やっぱりLiveが好き

目の前の空間を味わうのが好きな人の記録🍀

「芸術祭十月大歌舞伎」10/8,22,26  歌舞伎座

二人静

幕が開くと明るい舞台上正面に傳左衛門さん達、上手には勝四郎さんや勝国さん達がずらっと並んでその時点で「うわぁ!」っとわくわくしていたら鼓の演奏が始まる。シーンとした中で傳左衛門さん達が声を出しながら打ち始めるのがピーンと張りつめててその空気がピリッとしてて聴いているのが心地よかった。

若菜摘の児太郎さんがお能の歩き方で静かにやってくる。しばらくすると玉さまがスッポンから登場されるけども、その時の玉さまの声を聴いていると、コタさんたちとの違いを感じる。コタさんたちは歌舞伎の時の声の出し方というか、いつものように聞こえるのだけど、玉さまは静御前の霊ということもあるからか、コタさんたちと同じ人間、ではないふしぎな感じがしてた。

コタさんの明るめの衣装の色に対し、玉さまは落ち着いた色合い。銀色ぽくも見えたけれどもっと繊細な光り方で、その柄や色の配しかたが絶妙だった。

静御前が若菜摘の体を借りて踊るところ、確かそれが始まる前に傳左衛門さんたちの後ろのスクリーン越しに、お琴を演奏する人たちがせり上がってきてスクリーンが開き、お琴も加わる。お琴の登場で華やかになり、赤い柱に囲まれたその部屋が一気に宮中のような雰囲気になる。この演出が本当に素敵で鳥肌がたつくらいだった。

玉さまと勝四郎さんが一緒に唄うところ、ほんとによかった!!お二人の声がよく合っていて、その声の良さと響きが素晴らしくてぞくぞくした。

若菜摘の姿を借りて静御前が踊る、という場面でコタさんと踊る玉さま。最初に観たときは玉さまとコタさんの手の角度が少し違っていて、羽衣のときのように手を頭の上にするとき、玉さまはより体に近づいている位置に手があったり、ほんとに些細なことだけれどそれだけで柔らかさやより豊かな表現につながっているのだなぁ、ってことが良く分かった。いつも観ている玉さまの体のすべてが、そういった意識と工夫のもとに生まれていて、だからこそあんなにも人の心に深く残るし、何かが響いてくるのだろうと思う。コタさんも後半の日程ではもっと気に居ならない程になっていたし、玉さまが何気なくしているように見える様々なそのわずかな何かは、手の角度がきつくなったりするものなのかもしれないなぁ、なんて思ってみてました。

吉野山を遠くに見る静御前。玉さまの視線の先には必ずその情景が映っている、という風に感じられた。こうして玉さまを通し私たちはその風景を感じ取っているのだなぁと思う。いつ見てもそれを感じられる玉さまは本当に凄いし、だから心に何かが毎回ふれているんだと思う。

こんなに優雅で気持ちのいい時間が毎日歌舞伎座では行われているんだなぁと思うと、それだけで嬉しいような、なんとも心が満たされる、豊かで幸せな気持ちになる時間だった。