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「九月大歌舞伎<東海道四谷怪談>」 9/24,27 歌舞伎座

こちらも絶対に書きとどめておきたいと思った演目、四谷怪談

にざ様の伊右衛門宅に連れて来られる、橋之助さん演じる小平。「指を折れ」という伊右衛門の指示で、仲間の長兵衛たちが小平を拷問。最初のこの場面から、この話の底に流れるダークさを物凄く感じる。
その後に伊右衛門宅にやって来たのは借金取りの役の玉雪さん。そこに隣家、喜兵衛に仕える乳母、おまきを演じる歌女之丞さんがやってきて、伊右衛門に代わって借金取りにお金を渡し、産後の病に苦しむお岩に薬を届ける。


そして玉さまのお岩さん。
病ではあるけど、品の良い方。なにかと親切にしてくれる隣家に対し、子供へ届けてくれた着物はお隣の娘、お梅さんが縫ってくれたものだろうか、と、嬉しそうな、憧れともいえるような表情をして思いを馳せている。伊右衛門へ、「隣家へ礼を伝えに行ってほしい」と頼むお岩さん。そのセリフの最後に「坊の為にも」という言葉があり、そういったセリフや子供を見る仕草や表情ひとつひとつに我が子への想いが溢れていることが伝わる。
ここまでは、伊右衛門の前でのお岩さん。伊右衛門が去った後、普段どんな仕打ちを受けていて、ただ父の仇をとってくれるというその約束の為だけに一緒に居ることがわかる。自分の着物の内の腕を触りながら語る様子(ただ触っているというだけではないのです、繊細な表現)が、日ごろ受けている暴力がどういうのもかを言葉は少なくても想像することが出来るし、子供、しかもその時代は重宝がられていたであろう男の子を産んだというのに、毎日文句を言われて針の筵だという語りと、先程の伊右衛門を見ていたらどういうものか描けるようになっていた。この場面は全体に比べたら地味だけど、語ることで情景をもうかばせる、とても重要で引き込まれる場面だと思う。


もらった薬を飲む場面。
お岩さんのその仕草と動きの丁寧さを見せることで、この薬、隣家に対する想いが浮き彫りになっているんだなと思う。お湯が沸き、それを湯呑に入れて、熱いところを布に包んで運んでくる。手を拭き、薬紙を広げ、薬を手のひらに乗せて飲む。薬紙を湯呑の上に乗せ、残さないように紙の底をはたいて全部湯呑に入れて、飲み切る。この時に、隣家に手を合わせ、有難いという気持ちが伝わることが、後で全部ひっくり返ることに繋がるのが、もう凄いと思った。一度全部見終わっていなくても、「その薬(毒)を飲んだらダメだ!」ということくらいはわかっているから、この丁寧さと人への想いをきちんと持つお岩さんを観ているのがなんとも心苦しい。

自分は直らないだろうから、母の形見の櫛を妹に届けたい、と大事にする姿。それだけでも母への想いが凄く伝わってくる。
薬、毒を飲み、落ち着いたお岩さんを宅悦が目撃して、顔が変わってしまったお岩さんが出てくる。目に重いものが出来た分か、声のトーンも今までよりも低く、連動しているところをあらわすとそれを感じられるのがわかる。


隣家伊藤家では・・・。
24日に観た時は気づかなかったけど、長兵衛たちに出された「お吸い物」とは小判のことだったんだ!!だから「伊右衛門のお吸い物はどんなものか」と気にするという・・・。ということを千穐楽でやっと気付いたんだけど、それだけ「お金で人を動かしたい」ということの象徴の場面か。
伊右衛門に惚れている孫のお梅。母のお弓、萬次郎さんも娘の為なら嫁がいようともという強引さ。「孫、子の願いをかなえてやりたい」という、純粋な気持ちが動機のはずが、ここにもダークなものしか感じられない。やっぱり、底のそれがどうしても見えてくる。行動だけでそう判断して言っているのではなくて、この話には、「『嫌悪感が湧く』人の中にある黒いもの」が太く流れているなぁと思う。でも、嫌だから見たくなく、それが自分の中に、誰の中にもある見たくないものだからかな、なんて思ったのだけど。

そして、お岩に届けた薬が、人の顔の形を変える毒薬だったことを告白すると、それを届けた張本人であるおまきはどうしているのかと見ていたら、驚き、下を向きくらい雰囲気になったことで、知らずに届けていたんだな、と思った。の場面で、後ろに居ても、登場人物として心が動いている、それを歌女之丞さんはしっかり表現されているのがわかった。


伊右衛門が帰ってきて家の金目になりそうなものを奪っていく。
お岩さんが死守したのは櫛、子供を守るための蚊帳。櫛は伊右衛門があきらめたので、どうしたも守りたかったのは蚊帳=子供。結果的に爪がはがれることになっても、それだけは奪わせたくなかったお岩さんの、我が子への愛の深さがどれほどのものかがわかる。そういったところをとても丁寧に玉さまは演じてらっしゃるからこれだけ印象に残るんだと思う。
この場面で、お岩さんが唯一、伊右衛門を頼りにしていた「父の敵討ち」さえも伊右衛門にあっさり撤回され、出ていけと言われる心情は、観ているよりも演じる側は物凄く感情が動くわけで、この間にお岩さんがどれだけ失意のどん底に叩き落されたことかと思う。


伊右衛門に言いつけられた宅悦がお岩さんへ言い寄る。
フラフラな状態なのに、武士の娘として、嫁としてのプライド、気概を見せる。それがお岩さんという人物を支えるものであり、どんなに虐げられても、中心にこれがどっしりとあるのがこの人なのだと思わされる。


宅悦からすべてを明かされると、それが恨みに変わる。
相手だけを恨めればいいものの、隣家を信じて有難いと思って、誰も見ていないところでも頭を下げ、感謝の気持ちを持ってきた自分のことを恥じる。隣家にその気持ちを表していたお岩さんを思うと、この恨み、自分を恥じる気持ち、まずは自分自身を責めるお岩さんを観ていて、苦しくてたまらない。
その場面が印象が薄ければ、きっとここまで強烈に思うことはないんだと思う。丁寧に描き、演じるからこそ、その後に活きる。それが凄くわかる。
今回物凄く惹きつけられた場面は、いくつかあるけど、その中で一番は、今までの感情が恨みに変わり、人間が恐らく感じたくない感情を一気にすべて味わい、苦しむ、このお岩さんの場面。毎回このすべてを演じ、感じる玉さまというのは本当に凄いことだなと、思わずにいられないくらい、すべてのこの表現が凄まじい。この場面を観れて本当に良かったなと思います。


隣家へ言いにいくというお岩さんが身支度をする、髪梳きの場面。
髪を梳きあげ、お歯黒にしていくと言ってきかないお岩さん。お歯黒を塗る時、恐らくもう体がしびれているとかで、本来の形より物凄くはみ出ているように見えて、それを良しとしているところが、やっぱりもう何かが狂っているようなことを表している気がする。
髪を梳くと、大量の毛が抜けてくる。頭を逆さにして、丁寧に髪を梳き、頭を上げた時に前髪が無くなりあの姿に。
すごく現実的なことを書くと、この時取れる前髪の仕組みはどうなっているのかなぁと。ぺりっとはがれる式なのか、鬘の上に鬘、なのか、実際に鬘から大量にそこから抜けるようにしてあるのは完成形がマチマチになるしなぁ、と妙に冷静にそんなことも思ってました(笑)それだけ見事なので。
この時には声色も変わり、もうこの世の方ではないような、そんな気がしてしまう。


宅悦ともみ合ううちに、さっき自分が柱に刺した刀に刺さり、命を落とすお岩さん。
この時の苦しむ様子も、あまりに見事でのめりこんでみてしまう。どんな表情をされているのか、映像でも確認したいくらい。
お岩さんの子供は大きなねずみがさらっていく。前に違う舞台で四谷怪談を観た時に知っていたけど、この場面がこんなにはっきりとは言葉にできないけれど、とても象徴的。


伊右衛門が帰宅し、すべてを聞いていた小平を殺し、お岩さんを殺した犯人に仕立て二人を仲間に運ばせお梅を迎える。こんなことがあったその家に、さっき死んだ妻と殺した男がいた場所へ新しい妻を迎えるって凄いな、と呆然としてしまった。
お岩が出てきたと思って殺すとそれはお梅で、小平と思って殺すとそれは喜兵衛で。この辺も素早くて考えたり迷ったり逃げたりすることもなく殺すのが伊右衛門なんだよなぁ。


隠亡堀の場。
暴かれ家も何もかも取られた伊藤家の母と乳母おまき。おまきはねずみにとられたお守りを追って沼に落ちてもう戻れない。母はそこにいるのが伊右衛門と知らず、沼に落とされ死んでしまう。どこまでも人をおとしていくこの伊右衛門に「うわぁ・・・」という何とも言えない深いため息しか出ないほど、もうとことんだな、と思っていたのだけど、
「首が飛んでも動いてみせるわ」の台詞。ここが極めつけだった。この台詞を言うときのにざ様の伊右衛門が、本当にそれそのものにしか見えない。
正直、この幕の前までは、にざたまとはいえ、玉さまの、お岩さんだけと完全に言い切ってもいいくらい、玉さまお岩さんの話だった。
だけど、この一言ですべてがひっくり返った。それをも含んだ伊右衛門の話なんだ。どこまでもこの人物が起こし、それでも生きる、信じられない「悪」「業の深さ」が圧巻で、すべてを「受け止めている」なんてカッコいいもんじゃなくて、逃げるだろうけど、それでもそうして生き続ける伊右衛門のとてつもない大きさみたいなものを、このにざ様から感じて、この話は「『にざ玉』だから」ここまでのものになったのがよーくわかった。


最後にだんまりの場面。こういう場面で歌舞伎って面白いしカッコいいよなと再認識する。全然よくわからないときもあるけど(笑)この最後でよかったなぁと思いました。


千穐楽はカーテンコールもあったので、それは次の記事にします。