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シネマ歌舞伎「沓手鳥孤城落月/楊貴妃」東劇 2/21

沓手鳥孤城落月

上映が始まってから四回目の観賞。東劇でこの映画を観るのは初めてで、ロビーに劇中の写真が貼られてました。
最初は映像の中の玉さまにキャッキャする気持ちが強かったけれど、四回目になるとそこは最初よりも落ち着いて観てこれました。
本編前の特別映像。その中の、舞台となった大阪城の今の映像。お城の壁の白さがまだわかる明るさの橙色の空から、その白さも見えなくなって紫や濃いピンクの空の中にある、黒いシルエットの大阪城
こういう自然の映像美に、玉さまの繊細な感覚が感じられる気がするし、舞台での照明にもそういった玉さまらしさが現れていたりするけど、そういったことを感じとること、表す、という感覚が素敵だなぁと思う。

本編。この演目以外でも、とくに感情をあらわにするような役の時、玉さまが台詞を言うとき、衣装の上からもみぞおちを中心とした上半身が物凄く動いていることがわかって、その時のお腹のへこみと膨らみというか、その動きが見ているだけでどれだけ身体全体を使うことなのかすごくよくわかった。
身体の動きだけでなくて、淀君を演じている時の玉さまの胴体に感情がぎっしり詰まっていて、そこからあふれ出しているように感じがする。でも淀君の感情をただあふれさせるのではなくて、コントロールする冷静な部分を常に持っていているから観客側によく伝わる芝居になっているんだろうなと思う。
二月歌舞伎座夜の部の熊谷陣屋で、吉右衛門さんと歌六さん、とくに吉右衛門さんに同じようなことを感じるんだけど、そのバランスがあるから観客側に説明的でないのに、自然とその場面のことやその人物の気持ちがよく伝わるんだろうなと思う。その上手さがある人はぐいぐい引き込まれるし、目が離せなくなる。

淀君の目には物凄く感情が溢れてる。淀君の途切れ目のない感情、その移り変わり、錯乱状態の時に淀君には見えているなにかがある、ということ、それらを観ている側も感じられる凄さ…本当に一瞬一瞬玉さまは淀君を生きている、そういう素晴らしい役者さんを観ることができるというのは、この上ない幸せだと思う。
奥殿での最後の場面の淀君千姫、本編最後、糒蔵での淀君と秀頼。舞台中央でのこの幕切れ場面がそれぞれ実際の舞台とは違って早めに切り上げれ、次の場面に写ったり、その次の楊貴妃へと移るんだけど、いままで見ていたときには、実際の舞台のようにもっと長く見せてもいいんじゃないか?って思ってた。いい場面は長く見ていたいというのもあるし(笑)
でも、今回見て、映画館で映画として流すものならこの切り上げかたがベストなんだなっていうことがわかった気がする。その辺の見やすさ、作品としてどうするかということが本当によく考えられているなぁと思った。

楊貴妃

特別映像の中で玉さまが、本編で楊貴妃翡翠のかんざしを頭から手に取る、そのしぐさを素の状態でしてくださるのだけど、かんざしのほうに視線をいかせることなく、ふと何気なく頭の後ろの方に手を持っていってふっ、と取る、そのしぐさのさりげなさが本当に素敵で、手のもっていきかたや頭や身体の角度に美しさしかなくって、その場面を見てるだけでうっとりする。
本編では、琴の音色の深さ、幕が開いてやわらかい照明に照らされる籠のような中にいる楊貴妃楊貴妃がそこから顔を出した瞬間、そこから一本の線の上を歩く美しい足取り、それら全部があまりにも素敵すぎてその瞬間毎にため息が出そうになる。
止まっている瞬間、動き出すとき、踊っているとき、その緩急、視線、黒く長い髪が動くこと、楊貴妃の身体の一部のように一体となっている衣装、すべてが気品と美しさに溢れている表現になってる。楊貴妃が作り出すもの、纏う空気…ほんっとに全部に心奪われて毎回夢の世界に来たような気持ちになる。心の中がふわあっと照らされて満たされて幸せで、そんな気持ちにさせてくれる人ってそうそういない。だからこそまたもとの世界に戻ってしまう、この演目の終わりに近づくときも行かないでほしいと思うくらい寂しさを感じて切ない。
こんなにも素敵な楊貴妃を、いま、玉さまが演じてくださって本当によかった。またこの楊貴妃を玉さまに演じていただけますように。