やっぱりLiveが好き

目の前の空間を味わうのが好きな人の記録🍀

「芸術祭十月大歌舞伎」夜の部

吉野山

花道から静御前が出て来られたときのあの「姫」感。年齢とか本当に関係ない。あまりにも可愛らしくて、指先とか手の表現を見ていても、なんでこんなに美しいんだろうって思う。舞台中央に移動されて鼓を打つとき、玉さまは音を出さず打つ仕草だけど、最初に観たときより千穐楽の方が、玉さまと実際別の方が打つ音がしっかり合ってて、こういうところに積み重ねていくことの跡が感じられてしみじみ観て聴き入ってました。勘九郎さんが出て来られて、勘九郎さんの踊りも観たいけど玉さまから目が離せないから不可能で(笑)。撮影しててくれて観る機会があったらいいなぁ。

静御前が背中に背負っていた風呂敷を外すときとか履き物を懐にしまうときとか、後見の玉雪さんの所作の美しさ、というのかな、それにハッとして、今までも観ているはずなのにこんなにさらっと綺麗にされてるんだって千穐楽に初めて気づいた。玉さまのお弟子さんだからそう在ることが当たり前なのかもしれないけど、当たり前に出来ることじゃないよなぁ、と思う。

勘九郎さんの忠信と静御前が一緒に踊るところ、勘九郎さんの凛々しさ、玉さまの美しさ可愛らしさで本当に素敵だった。静御前が踊りを教えてもらっているところ、少し不安げに、でも楽しそうにされてるところにきゅんとして、忠信の襟の辺りを直す静御前の場面に漂う色気!この場面てこんなに艶っぽかったんだな、ってそれも千穐楽に初めて知った・・・(笑)玉さまが登場されてると、どうしてもぽーっと見惚れているので玉さまのことでさえ全体を見ているようで見れていない、という事態になっているらしい。

花四天の方が静御前に風呂敷をかけながら渡したあと、その風呂敷を静御前が結ぶんだけど、去年の八千代座での京鹿子娘道成寺の解説の時に玉さまが手拭いを扱うその手の動きとか、玉さまの手~手にしている物、が纏う雰囲気がとてつもなく好きで、ふわっと扱われているように見える(でもしっかり持ってらっしゃるんだと思うけれど)その手拭い、今回の風呂敷そのものになりたいぐらい(変態目線ではなく(笑)真剣にそれぐらい好きという)あの柔らかな手の感じがほんっと好き。美しく魅せるという技術的なものもあるんでしょけど、玉さまがどういう意識で持つ、動かしてらっしゃるかっていうのがとても気になる。

玉さまと勘九郎さんとの踊りは二人椀久以来だけど、このお二人での踊りは好きだなぁ。勘九郎さんとの雰囲気が凄く好き。またこのお二人で演じていただきたいです。

助六曲輪初花桜

玉さまにしても、にざ様にしても、いつもお二人を表す言葉が見つからない。今、ここでこんなにも素晴らしいものを観ているんだよ私は、って目の前に現れているその方の表現するすべては、当たり前ではない、凄いことなんだ、って毎回思う。それくらい、にざ様の一瞬一瞬の動き、そのお姿、表情、表れているものすべてが、本当に心底凄いものを観ている、なんて尊いんだろうって思わずにいられない。

花道で助六が傘を持ちながら、着物が開くギリギリまで足を開く、そのギリギリとする音が聞こえて、それは役者さんが戦っている音、のように感じてた。やりにくいものを、そのやりにくさをお互い活かして、ギリギリで現れる美を表現しているような気がして。足の指に煙管を挟んで、片方の手は着いて片方は決めたまま、その時間、かなりの時間。それを持ちこたえることでこの一つ一つの格好良さ、美しさ、美が完成されるんだとわかって、なんだか途方もない気がした。どれだけのエネルギー、力を注いで今この目の前の型一つが作られているのか、その背景を感じられることがとても貴重で有り難くてにざ様の凄さを感じる時間だった。

満江(まんこう)さんの登場シーン、笠を深くかぶってお顔がほぼ見えない、顎くらいしかみえないけど、そのお着物や助六の話を聴くときのその手の位置、お姿が物凄く格好良くて粋、素敵。助六や兄の新兵衛さんが顔を覗いてくるときは、玉さまは視線はどうされているのか。役のまま直視されてるのかと思うけど気になる(笑)

助六の兄の勘九郎さん、勿論実年齢ではにざ様よりはるか下だけど、「兄」という空気は完璧に出されてたと思う。こういう時、実際の年齢のほうに引っ張られて観てしまう人もいるけど、勘九郎さんはそうじゃなかった。その人物でその空気で、それを出せる、漂わせることが出来ることが凄いと思った。勘九郎さんだけがその空気を纏っているのではなくて、舞台全体にその空気を醸し出せているというか、そんな感じがした。

勘九郎さんが思わず布を被ったものの満江さんに取られるところのやりとりの可笑しさも気持ちがあったかくなるし、二人を心配するそのお気持ちが芯からにじみ出ていて、その表情を観ていると「母の気持ち」が凄く伝わってきた。

七之助さんの揚巻を観ていると、あぁ、玉さまが演じていた揚巻を観たかった、という気持ちがいつもわいてきて仕方なかった。七之助さんがどう、ということではなく、自分は観られなかったなと言う気持ちがどうしようもなくあって、それは叶わないのかもしれないけど、その想いだけは出てくるし、それを受け止めてた。観れていた人達は幸せものなんだよー!!って言いたくなってしまう。でも今の玉さまを観ることのできている自分の幸せも常に感じながら観て行きたい、と思う。