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NHK-FM 「明日への言葉」杵屋勝国さんインタビュー

玉さまの立三味線でお馴染みの勝国さん。
弾いているお姿がなんとも肩の力が抜けていてかっこよくて、
玉さまが舞台上にいらっしゃらないときは、勝国さんばかり見てしまいます。
ラジオでインタビューがあったので、好きすぎて書き起こししました(笑)。
勝国さんがお話されるときはとても穏やかで、言葉が丁寧でお優しそうな方という印象でした。
ちなみにどの漢字かわからないところは平仮名のままです。


聞き手のディレクターさん→D  勝国さん→勝

JXTG音楽賞邦楽部門受賞について

D「受賞理由としては、繊細さ豪快さを併せ持つ名人芸、また歌舞伎の立三味線として、長唄界を牽引するお役目を表彰されました」
勝「有り難うございます。私にとってはこういう賞をいただくというのは光栄に、感じております。昔、モービル音楽賞というのがあったんですけど、我々としては憧れの的なんですよ。名前は違います(変わった)けどね、本当に光栄に感じております」

勘三郎さん勘九郎さん達のこと

D「10月の勘三郎さん追善公演で、勘九郎さんが務める舞台で立三味線として舞台を支えておられました」
勝「17代目、18代目、勘九郎さん、三代私が後ろで三味線をひかせていただいております。17代目は、花道に出てくるだけで絵になる、お客様がうわーっ!と湧く、もちろん舞踊がお上手、よく可愛がっていただきました。
18代目は、躍りでも何でも人間味が出るんですよね。彼も楽しく踊るし私も楽しく三味線を弾かせていただいたことです。
今度の勘九郎さんの場合は、踊りは…こういうこと言っていいかどうかわかりませんけど、18代の勘三郎さんよりは、僕はお上手だと思っております。今回の勘九郎さんね。
ただ、18代目の人間味、そういうのがまだお若いですしちょっと足りないかなと思って後ろで弾いております。この先ね、勘九郎さん七之助さんも、きっとその人間味が出てくるんじゃないかと思っております。」

歌舞伎の舞台、立三味線の役割

D「歌舞伎の舞台のご説明をしたいんですが、歌舞伎舞踊で雛壇が設えられていてそこに演奏する方が並んでいらっしゃる」
勝「今回八ちょう八まいでやったんですけどね、八ちょうのちょうっていうのは三味線のことなんです、まいってのは唄のことなんです。
八ちょう八まいってことは三味線八人、唄が八人。その前にお囃子さんが7,8人並んでやっております」
D「立三味線、立唄というのは八人ずつの中央にお二人並んでるんですよね」
勝「立三味線ていうのは、いわゆる指揮者なんですよ。コンダクターみたいな感じで、立三味線の掛け声一つでね、三味線を一緒に弾かしたり、唄を唄わせたり、舞踊を踊らせたり、という感じで私はやっておりますので、非常に大変というか大事な役目なんですよね、 それを30年以上やらせていただております」
D「オーケストラの指揮者ですと演奏者の正面で向き合うので合わせることが容易いかと思いますが、横一列ですよね?」
勝「私の掛け声一つが指揮者の棒になりますね」
D「ここでその掛け声聞かせてもらっていいですか?」
勝「『ほぉーーおっ!』『よっ』『よーいっ』色々ありますけどね」

玉三郎さんについて

D「 立三味線として色々な方の舞踊を支えてらっしゃって」
勝「坂東玉三郎さんの舞踊に関してもひかしていただいているんですけど、僕が言うのもなんですけど、玉三郎さんは、天才ですね。もちろん音楽だけじゃなくてね、音響、照明だとかそういうもの完璧になさる役者さんなんですよね」
D「玉三郎さんが、『華やかな音色とのりの良さが、勝国さんの三味線の魅力だ』と仰っていましたが」
勝「それは本当に有難い言葉なんですよね。テンポのいいのが、のり、良いのりって言うんです。日本の音楽では。のりっていうのはすごく大事なんです。
玉三郎さんは天才ですからね、『勝国さんの思うとおりに弾いてください』っていつも仰るんですよ。ということは、あんまり躍りを見ないで弾いてくれと、いう意味なんですよね。だから三味線をきちっと正しく弾けば、それに自分が合わせて踊るから、というふうなこと、だから凄くやり易いところがあるんですよ。こちらの思った通りののりでやります、そうすると『それがいい』っていうふうに玉三郎さんは仰ってくれるんですよ」
D「相性の良さっていうんでしょうか」
勝「そういうこともありますね。35,6年のお付き合いですからね。色んなことも向こうも僕のことをわかってらっしゃるだろうし、人間味というのもお付き合いかもわかりませんね」

玉三郎さんの立三味線を務めるようになったきっかけ(鷺娘のことから)

勝「鷺娘は、500回以上やらせていただいています。」
D「鷺娘が玉三郎さんの立三味線になったきっかけでもあるんですよね」
勝「そうですね。僕が34才の時に新橋演舞場で、娘道成寺で脇三味線でした。立三味線が芳村伊十七さんていう上手い人、その脇で。
その次の年から『勝国さん弾いて』って玉三郎さんから言われて、35才のときに浅草公会堂で鷺娘で初めて立をひかせてもらいました。そのときに供奴(ともやっこ)っていう曲もあって、それは18代勘三郎さん(とも)踊られたんです。・・・ですので(玉三郎さんとは)40年近いお付き合いさせていただいております」

勘三郎さん七回忌、25日間公演を務めることについて

勝「(勘三郎さんが亡くなられたのが)早すぎましたよ。だってこれからですよね。もっともっといい役者になられるの。ほんとにびっくりするやら悲しいやら、でしたね」
D「その追善で無事にお務めになられましたけども、歌舞伎は25日あるから大変ですよね」
勝「25日間のうちで『あー良かったな』っていうのは2,3日しかない。やっぱりちょっとすれ違うところがあるんですよね。長唄の通りやってるつもりなんですけどやっぱりちょっとタイミング合わなかったりね、そういうところはほとんど、ちょこちょこありますよね。だから完璧にできたなっていうのは2,3日しかないっていうことですよね」
D「25日間だと風邪とかありますよね」
勝「それが一番心配なんですよ。例えば唄うたいなんかね、1人風邪をひくと、うつっちゃうんでしょう。声が出ないでしょ。皆に本当に、用心するよういつも言っております。」
D「マネージメント的なところでも責任者として役割があるんですね」
勝「そうなんですよ。ちゃんと八ちょう八まい揃えないとね、舞台にはね。だからほんとに欠員者が出ると大変なんですよね、人集めがね」

玉さまの阿古屋について

D「今月は玉三郎さんの阿古屋にご出演で…」
勝「玉三郎さんの阿古屋は天下一品ですよ。とにかく、途中からお琴、三味線、胡弓弾くんですよね。あれだけできる役者さんてのは今玉三郎さんの他には居ません」

 
玉さまのことを語る時の「天才」とか「他にはいません」の言葉の言い方にとても力がこもっていて、もうそれだけでどれだけ凄いかということが十分すぎるほど伝わってくるほどでした。
舞台上の「指揮者」として、「弾かせる」「踊らせる」といういい方は、その「役割」としてそう表現されていただけなので、こうして文字にすることで誤解がなければいいなと思います。
あとディレクターさんの「掛け声を今やってください」という無茶ぶりにもこたえてくださって(笑)生で聞けて有難かったです。
なぜかここまで真面目に書きおこしをしてきましたけど、後半はざっくり要点を。

  • ご両親が趣味で長唄をやっていたと。ご実家(料理屋さんで、日本舞踊の稽古場でもあった)の隣に長唄の先生がいらして6歳の6月6日から三味線のお稽古を始めた。子供だから譜面を読めないから毎日10分くらいずつ。嫌いじゃなかったから続いた。
  • 杵屋寿太郎先生、勝三郎先生に習い、15歳で名取の試験を受けるところを14歳で受けて合格。先生たちの勧めで東京へ。藝大で山田 抄太郎先生の三味線でなにかがひらめいて「こんな素敵な長唄三味線があるのか」と一生懸命ならってそこからプロを目指した。勝三郎さん、家元や周りの方達はみんなよくしてくださって、だれもいけずするような人はいなかった。
  • 家元の教えで心に残ることは、芸でも何でも基本通り真面目に正しく勉強するということを教わった。家元から受け取ったことを正しく後輩たちに伝えようという気持ちでいる。
  • これからは若い人たちに三味線をやっていただくしかない。学校の先生たちにまず教えて、そこから学生たちに本物に触れてやってほしい。
  • 長唄は一曲が長いので(長いもので一時間以上)抄曲集(曲を五分程度にしたもの)を演奏してお客様に興味を持っていただいている。舞台のセリを使ったり、観る邦楽にも力を入れている。やるたびにちょっと変えたり、違う演奏を心がけている。皆さんに観に、聴きに来ていただきたい。自分としては古典が好き。残っているのは名曲ばかり。
  • 若い頃は早弾きやテクニックなどをがむしゃらにやっていたが、人生経験が出来てくると、人間味のある弾き方を研究しようという気持ちになっている。
  • これからやりたいことは、芸を研究するのは当たり前のことで、満足と言うものはない。そうして研究していきつつ、後継者を育てること。


もともとの環境から長唄三味線に導かれているように思えるけど、勿論勝国さんご自身の努力があって、さらに憧れるような人も、人生を変えるような演奏も、出会うべくして出会うんだなぁと思う。
一生この人を観ていきたい、聴いていきたい、と思える何かに出会えるのって、やっぱりそのようになるものだったとしか思えないし、そこまで思えるほどのものに出会えたということは大事にしたいなぁと、改めて思った。

勝国さんのインタビューはこちらにも

webronza.asahi.com



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