やっぱりLiveが好き

目の前の空間を味わうのが好きな人の記録🍀

「坂東玉三郎トークショー」 7.18 刈谷市総合文化センター

噂に聞いていた質問事前受付ボックスというものがあって、トークショー恒例の質問コーナーでの質問を受け付けていたわけです。
どうしよう、たいそうな質問書けないし…と思ってたんだけど、前々から思っていたことがあったので、とりあえず入れてみた!

そしてトークショー、スタート。
玉さまは、襟が詰まった白シャツに白いパンツに白い靴下。靴はイタリアのお写真でも出てきたシルバーのスニーカー。そして、初めて見る黒と白のチェックのジャケット。そして、今日はカルティエの時計。写真のときはブルガリの時計で、今日はカルティエです、っていう流れで。このまえインスタでストライプのジャケット姿を拝見していたので、またチェックのジャケットという珍しい玉さまのお姿が見られてよかった!
まず、愛知県と言えばのお話で玉さま個人的なご縁のお話はなかったものの、愛知と言えばトヨタ、玉さまはトヨタの車二台お持ちだそう。この愛知といえば、の話で会場の反応が薄かったので、なんで?っていう反応になってた(笑)

最初は歌舞伎のことから。どのようにして立女形へ、お話。歌舞伎の世界に入るときに、実のお母様は心配のきもちから「この子につとまるわけがない」と仰ってたそうだけど、お父様は「しん坊がやりたいって言ってるんだから」と背中を押してくれたそう。しん坊、という言い方も、お母様の気持ちも、本当に可愛がられ愛されてたんだなぁという感じ。おうちには檜の床?もあって、(玉さまが仰るには昔はどこでもあった、とのことだけど・・・)そこで踊っていた、というようなお話だったような。実のお父様は、玉さまの歌舞伎座での公演で観に来た時、終演後、ロビーにいる他のお客様に玉さまのことをお話ししたくてしょうがなかった人。実のお母さまは、そういうところはきっちりわきまえていて、最後まで表に出るようなことはされなかったそう。で、そのお父様のことがあったので、終演後、車がすでに迎えに来ているようにして、ロビーでのお話をしないように工夫されていたとのこと(笑)どうしても言いたくなってしまうお父様がも素敵(笑)そこをきっちり締めるお母さまも。
鷺娘のこと。メトロポリタン歌劇場で踊られた時、客席と舞台の大きさが同じで、なので楽屋から舞台にたどり着くまでが通常より長い道のりで移動だけでも大変だったそう。引き抜きなどがある時の衣装は、着崩れしてはいけないので、舞台にたどり着くまでに歩く距離が長いのが良くないとのこと。姫路城だったかと思うけど、そのためにカートで運んでもらうこともある(あった?)らしい。メトロポリタンでは、もちろんカートを使うわけにはいかなかったので、ゆっくり歩いていったそう。最後に鷺娘を演じた歌舞伎座最後のとき、なんらかの理由か思いがあって、かな?(ちょっとこの辺りを覚えていない)最後鷺娘が息絶えて終わった後、舞台へお辞儀をしていた、と。それを勘三郎さんに実は見られていて、何してたの?って言われたという(笑)
役をおしまいにするとき、実際にやってみてこのクオリティのものが次も出来るか無理かがわかるし、すぐあるならまだしも数年後ならもうできない、と言う風になるので、事前に最後と言うことが言えない、やってみてわかること、と。
次の歌舞伎座公演(幽玄)のこと。(チラシに)書いてあるあれだけじゃわからないでしょう?・・・と(笑)。確かに、羽衣、石橋、道成寺だけではわからないよなぁ、幽玄観てない人は。最後の道成寺は歌舞伎役者の人たちで、立ち廻りあり。舞踊の演目、とのこと。

至福の時は?のアンサーとして、お昼寝(眠りが浅いので、昼寝をすると頭がすっきり冴えると)、数年前だと海に行くことが至福のときだったが、最近だと至福…というか、今までイタリアには何度も行ったがシチリアには行っていないので今回は初めて回られたそう。シチリア(島)とは言わないんだそうです。正しくはシチリア。反時計回りで回られたそうで、泊まったホテルが開業前でそこのご主人がとてもよくしてくれて撮影のためにも快く場所を提供してくれたと。今度は招待するからまたすぐにいらっしゃい、そのようなことを言ってくれて、とても良い人たちだったとのこと。

スライド写真とともに、シチリアでのお話。白いお洋服が多くてイタリアのきれいな空の色や建物の色に映えていて素敵だった。今日と同じチェックのジャケット、花柄のシャツなどをお召しになった写真が合って、「撮影や対談の時にしか派手なものは着ないんです(笑)!」と何度も仰って普段はそうではないことを念押しされてました(笑)
写真の最後に、アコーディオンをもった大道芸人のおじさんとの写真があって、玉さまたちが現れるとすかさずゴットファーザーのテーマを弾いてくれて媚びることもなくとても素敵な方だったそう。言葉は通じないしアイコンタクトなどでのやり取りだったけど、その絶妙な距離感と空気感が表れているすごく良いお写真だった。玉さまのおつきの人かな、どなたかが1ユーロ?を渡したら、それじゃだめ、って玉さまが10ユーロを渡したそう。そういう、相手のかたに対してきちんと応えるところも玉さまらしくて、そのおじさんも自然によい笑顔をされていてこのお写真本当に素敵だった。
ホテル?のレストランでの二人組、違うホテルで働くための研修か学びのためにここでバイトをしてるのだそうで、イタリア人と思ったらフランス人で、玉さまがフランスのどこそこというホテルに泊まったことのあるお話をしたら、「あの一流な所ですね」と反応があり、さすがだなぁと感心したそう。この二人も玉さまも本当にいい笑顔で映ってらして、楽しいお話が出来たのかな、って想像できるような素敵な写真だった。

質問コーナー。最初はお食事のこと。余計なものが入ってないものを取ること、腸壁内が綺麗だとお肌の綺麗なので、腸を綺麗にすること。カビが良くないので、果物でもカビているところは取ること。梅川さんが「ブルーチーズとかは・・・」全力でかびている食べ物を上げた!(笑)珍しい、こんな風な球を投げる梅川さん(笑)それに対して玉さま「昔からある伝統的な食べ物は良いらしいから(笑)」って笑いながらお話されてて、なかなか面白い展開でした(笑)
そして!!二枚目。私は質問用紙を二つ折りにせずにボックスに入れてたから、玉さまのひいたものが二つ折だから、私のってことはないなって思ってた・・・んですが!!!どうも劇場の方が玉さまが取りやすいように全部二つ折りにしてくれていたらしい。最初に名前を言われて、同じ人か名前を書いた人かなぁ。と思ってたら、私だった!!!
質問内容をまとめるのに梅川さんの手を煩わせてしまい、玉さまに質問するまで少し時間かかっちゃったから、玉さまマイクさわったりされてて・・・いたたまれない、あの瞬間は💦質問は超完結に書くものだ、って勉強になった(笑)
内容はコンサートで全国回られて、コンサートが始まる前と実際始まってから、心境の変化などありますか?ということ・・・ヤマハホール初日の緊張された様子の玉さま、大阪でもそうだったけど、皆の前で歌うことに対するお気持ちが、よりこういう風になった、などあるかなと気になってたかので、それを書いてみた。もう、自分の質問だ!ってわかってから、全身心臓状態で、ドキドキしすぎで、お答えがあまり耳に入ってこないという事態に!!あー、全部覚えていたかったなぁ。まあ、しょうがないので(笑)最初は緊張したけど、最近はそうでもない、というようなお返事だった気がする・・・越路さんの歌の時代、そのころのような良い歌がその後も作られるかと思ったらそうではなく、だから今その頃の歌を歌わせていただいている、ということも仰ってた気がします。歌っていってもいいですか?のような問いかけを客席にされて客席、拍手、のながれもあったような。ほんとね、うろ覚え(笑)どれだけドキドキしてたことか(笑)
質問を二つ書いて、一つ目の質問を梅川さんがしてくださったあとに質問用紙をファイルに閉じていたから、あーやっぱり一人一問だよね、しょうがない・・・って思ってたらなんと!!一つ目の質問に玉さまが答えてくださったあと、ファイルから用紙をとりだして二つ目も読んでくださった!!梅川さん神!!!二つも書く私も私だが(笑)両方読んでくださるなんてなぁ。そしてうまくまとめてくださって・・・梅川さんに感謝。
で、二つ目。共演の方との面白いほんわか場面、エピソードを今までたくさん見聞きしてきたし、何度も一緒に回られて、どんな様子か知りたかったんです。和やかにお話されてるのかなぁとか。なので質問は「共演の真琴さん達とは舞台裏でどのようなお話をされていますか?」という単純なものだったんですけど(笑)、真琴つばささんたちは元男役の
人達だから、ドレスを着慣れていないらしい、と。玉さまも、「スーツ着慣れていませんよね?」と言われてなるほど、とびっくりしたとか(笑)
衣装のことについての質問。帯を締めたりするものはそんなにもたない、と。一公演25回、それきりだったか、100回だったか。帯をしめたりしない打掛はそれ以上もつそう。衣装の制作期間は半年から一年。豪華な打掛などは一年かかるそう。
勘三郎さんのこと。勘九郎さんと七之助さんが小さかったころ、楽屋で勘三郎さんに、眉の書きかたを「こうしたほうがいいんじゃないの?」とアドバイスしても返事も何もなかった、と。子供たちがいなくなったら、「子供たちの前では言わないでよー」と言われたそう。そういうところが勘三郎さんにはあったそうで、玉さまは勘三郎さんのことを「のりちゃん」と仰ってて、楽しそうになつかしそうにお話されてた。

今後のこと。「70歳を過ぎたらあっという間に人生が過ぎていくから早く仕事をしなさい」ヴィスコンティさんのお言葉だったかな、それを引用されて、演出をしていきたい。舞台に立てなくなっても、そういう夢の空間を作ること、携わることが好き(この辺曖昧です)だから、チケットのもぎりでもいいから最後までずっと劇場に関わっていきたい、と。ここでだったかな、この後も歌っていくこと、演出等していくこと、それについて「よろしいですか?」と客席に問いかけ、拍手、だったのは。
このお話を聴いている時、八千代座公演をあと数年、おそらく二年・・・でおしまいにしようと思っている、と仰っていた会見から初めて玉さまのお声を直接聞くことのできる機会だったから、いつも以上に、玉さまの、きっぱりとした姿勢、お気持ちが伝わってきたように感じた。こういったことを、直に、まっすぐ、受け止めなければいけない、そのための最初の日、という感じがしてしまって。玉さまはもっと以前からそういったことを仰っているし、ずっとその姿勢は変わらなくて、受け止める側がやっとそう受け止め始めた、というだけのことかもしれない。だけど、玉さまのその凛としたお姿、そういった姿勢を見て、感じて、改めて、きちんと受け止めなければいけないんだ、ということを痛感した日だった。だから、そういった気持ちを自分の中で反芻させながら、今の有難さを噛み締めながら、帰ってきた、楽しくもあり、辛くもあり、というトークショーの一日でした。