さに、制限なしって凄い!!って思った。歌舞伎座にドラム、凄いわ・・・。一番歌舞いてるのって、間違いなく玉さまだよな、と思う。・・・でももしかしたらら和太鼓の一種かもしれない💦謎。

で、その太鼓ソロが終わった後、全員の一番後ろに鎮座されていた玉さま演ずる蛇が、薄暗いその奥からやってくる。その様子が、意図されてのことかわからないけど、不気味でよかった!!奥から出て来られるのは花横の時から見ていたけど、正面から見ていたらまるで計算されたようなその雰囲気に鳥肌ものだった。最後の曲は娘道成寺のときとおなじ曲。この曲を聴くと、あーー!あの鐘に上る蛇、玉さま!って思うけど、あの時のどんどん上昇していくような、底なしのわくわく感みたいなものが、もう本当そのまま、もしかしたらそれ以上に感じられて、最後のこの場面の盛り上がり、華やかさ、本当に本当に最高だった。