やっぱりLiveが好き

目の前の空間を味わうのが好きな人の記録🍀

「十二月大歌舞伎」<Aプロ> 歌舞伎座 12/20

阿古屋

コタさんの次の日の玉さまの阿古屋。続けて観ると、否が応でも違いというのがわかってしまう。コタさんも頑張っていたけれど、玉さまの阿古屋はやっぱり凄い。

花道からの出。玉さまの阿古屋は、そこにいる人がすでに阿古屋。玉さまは阿古屋でしかなかった。そこからにじみ出るのは傾城の威厳とその奥からは哀しさのようなもの。ひとつひとつの仕草にも無駄がない。やっぱり衣装が重く大変だからか、コタさんの時はお腹の前の帯を直す回数とか、バタン、と直すおおざっぱさとかが目についてしまい(笑)でも、演じている方としてはそれくらい、動きの取りづらい大変なものなんだと思う。それをそのように感じさせることもなく、慣れているとはいえ直すこと自体もほぼない玉さまの阿古屋は本当に凄い。

お箏を弾くとき、唄いながら景清を想う気持ち、それがとても自然で、仕草を大げさにすることもなくでも確かに感じられた。玉さまの唄の音階の確かさは、聴いている方の安心にもつながる。だからこそ舞台としての話として観ていられる。

重忠に景清とのなれそめを聞かれた時、そのことを話すときの阿古屋によって、まるでその時の情景を目の前で観ているような気持になる。

お三味線では、三味線方の勝国さんとの息がぴったりで、勝国さんが目を閉じている時もあるくらい。長年一緒にやって来られたからこその、その息の合い方だと思うけれど、それにしてもその信頼感が音でも目でも感じられた。素晴らしかった。

そこに勝四郎さんの唄が、阿古屋の唄と入れ替わるように入り、その完璧さが凄い。

 胡弓の頃には、阿古屋の気持ちが表現されていると言うよりも、その音自体、曲自体に阿古屋の気持ちがそのまま乗っていて…というか阿古屋の気持ちがその曲であるというくらい一体化してるように感じて、曲の終わりと共にどんどん高く舞い上がっていくようだった。その音、曲を聴いているだけで言葉にできないなにかを思い切り感じて、それがこれでもかと言うくらい自分の中に入ってきて、気持ちがもうこれ以上何も入らない、入れられないというくらいいっぱいになっていた。こんな経験はほかのどれでも味わったことがないし、観終わった後に、動けなくなるくらいの衝撃だった。それは最初に阿古屋を観たときも十分すぎるほど感じたし、今回も同様だった。理屈ではない、説明できるものではない、そういった、本当に素晴らしい体験をしているんだと思う。どんなに自分が好みでも、意図してこういったことは感じられるわけではなく、でも、毎回こうして感激で体中いっぱいになるくらいの阿古屋を観ることが出来て、自分は本当に本当に、幸せものだと思う。