やっぱりLiveが好き

目の前の空間を味わうのが好きな人の記録🍀

「世界のうた」7/3,4 南座@京都

世界のうた、残り三回。あっという間に後半戦。
幕が上がって、お顔とマイクを持った手だけを出していて左右から二枚の青い光沢のある布に包まれた玉さま。それがするっと舞台端からひかれて玉さまと舞台全体が現れる。
やっぱりこの演出最高!劇場サイズに合わせてだろうけど左右からの布以外ぬにも玉さまのお顔から上の部分も布が垂れてそれもいっせいに舞台袖にひゅるんと引かれていく。

** <第一部>

- 冷たい海の世界地図


- 少年時代

曲によりなんだけど、わりとこの二曲、特に少年時代のときは曲の途中途中でにっこりされてその表情見るとハッとするしにやにやしてしまう!今回そういったこともわりと多くて、あー!にこっとされてる、嬉しー!ひゃ!!!!っていう瞬間が多かったのだ!!
そして、他の日はどうかわからないのだけど、二日目の玉さまは緊張されてたのか、歌の最中に真っ白いキラキラのお衣装の足元が、交差していてかつ前に出した足が真横を向いているというまるでバレリーナスタイルに途中でなっていた。その形にするときもゆっくりと、衣装の生地が生地だと思うから、キュッと音がするのね。だから余計に緊張されてるのかな?って印象がしたんだけれども。どうなんだろう。不自然な形さえ自然にそして美しく素敵な玉さまよ・・・。

そして二曲が終わると玉さまのご挨拶。初日は「八千代座に始まり日生劇場で東京初日を迎え…」そして南座への流れだったけど、二日目は「昨日が初日、今日が千穐楽でございます」客席「(笑)」という話も(笑)二日間はあっという間に終わりだよー。さみしい…
で、この南座二日間とも「世界のうた」ではなく「世界をうたう」と仰って、玉さまがそう仰るのだからそうなのである、と思っていた(笑)
どんな内容にするか制作の方やら演出家の方たちと相談されたそうなんだけども、今回「世界」だけれども日本もいれよう、ということでそうなったそう。
曲を紹介するときに「『冷たい海の世界地図』と・・・・の曲です」まさかの「少年時代」を度忘れの玉さま(笑)!しばし沈黙、思い出そうとするがいっこうに出て来なくって観客が見守る中、とうとう「・・・の(今の)曲です」と紹介(笑)可愛かったー!!無限に繰り返して見ていたいくらいきゅんきゅんする瞬間!!だったよ!!

劇場と家の往復のみの忙しい22歳のころ、丁度このアルバムが出て聴いてらしたそう。初日「この曲を聴くと地球を巡って宇宙の果てまで行けるようで」というお話も言葉も素敵で、二日目も言い方は違うけど「地球」「宇宙」という言葉で同じようにおっしゃってた。
このあとにお歌いになる曲の紹介で「五月の別れ、もう七月ですが…」と、そういうところを細かく毎回自らつっこみをいれる玉さま(笑)陽水さんの詩は男女の別れだけではなくて、別なものも感じると仰ってた気がするけどなんだっけ…


- 五月の別れ

「誰もいない海」の曲紹介からの、海と玉さまご自身の縁のふかさ。切っても切り離せない関係であり真鶴で二人のお兄さんがスキンダイバー、1950年かな?にダイバー(ダイビング)ショップを経営し始めたそう。お兄さんたちををやっていて自分は遊んでたと(笑)その頃からその海との関係が形成されてたとか、おっしゃってなかったっけ…

夜明けのうたは、岩谷時子さんの60歳のお誕生日のときに玉さまが歌うことになり、岸洋子さんが「一緒にうたいましょう」というようなことを仰ってくださったそう。昼間働いて夜学に通っていた方を描いた曲で、歌うときに歌詞を変えて「僕」で歌っていいか、と聞いたら、岩谷さん「もともと僕、で作詞した曲」といわれたそう。確かに、その背景なら「僕」のほうがぴったり。

「その次はシャンソンの世界へ(二日目はフランスへ、と)」と仰ってニコッとされるのもたまらん。いうことで「18歳の彼」原題は18歳の彼、だが長いので18の彼。玉さまの仰る「18の彼」ってちょっといつも最高だと思ってるんですけどわかりますかね、私がわかってればいいんだけども(笑)


- 誰もいない海


- 夜明けのうた

ここで、お着替え。はけていく際に、会田さんのソロ。初日は会田さんの前を通るときに右手を会田さんの方へ広げながら、左手も少しあげながら。二日目はよりはっきり会田さんを手でふうわりと高めなところから手を出しながら舞台袖へ。


- 18歳の彼

この曲の時、去年のコンサートでは舞台真ん中の背面にグリーンの照明で照らされてたと思うけど、今回は同じような色の使い方はなかった。だけど、照明の当てかた、どこからどのように当てるのかで印象が違うものが多くあったように思う。
照明は違うやりかたでも玉さまが空を仰ぐようなところはそのまま。玉さまの見ている景色が見たい。

曲が終わり、MC。次の「そして今は」の曲は、作曲者ジルベール・ベコーブリジット・バルドーに大失恋して曲、ということを「今だからお話しできますが・・・」と教えてくださる玉さま(笑)そしてその次の曲「パダム・パダム」この曲の「パダム・・パダム・・というところは」と口ずさみながら、「心臓の音、何かに追いかけられているのか、または戦争時代だったので兵の足音か・・・」と解説してくださるけれど、このことを去年お歌いになった真琴つばささんにもこの背景をお伝えしてたんだろうなぁと思う。真琴さんもそのようなことを仰っていた気がるし、歌の伝わり方が物凄くて、鬼気迫る感じがこの背景を思い描いてのことだと想像できる。


- そして今は


- パダムパダム

- 待ちましょう

「そして今は」この曲の感情とその大きさが物凄く伝わって失恋のうただけどとてもスケールの大きい歌に感じる。「パダムパダム」も迫りくるものを十分すぎるほど感じさせる玉さまの歌の迫力。「待ちましょう」は曲調は明るいが戦争に行った恋人を待つ歌。あの二曲のあとだからこそ明るくてもこの曲の「待つ」という意味が余計に響く。この3曲を並べたことで、「待ちましょう」をより伝えるものになっていると思うし、凄い・・・。

二代目喜の字師匠のお母さまの感想を聞いて、まさに!!って思ったので以下引用。
玉三郎さんてそんなに声量の必要な男役ないから、あんなに歌えるってボイストレーニングがきっかけにだったんよね?普通トレーニングはトレーニングで終わるよね。
お金とって聞きに来てくれるって、それをご自身が由とするレベルまで歌えるってすごいよ。
なんていうのかなぁ。正統派の歌いかた、音符とか記号とか気持ちとか、色んな要素をきちんとすべて入れてるって感じ。上手に見せようと自分なりにアレンジしたりとかがないのがいい。
心酔してるようなファンじゃないから率直な感想が言えるのかな、それにしても、プロのオペラの人に負けてなかったよね。
ほんとにトレーニングで終えるレベルでないって見いだした先生もすごいよね。一人で二時間、おしゃべりもなく歌いつづけだもの。すごいね、今日コンサート行けてよかった。」っと仰ってて、本当にそう!!
玉さまは全く歌い方などに変なくせをつけたりせず、まっすぐに、でも曲により歌い方を変え、気持ちを深くまっすぐにそれであり、届けている、そんな感じがする。
そして「歌の時でも平行移動やったね!すごい体幹なんやろなぁ!」とも仰ってて、なるほど!そういえば!!と思った(笑)!!だから、お歌いになっている時も舞台上を横や前後ろに移動されたり、その場で動かれていても無駄な動き感が全くない!!!だから優雅で美しいんだ・・・改めて玉さまの凄さをここでも知った・・・。

1978年に発売されたシャルル・デュモンさん作曲で岩谷さん作詞(確か)の「ユーヌシャンソン 越路吹雪ア・パリ」というアルバムがあり、その中の一曲として「人生は歌だけ」が入っていて次の曲はその曲、とのこと。「越路さんの晩年に作られたこの曲は悲しいというよりも…」と仰って「人生は歌だけ、のようにみなさんなにか持っていらっしゃるかもしれませんが、演奏家のみなさんは五才、六才ころ楽器を始めているそうで」初日は「皆さん○○だけ、というのがあって、南座の劇場のひとも…六才からは働いてないと思いますが(笑)(玉さまご自身は)7才から働いておりました(笑)」二日目は「ドラムの方は3歳からお父様の影響で始められたそう」とのこと。
二日目。玉さまは「自分には舞台しかない。劇場の中に居ることそのものが好きで、舞台に立つ、ということがなくても、切符のもぎりをしたり舞台に何かかかわりのある仕事をしていたい、と思っていた」とのこと。このお話は今までも聞いたことがあるけれど、玉さまには舞台があるように、別の立場からだけど自分にとっても玉さまの舞台・コンサートは毎回、驚き感激し、心が豊かになる非日常な空間を体験させていただいていて、欠かしたくないものになっているよなぁと思う。


- 人生は歌だけ


- 水に流して

「水に流して」も、玉さまにぴったりの曲だなぁと思う。玉さまご自身と重なるから玉さまに語り掛けられている感じがして(ほかの曲も全部そうだけど、この曲は特に素の玉さまから)刺さる・・・。
歌がおわり演奏とともに玉さまがお辞儀をされて先に舞台袖へ。一幕が終了。


** <第二部>


- 虹の彼方に

岩谷時子さんに玉さまが訳詞をしていただいたけれど、その原稿用紙をなくしてしまい、今回書かれていた言葉を思い出し玉さまが新たに詩をつけたという(パンフより)この曲と後の「星に願いを」。玉さまは今回何曲か訳詞をつけてらっしゃるけれど「お恥ずかしいので、(クレジットにも)その表記はしていませんが」とのこと・・・そうなの!!書いてない!けど曲解説読めばわかる!!後半はほとんど玉さま訳詞。で、この曲の最初の方「この世がこわれちゃって」の「こわれちゃって」という言葉も歌い方、歌っている時の玉さまの表情も可愛くてエンドレス「この世がこわれちゃって」を見て聴いていたい・・・。それくらいキュートなんです素敵なんです。もしかしたら岩谷さん訳詞部分かもしれないけど、玉さまな気がするんだよなぁ。歌詞全体がきゅーっと胸を掴まれる感じがする。
後半からはコーラスの方達も参加。最初の曲が「虹の彼方に」そして迫力のコーラスあり、というのが本当に素晴らしかった。素敵な演奏と、玉さまが優しく話しかけるように歌ってくださるのとで、この曲の世界の光景が浮かびあがってくるし何より夢がある。


- スマイル

「スマイル~」と歌ってしまうと原曲の良さにはとても叶わないから、「ほほえんでごらん」「ほほに~」と、「ほ」で始まるような詩にしました、とのこと。この曲の時も曲通り、にこっとしながら歌って下さることが多く、幸せな一曲。


- マック・ザ・ナイフ

明るい歌を入れようとのことで、この曲と「ある恋の物語」を演出家の方が提案してくださったのだそうだけれど、調べていったら両方そういう曲ではなかった、ということも定番のお話になったようで、この日もそのことを苦笑いしながらお話されてた(笑)「この曲はぶつぎりの(出来事が並べられた)歌詞だけど・・・役者なので(そう演ずるように歌う)とのこと。一日目はこの曲が歌い終わると、役で?なのか素なのか、ちょっと苦い表情をされていたようなきがしなくもないんだけど、二日目はそんなこともなかったようにみえた。

時間がたってしまったためこの辺からがあやふや💦あとで直します


センドインザクラウン


ある恋の物語


星に願いを


サムウェア


すべての山に登れ

2幕が始まったときからコーラスの方たちの凄さをどの曲でも感じるけど、やっぱりこの曲では特別。玉さまの歌自体にも強さを感じる。
どこでだったか忘れてしまったけど、メンバー紹介の時に、コーラスの方たちのことを「ふだんは、オペラで主役をはるような方たちなんですが今回コーラスに(笑)私と同じ、門下生で、歌の先生が同じなんでございます」と仰ってて「見に余る光栄」という言葉を使わずしてそのことを表現されてました!
でも、喜の字師匠のお母様も仰っていたように、素晴らしいコーラスの方にも負けない歌声で玉さまの歌は聴きいってしまうし、なんて幸せなコンサートなんだろうと思う。


アンフォゲッタブル

アンフォゲタブルで本編が終わり、アンコールでつぎの曲の流れだったはずが、アンフォゲタブル始まる前に「最後の二曲」って仰ったんです…ん?アンコール分も先にカウントしていれてしまったのか、それとも特別にもう一曲用意があるのか…。
三枝さんと一言交わして、最後のワルツへ。


最後のワルツ

客席からのやまない拍手。玉さまは出てきてくださったけど。あれ?アンコールは…やるよね?やりますよね?と思いつつ、幕がおりそれでもやまない拍手。
再度玉さまが出てきてくださったけどマイクをお持ちでない。えーと、アンコール曲ももしかして本編で歌ってしまったのかな…(笑)
そしてもう一度拍手があった気はするけど、玉さまがマイクなしで出てきてくださり、上手下手全体へ、演者の皆様へ、全体へのお辞儀で、観客側も、あ、アンコールないんだ、ということを理解して(笑)おわりました。
玉さまの帰りのご都合でいっぺんにアンコール曲まで歌われたのかしら、と思ったけど三枝さんとのやりとりのときに、三枝さんからしたら、「え?まとめていま?」と不思議に思ったかもしれないし(笑)、どちらにしろ拍手は長く続いたので終わり時間は変わらなかったと思うのだけど。最後の拍手のときに、その前にも「ブラボー!」と言う人もいて、たぶんその方が「しんちゃーん!」と呼び掛けてました(笑)「ある恋の物語」のときだったか、玉さまがステージから下手へ移動する際にも「しんちゃーん!」と呼び掛けていたみたいで、それを聞いた玉さまは、明らかに思い切り振り替えって少し驚いた様子にも見えたんですが、おそらく「しんちゃん」と声かけされることもあまりないでしょうから、びっくりされたんだと思います(笑)
「しんちゃーん」言いたいよねぇ。わたしも「しんたん」と言いたい(笑)