やっぱりLiveが好き

目の前の空間を味わうのが好きな人の記録🍀

「坂東玉三郎 能楽堂特別舞踊公演」 6/15,16  MOA美術館能楽堂 ②


緞帳もなにもないので、舞台上は次の演目の為の準備がすべて見える状態。
なので口上が終わり幕間に入り、しばらくすると、舞台後方右奥の小さな出入り口が開いて(切戸口というらしい)、(恐らく)富山清琴さん達のお弟子さんが三絃やお琴やその周りのものを用意し、玉雪さん功一さんがろうそくを用意されていた。
土曜日は割と舞台に近い席だったけれど、それでも客席から見ていて、どなたかすぐにはわからない、身長差くらいでしか判別できない程の照明の明るさ。そんな中であるべきところに設置するのも、またその際の袴姿できちっとした姿勢で準備されてるのがかっこいい。
始まる直前に、二本のろうそくに灯を付ける玉雪さんと功一さん。恐らくLEDライトか何かの照明なんだと思うけど💦その灯を付けることさえ、この「雪」の中のひとつのように見えるし、他の劇場では幕が開けばすべて用意されているけれど、こうした過程までもがその世界を作り上げているようで、能楽堂で観ることができて本当によかった。

 

<雪>


幕間後、能楽堂全体がうっすらとした明るさだけの照明になり、その中で橋掛かりを歩いて玉さまが出て来られる。「雪」の時はまだ出て来られるのがわかるくらいの明るさ。
僅かな衣擦れの音とともに静かに歩く玉さま。舞台中央で傘を差し音楽が鳴る。ここに来るまでの間も、ただの準備の時間・空間などではなく、玉さまが出て来られた時からこの「雪」が始まっているようだった。

土曜の脇正面から観る玉さまは、正面からはなかなか観ることのできない横からのお姿がたくさん観ることができ、深い膝の曲がりかた、お着物からも分かる太ももの線、次の一瞬の為にどのように足を動かし広げそこに 移っていくのか。それは裏側(現実)を見てしまった感ではなく、次の動きへと支えていく体の動きの凄さを間近で観たようだった。
「雪」は最初に客席正面に対し背を向けての登場だけれども、その後、脇正面に対して正面になったときのその後ろ姿は、客席正面から観ている時とはまた別な感じがした。
もちろんどの角度へも意識はおありな中で、脇正面からは本当にその場面の一瞬、その人物のすべてのなかの一瞬を観ているというか・・・なんとなくそんな気がした。
背を向けたときに見える後ろ側、うなじからその下、その両脇のお着物の左右均等なシワの入り方。それぞれが美しさの一端を担っているどころか、その一点で圧倒的な美しさを放っているんですよ…。

で!横からのお姿、ということは、横顔をほぼ常に拝見しているということ!!
額から鼻筋、口元から顎のライン…もうこの玉さまの横顔があまりに美しくて!!見入ってしまうんです。なんて美しいのか…。ため息ものでした。

玉さまの舞に、清琴さんの唄と三弦と清仁さんのお箏。音楽、歌があることで世界がさらに広がり、情景がより見える、この地唄舞の時間て、観れば観るほどもっとじっくり聴きたいもっと感じられるようになりたい、知りたいって思うようになってきた。なかなか玉さまに集中して観ているから、その後ろ側のように聴こえている時もあるのだけど、この世界の凄さに魅了されて、どんどん好きになってきている。すべてがめいっぱいそのまま受け取れるようになりたいなぁと思う。

曲が終わり、橋掛かりへ歩いて行かれる玉さま。客席は拍手するのも惜しいくらい、この時間をすべて見つめていて、その静けさの中、玉さまが揚幕の中へ。そしてやっと拍手が沸き上がる。「雪」の余韻を感じながら、まだ終わっていないかのような地続きの世界を感じながら、こうして集中して観られることはしっかり噛み締めてずっと味わうことができて、本当に贅沢で最高な時間だと思った。

 

<葵の上>

「雪」が終わると、舞台上では次の準備が始まる。上手側にはお着物なのかな、その布がかけられたものが用意されて、前方には葵の上を表す小袖。ろうそく?も一本。
こうして作られていく舞台上を観ているのも普段はないことだから見ていてより楽しみになる。

「雪」とは違い、会場が真っ暗なところからの始まり。橋掛かりから玉さまが出て来られるんだろう、と思ってそちらに注目していたものの、全く見えない。でも、かすかに音がしたのでその真っ暗な中、舞台へ向かわれたのだと思う。
御息所がそこに居るだけで、その悲しみと闇に覆われた気持ちのようなものが目の前の空間に現れている。そこから昔のことを回想する場面に入った途端、世界が変わったことがよくわかる。御息所の視線の位置が今をしっかり見ているような、まっすぐな水平線の位置になる。それまでは視線が下に向かい、前を見据えることはなかなかなかったように思う。視線の位置が変わったと同時に、生気がよみがえり、活き活きとした舞に変わる。
これらのことが本当に一瞬で起き、世界を変える。音楽、照明、色んな力もあるけれど、何より玉さまがこの「パチン」と切り替えた瞬間に、それが伝わった。
そこから一転、葵の上への恨みでいっぱいの世界になる。DVDのように明らかに表情を変えているわけではないように見える。でも、立ち姿、特に手の動き、からその「重さ」が伝わってくる。恨みに支配された世界は、暗く、相手を捕らえて離さないような鋭さがあって、唐織を脱ぎ、頭から覆いその中に御息所が居る。この、恨みがこれでもかとわかる場面の圧、そして最後、この唐織の中に、暗くなっていく照明と共に消えていく御息所。この最後に消えていく場面も凄く好きだし、最初からこの最後まで御息所の高貴さはそのままに、この想いと、御息所を通して見える世界の変化、その良さが今回初めて分かった気がする。今まではその「恨み」「闇」の凄さばかりに注目していたけど、その人物が心を変えると一瞬にして世界が変わってしまうこと、そのすべてをこうして観られる「葵の上」がより好きになった。


<鐘ヶ岬>


「葵の上」が終わり次の舞台上はどうなるんだろ?と、舞台転換自体がすでに楽しみになってました(笑)ですが「葵の上」で使用したものを下げることで、この幕間は終わり。でも確か玉雪さんが小袖を畳んで下げてらしたと思うんだけど、やっぱり美しいなぁと思いました。
そしてこの後の「鐘ヶ岬」は「〇〇」が待っていた・・・スパークしましたよ、もう凄かったー!!続きはこの後。

「鐘ヶ岬」もほぼ真っ暗な中から始まります。あ、玉さまが今通られた気がする。通っていく感じまでの気配はわからず、ほんと、一瞬の音と気配だけ。「あれ?いらしたかな」くらいでしかわからない。そしてその後にもう一人通られた気がする・・・
演目が始まり照明が明るくなると、なるほど!!舞台に近い橋掛かりの先端のほうに玉雪さんが待機してらっしゃる。お二人目は玉雪さんだったんだ、ということが判明。

京鹿子娘道成寺」からできた「鐘ヶ岬」。この形で観られることもとても嬉しい。
まず、照明がついて明るくなり、舞台真ん中の玉さまが現れたときの、客席のどよめきが凄い。この劇場ならではの緊張感があるから他の劇場よりは抑え気味にしてはいるものの、美しいお着物を着た玉さまの艶やかさ、その輝き、みんな吸い込まれて声をあげたくなるのが凄くよくわかる。
二日目の日曜は舞台から離れた席で全体を見渡せる位置だったんだけど、そこから観ていると、だんだん無心になり、清姫のその舞の動きと空間そのものに魅了されてその世界に連れて行ってもらったような感じだった。その時の感覚を表すのは難しいんだけど、その中に居ると何も浮かばなくなり、でも感覚は物凄く感じている。自分の思考とか余計なもの一切置いて、この世界をまた味わいたい、そう思った。

玉さまの清姫が桜を観る時には、私達にもその桜が見える(感じる)。玉さまのその目の中に、その手にあるのがわかる。それを感じられることが本当に凄いことだと思った。

途中で衣装の「引抜」がある。ここで玉雪さん登場。それまで橋掛かりの端に居られた玉雪さんが、舞台中央の玉さまの後ろとなる位置に移動される。
いつも客席から観ている時は、玉さまの後ろの玉雪さんがちらりと見えるくらいなんだけど、今回初日は脇正面。そこからは真横に見えるとは言わないけれど、ほぼそれに近いくらいの位置から、引き抜き最中の玉さまと玉雪さんお二人の動きがほぼほぼ見える。
最初に玉雪さんが、太い白い紐を左右二本抜き(これは正面席からもわかる)客席に対し背を向けた玉さま(玉雪さんに対して正面)ここからですよ・・・
これは初めて目撃(!)することが出来たのだけど、お着物の黒と同じ(客席から見て同化して見えるまったく着物の地の色に対して目だたない色)黒い糸を何本もシャッシャッ!!と抜いたり、たまに糸?をプチっと切ったり、この数、手数、速さが想像をはるかに超えるものだった!!!次から次へと休む間もなく糸を抜き、それが終わったと思ったら帯の下から、抜くお着物をジリジリと慎重に、かつ注意深く、かつ極力早く(そのように見えた)下へずらし、その間、玉さまも美しい優雅な動きを保ったままシャッシャッとお着物を外し、そしてささーっとお着物を引き抜いて白いお着物の玉さまが現れる。
長年続けてきたことだから慣れてらっしゃるでしょうけれども、それでも全く間違えることなどできないであろう余る時間は一切ない中で、あれだけのことをコンマ何秒単位で確実にすることができ、かつ間に合わせるいうのは、本当に凄いと思った!!!
脇正面から観ていた他の人達も食い入るように見ていて、完成したときにはいつもよりもさらに、そして引抜自体もそうだけど、玉雪さんに対して「凄い!!」!!という気持ちのこもった拍手と、この場面をこの位置から観れるなんて!!という喜びにあふれた拍手と声にならない(うっすらもれている)歓声だったと思う!(少なくとも私はそう思った!)
初日に脇正面からこの場面を観ることの出来た私は、あまりの凄さに驚いて、そのあとの場面があまり頭に入って来なくなってしまった位感激した!!
それくらい凄かったんですよ。普段は目にすることのできない場面を見せていただいて、本当に嬉しく楽しかった。
二日目に遠くから拝見していてもその素早さと鮮やかさはよーくわかり、やっぱり凄いなぁ…と思わずにはいられなかったのでした。


<カーテンコール>


「鐘ヶ岬」が終わって照明が暗くなり、客席の拍手とともに明るくなる。演じ終えた玉さまが舞台中央でお座りになられていてお辞儀をされる。手を左右に伸ばしお辞儀され、それと共に再び大きな拍手。今度は脇正面の方へ体も向きを変え、正面からは斜めに見える位置で、脇正面にお辞儀をしてくださった。このときに、客席をしっかり見て、応えてくださっている、心で、内側で、通じ合うことが出来ている、そう感じた。
玉さまの目が、表情がやっぱりパッと一瞬で変わるんだ。それを観ることの出来た私達が、心が何段階も一気に「ふわっ」とあがる感じ。そんな表情をされてるんです。
そして、清琴さん、清仁さんのほうに手を向けながら、私達の意識もお二人の方へ。この時もまたひときわ大きな拍手が上がる。お二人の素晴らしい演奏、そしてその玉さまの心を想い、拍手が一段と大きくなるのだろうと思う。

玉さまが静かにお立ちになり、客席に一度も後ろ姿を見せることなく、舞台後方へ下がられて、橋掛かりと地続きの所まで、下がられると、そこから橋掛かりへ歩いて行かれ、揚幕の中へ歩いて行かれました。
その様子が、このすべてを持って、完結、という感じがして、それ以上の長い拍手はしなかった。そこまで盛り上がっていない、などということではなくて、このすべてに「美しさ」を感じさせてくださったあとに、もう一度そこから出てきていただきたい、とすることがなんだか野暮なことのような気がして、それはできない、しない方がいい、そんな風に思った。
もしかしたら、今後、この能楽堂で公演を毎年してくださったら、そのようなことがあるかもしれないけど。
この二日間は、他の劇場より男性も多くいらしてたようだし、普段のお客さんのほかに、ここの能楽堂に通われていたりするのかな?という感じの方もちらほら・・・
なによりこの「能楽堂」という場所が、足を踏み入れたときからその独特の厳かな雰囲気と神聖さが感じられ、おしゃべりなどあるまじき、という緊張感とピリッとした空気に満ちていて特別なものだったから、この場に合うことを必然的にする、という雰囲気になったのかもしれない。
玉さまもこの能楽堂という場所(幕がなくすべてを客席に見せなければならない必要がある、他の劇場に比べ制限のあるところ)に合わせて、今回の登場からすべてをお創りになったのだと思うし、その玉さまの居方、在り方、佇まい(←同じこと指してるけど全部言いたい(笑))歩き方から登退場すべてに至るまで、この能楽堂に合わせた一番しっくりくるものをお探しになられ、あの素晴らしいすべてが出来たのだと思う。
制限は、逆に「この場所でしか観ることのできない特別なもの」になり、
普段より少なめの客席、脇正面の客席を始めこの能楽堂の作りと雰囲気は、地唄舞の世界を濃密にそこに存在させることのできる、特別な空間だと思った。

玉さまのことでも、演目のことでもないのだけど・・・今回この二日間で「望むことに意識を向ける」ことの大事さをこれでもかというくらい味わった。「望まないこと」を、心配して不安になって、出来るわけないとあきらめることではなくて、いかに「望むこと」から目をそらさないか、それが本当に現実を形作ってくれるのだということ。それを目の当たりにした。

最高すぎるこの二日間と気づき、感謝、ありがたさ(←また同じことだけど(笑))でいっぱいの、本当に幸せな時を過ごさせていただきました。ありがとうございました!!!