やっぱりLiveが好き

目の前の空間を味わうのが好きな人の記録🍀

「十二月大歌舞伎」<Bプロ> 歌舞伎座 12/19

阿古屋

児太郎さんと梅枝さん、お二人とも好きだけど、観るたびにぐんぐん柔らかさが増して来ているように感じるコタさん。そのコタさんの念願だった阿古屋を観てみたい、と思い行ってきました。

花道からの出、お芝居の部分、とても堂々としていて、コタさんが阿古屋としてあの玉さまと同じ役で同じ舞台に立っている、ということがとても感慨深くてじーんときた。これはきっと梅枝さんを観ても同じことを感じるだろうな、と思う。三曲をそれぞれの楽器で弾くときに、阿古屋の気持ちを乗せようとしていることがよーくわかる。プラスする、というような感じ。歌は苦手なのかなと感じる不安定さで、勝四郎さんに歌が変わる時も玉さまのようにどこから、ということがはっきりせずに、不安なんだろうな、ということが感じられてしまって、でもこれは後々練習を、回数を重ねることで良くなってくることだと思う。

お三味線の時の三味線方の勝松さん。コタさんのほうから目を離さず、じっと見てコタさんに合わせている感じ。その様子を観ていても、主役として引っ張る立場のコタさんもそのようにだんだんなっていくこと、それまで周りの方達のこうした様々な支えがあって、だんだんと出来上がっていくものなのだろうな、と思った。

楽器を弾いている時もいっぱいいっぱいな感じはにじみ出ていたけど、そりゃ、まだたった数回本番終えただけだもん、当たり前だよね(笑)阿古屋を演じる、ということに手を挙げて、阿古屋として舞台に立つ、そのことが今回一番凄いことだと思う。

 

そして玉さまの岩永。凄かったー!!!瞼に目を描いていたと思うのだけど、実際にご自分の目を開けていた時があったのかな?それほど遠くはない距離だったけど、全くわからず、なのにとても表現豊か。それに、体の動き。まんま人形のような動き。足のすねの所に人形としての黄色い足が着いているけど、それがついている意味、ということがよーくわかった。玉さまのその後ろの本物の足とは別の動きで、重力を感じないような、どの部分で関節がついていてそこにぶら下がっているあし、というようなことまでわかる。Aプロの時の松緑さんの岩永の動きを見ていて、その岩永のもっと人間寄りで滑稽さが出ている演じ方もそれもまたそれだろうけど、そういう動きだと、ついている人形の足の意味が見えてこない。そういったところが、今回の玉さまの岩永を観ていて、人形の動きでの岩永だったらどういうものか、その形をしている意味と言うことがたくさん発見できた。ただ、座る、ということひとつにおいても、扇子を膝の上に立てる、ということにおいても、人形ならではの動きでそれは凄かった。

実際の玉さまのお顔より何かで大きくしているのか、化粧でそう見せているのか、やっぱり全然わからなかったけど、追及する玉さまの凄さを十分すぎるほど感じられました。

 

傾城雪吉原

玉さま、ずるい(笑)ずるいなんて言ったら失礼だけれど、もうそれぐらい、毎回どれだけ人をハッとさせるような演出を思いつくのか、凄いにもほどがある。

最初の場面、ほぼ真っ暗で背景の雪景色がうーっすらわかるくらいの中に降り注ぐ光る雪。キラキラ、よりもっと光って見えて物凄く綺麗なんですよ・・・。本当に心をわしづかみにされる。で、その靄をかけていたような薄いスクリーン状のものが上にあがってしばらくすると松の木(のような気がする)の手前には玉さまが!!!ここまで結構時間があるのに、それなのにわからないんです、玉さまがいらっしゃるのが。それぐらいその場所は暗くしているし、そのタイミングで玉さまの傾城が浮かび上がるように現れる、なんとも幻想的。夢のようにあらわれた紗の傘をさした傾城が、少し高い下駄を履いていて雪の中を歩く。傘をとじる仕草、打掛の裾をさばきながら歩く様子、その打掛を肩からおろすとき、玉さまがお一人で舞台でいらっしゃって、歩き、しぐさをする、そのことで傾城の心情、季節を十分に感じられる。夏の暑さに汗をぬぐうしぐさ、秋の夕陽が照らす様子、派手な表し方ではないのに、淡いけれどたしかにその季節を感じる照明の色と、その当て方に、玉さまが表したいものの繊細さとその再現力の高さに驚いたし、その景色を知っている、人間の感じることの出来ること、にもスポットを当てた舞踊な気がして、美しさだけでなく、心に温かな灯をともすような演目でした。