やっぱりLiveが好き

目の前の空間を味わうのが好きな人の記録🍀

「二月大歌舞伎」夜の部 歌舞伎座 2/7

名月八幡祭

※物凄く重要なところを間違えて書いてたので訂正(※のところ↓)

 

以前、松緑さんが書いたブログでの記事に、玉さまのことが書かれていて、

松緑さんのお父様が新助、にざ様が三次、玉さまが美代吉。その映像を繰り返し見ていた時の、玉さまの美代吉に「本当に焦がれ憧れ恋をしていたんだ」という気持ち。その一文を読んで衝撃だった。松緑さんがそのような想いを抱いた玉さまの美代吉とは、どんななのか、本当に楽しみだった。

 

玉さまの美代吉は芸者としてのプライドはありつつも、親しみの感じられる女性だが、三次には弱い。たかりに来るにざ様の三次の軽さ、美代吉に対してはここぞというときにはやさしさを見せつつ美代吉が自分と離れないのはわかっている、というような自信の持ち主。このお二人は夫婦のような空気感、こなれた感じが見ていて本当に気持ちいい。美代吉が乗っている舟から新助に声をかけて去っていく様子もさりげなくて粋でとても素敵だった。その後の場面での、時間経過とともにだんだん薄暗くなっていく照明もとてもよかった。

美代吉の母の歌女之丞さんからは日常の生活感が感じられ、その母とのやり取りのなかで、美代吉の三次への気持ち、新助に助けてもらおうか、利用しようか、という気持ちが出てくる。メインの話の部分も大事だけど、こういう、それに至るまでの部分が自然にみせられる役者さんとして歌女之丞さんはさすがだなと思う。

堅物でありまっすぐな松緑さんの新助が、美代吉に惚れているところがかわいらしい。惚れられる美代吉も、さっぱりしてるんだけど、女っぷりが良いという感じがよくわかるという感じ。

新助にお金を出してもらうためにあれこれ語る美代吉が、悪気はないんだけどつい上手いこと言って何とかしてもらおうとするずるさが可愛くもあって、本気で惚れてる新助が取る行動には気づくわけもなくて、後のことを思うとこの場面は苦しくもなるのかも。

美代吉の軽い反省と、新助を軽くあしらって縁を切ろうとする事、新助の背景をばかにする事、美代吉と三次との仲睦まじい姿を見せられることで、美代吉と一緒になりたいという自分の願いと引き換えに大事なものをたたき売ってしまった※新助のしたことの重大さがより際立って、その重さに鳥肌が立つくらいだった。

美代吉の家から引き上げる新助。その新助がこれ以上ないくらい気を落としていたものの、花道へ差し掛かった時、スイッチが入って狂気に変わる。この時の松緑さんの表情は、私の席からはあまりよく見えなかったけど、それでもその狂気となった瞬間がよく伝わってきた。

ここまで見ていて籠釣瓶のような作品なのかなと思ったら、全然違ってた。

 

祭りの陽気な場面、楽しそうな美代吉、それに対しておかしくなった新助のことを探す人達、新助を気にしてまわる魚惣の歌六さん。徐々に陰の気が流れ始めて、

歌六さんの、新助を気に入りなにかと気にかけている様子、大事なものを失った新助を想う気持ち、美代吉と三次の新助への軽い言葉への怒りをにじませた様子、それらがどの場面も、こんなにも情深い様子が手に取ってわかるかたがいるのかというくらい、本当にこのお役は歌六さんがぴったりだと思った。

皆の前に狂った新助が現れて、又消える。セリフを話すと前のまっすぐな新助とあまり変わらないような印象を少しだけ感じたけど、それも杞憂だった。

永代橋が落ちたぞ!」と皆が右往左往するところから、舞台上が一気に陰へと変わる。刀を持った新助が現れて美代吉に斬りかかる。セリフではなく全身のその動きから、なにより新助そのものから狂気がにじみ出てた。

雷が鳴り雨が降る中、新助に金を投げつけられ、転がりながら逃げる美代吉。この一連の流れでの、陰の吸引力が凄まじくて、雷も雨もすべてがそれを構成する大事な要素で、なんといっても一番にそれを成り立たせているのは松緑さんだった。後半の狂気の新助はもちろんだけど、その前の新助のまっすぐさに心打たれるからこそ、その後がいきているんだと思う。今、仮に他の役者さんがどんなに上手く演じても、この松緑さんにはかなわない、そう思うくらい、魂で演じていると感じる松緑さんだった。

 

美代吉が建物の中で斬られ、新助だけが出てくる。その新助をとらえる人達。まるで神輿を担ぐように両手両足をとらえられて担がれる新助。舞台上から花道へと行った時、新助が突然上半身を起こし、不気味に笑いだす。

美代吉が舞台上に残らないことで新助と、新助を担いでいく人たちだけになる。そのことでより新助に視線が集中し、狂気だけが残る形になっていた。

お祭りの「陽」。新助と凄惨な場面の「陰」。↑のこの一連の対比と引き込む力の凄さに惹かれて、この演目が一気に好きになった。芝居そのものを好きになるってよっぽどの事で、今回のこの演目は、役者さん、芝居、話、演出、照明・・・すべてが心に残る素晴らしい芝居だった。

「名月八幡祭」このタイトルでもある「月」。松緑さんが月を見つめる場面の月のことか!と見終わった後に気づいた💦その場面も印象的だったんだけど、次回もっと感じて観てきたい。

 

芝居、歌舞伎・・・見方は本当に一人一人違うし、何に重きを置いていてもそれも自由。だから私が感じて私がそうするだけのことだけど・・・私も玉さま、にざたまのお二人が大好きだし、そのお二人を観るために今回観に行った。玉さま、お二人が出演されている時にはたとえ主役ではなくてもメインに観ている、感じるときも多い。だけど、今回は何よりも前にして言うのは当てはまらない、と思った。

実際に観て感じたことは、主役の松緑さんの芝居ありきで、そして美代吉、三次、に自然となっていった。お二人が松緑さん主演のこの舞台に、それぞれの役として華を添えていて、松緑さんが光るように、絶妙な塩梅でお二人が加減をされているのではないか、と感じるくらい、本当にその役にふさわしい光り方、重要度、在り方で舞台上に存在している気がした。

その話の中での役に合わせた大きさ、在り方をするのは、お二人にとっては毎回当然のようにしていることだと思う。でも肝心の人が自ら光らなければ、すべてが素晴らしいと感じるようなものにはならないと思う。今回の演目で松緑さんが主役を演じる意味を、本当にお二人は大事にして、そのように舞台を作っていかれたのではないか、と思った。

 

以前目にしたその松緑さんのブログの記事

555 | 尾上松緑、藤間勘右衞門の日記

玉さまのことについての部分だけでなく、こんなにもこの演目に対しての思いのある松緑さんが、まさに魂で演じてらっしゃる。そういった演目に玉さまが関わってらっしゃること、その関わり方、そういった意味でこの演目を観ることが出来たこと、又芝居として素晴らしいこの「名月八幡祭」を観ることが出来たことが幸せだし、心から満足のいくものでした。