12月5日、NHKニュース番組での阿古屋についてのインタビューと密着。
玉さまの指導場面、梅枝さん児太郎さんのお稽古風景、児太郎さんが3年前の玉さまの阿古屋を毎日見ていたことについてのインタビュー、そして梅枝さんの本番、児太郎さんの鳥屋から舞台へ向かう様子、玉さまの岩永・・・
それらを見ていて、お三方の「今」「今に至るまで」その気持ちと在る姿を、まんま感じられた気がして、そのままが入ってきた感じがして、泣けて仕方なかった。
普段、後継者とか、そういう言葉が好きじゃないから自分の中には入れなくて、
というのは、歌舞伎の流れを観ているのが好きなのではなくて、「玉三郎さん」が好きだから。
今回もそういうめがねをかけて見ていたわけではなく、自然にこの「今」があることがただただ嬉しくて、そう思えたこともまた、嬉しかった。
<阿古屋>
阿古屋。初めて目の前で観ることができました。
花道を歩いてくるその人は阿古屋そのもので、今、自分の目で、見ることができていることが不思議なくらいだった。どの瞬間も、楽器を弾いている時も、阿古屋しかいなかった。琴の音色、勝国さんとの三味線、これが本当に本当に最高で、勝四郎さんの唄と阿古屋の唄、これらすべてがうまく合わさるあの時はあまりにも素晴らしすぎて、胡弓もほんとに素晴らしくて、ずっと聴いていたかった。
音色が美しいというだけではなくて、そこにずっとある阿古屋のこころ、重忠や岩永とのやり取りで見せる心意気や内面、それらが自分の中に入ってきて、あまりにも満たされて、これ以上何も入らないというくらいに。ずっとずっと、阿古屋を見ていたかった。
そのあとの二演目を見たけれど、申し訳ないけれど、阿古屋で終わりにしたかったなぁ、と思ってしまった。児太郎さんも以前よりもさらに柔らかみが増したようで良かったけれど、その二つがどう、ということではなく、阿古屋で心底満たされて満たされて、気持ちがいっぱいで、そこにそれ以上のものは入らなかった。
終わってから、何もしたくない、ただ感じきっていたいというのは「吉野川」以来で、そんな風に感じられる阿古屋を観ることが出来て、本当に本当に、幸せでした。