その②の続きです
リスナーの方からのメールを紹介
右 (メール紹介)『玉三郎さん、待ってました、太和屋!』
玉 (笑)
<(メールの続き)小学生の時に玉さまの鷺娘をきっかけに歌舞伎好きになった方。玉三郎さんと右近さんお二人で踊ってくださる舞踊が見たいのですが、お二人で踊るとしたらどんな舞踊演目がやりたいですか?との質問>
右 お兄さんと並ばせていただいちゃって僭越、申し訳ございません(笑)
玉 とんでもないです(笑)何かね機会があったらやりたいし、そんなに歌舞伎を観てらっしゃる方がいたんだったら、何かやってほしいってものを教えていただきたいですよね
右 お兄さんと踊らせていただく機会が、もしあれば、是非また
玉 踊りとか歌とかお芝居もそうだけどね、いつまでたっても反省とか後悔だなっていう気がするのね。
きれいな言い方をするわけじゃないけれども。まあ、やっていくしかないよな(笑)て、ハッハッハッ
右 いち後輩の一人として、舞台を拝見する、そしてご一緒させていただくっていうお時間、そのお話を伺うことと同じように、そういうお時間をいただきたいし、
目の当たりにしたり同じ空気を吸ってみないと学べないところっていうところに、ご無理を申し上げる形になってしまうんですけども
玉 とんでもない。でも、僕たちの時代っていうのは明治生まれの先生が多かった。
明治って江戸のにおいを持ってた人たちでもあるんだと思うのね。
やっぱり今のようにやることが多様化してなかったので、稽古場と自宅と、実生活と舞台しかなかった。
他に寄り道するとこがなかったので、することが少ないから稽古するしかなかったっていう時代が、
大変だったとは思うけれども、それが、自分の運命だったような気がするのね
右 はい。やることがたくさんあるっていう有難みと、それだけ分散してしまうというところの葛藤というのは、今後も皆抱いていくことなんだろうなっていう
玉 そうだろうね
右 何かするにしてもちょっとした手間がかかるっていう時代に、憧れるようなところもあるんですよね
玉 そうだね。でもそれを戻すわけにはいかないから、それをどうやって使って、
そういう質の良さっていうものに繋げていくかってことを考えるのが、あなた方の世代の使命なのかもね
右 もう本当に月並みな言葉になってしまうんですけど
玉 (笑)
右 本当に心して頑張ります、と申し上げるしかないのと、あとお話伺えたり
玉 でもまた行きますからさ、そこに(笑)
右 本当ですか!えぇーー!!(笑)!!
玉 そういう話で良かったら、いくらでもできるから
右 本当ですか??お兄さん仰いましたね、僕もう忘れないですよ!
玉 もう右近君の番組を乗っ取って、あっはっはっはっはっ!
右 いやーもう、乗っ取らないでください(笑)そこはお兄さんのこう微妙なところで乗っ取るか乗っ取らないかくらいのところで(笑)
玉 そうですね、やっぱりね、聴いて下さる方が楽しんでくださるってことが大事だから。もうちょっと自由に出歩けるようになったら、電話じゃなく、はい
右 嬉しいです
邦楽ジョッキーについて
右 邦楽ジョッキーの話を伺いたいんですけど、僕も邦楽ジョッキーの流れを汲んだKABUKI TUNEという番組をさせていただいてるんですけども、
初代パーソナリティーをおつとめになってたじゃないですか、一年間、昭和51年4月ですか。
どんなことを発信なさって、思い出とかってお話も伺いたいんですよ。どういう風になさってたのかって。
玉 もうね、手探り状態だったっていうのが率直な所ところかな
右 20代でいらっしゃいますよね
玉 25位でしょ。いわゆるDJとかってものすごく盛んな時代でね、50年60年になると。それを邦楽でやるにはどうしたらいいだろう?っていうことになって、
僕の好きな曲を、僕の思いのみで進めるっていう、全くコンセプトも何も決めないまんま、
先代富山清琴さんとか、荻江露友さんとか(荻江)寿郎さんとか、そういうものを聴いていただきながら、ただ喋っていただけなの
右 そこが、それこそご自身で発信したいことっていうエネルギーが、KABUKI TUNEと形を変えましたけれども、何代も続いたっていう。そこが発信としてのスタートのお話を伺えたのが凄く嬉しい、
あらためてこのKABUKI TUNE、いろんな思いを詰め込んだ番組に僕なりにさせていただいて、スタッフさんとも打ち合わせていつも作ってるんですけど、何か僕の気持ち、一旦何か歌舞伎の世界だったり世の中に関わっている人間として、発信したいことを詰め込んでいきたいなと、あらためて思います
玉 ぜひ素晴らしい番組を続けてください
右 ありがとうございます
30代を迎える右近さんへのアドバイス
右 私30代が見えてまいりまして、自分でもびっくりするほど成長が追い付いていない28歳なんですけども、これから30代に向けて、何を心がけていくべきか何か一つ伺えたら嬉しいんですけども
玉 やっぱり、いい意味で振り返って、10代20代を。そして30代を充実させるために。
30代ってね、働きっぱなしでもそんなに疲れない。そうやって、いいものを選んでどんどんやっていく年頃じゃないかな?
僕が初めて大きく休んだのが45歳だったんですね。そこまでは走りつづけられるんじゃないでしょうか?
右 毎月お出になってた時もあったって仰ってましたね
玉 20代前半ね、二年半丸一日も休みなく働いてたのね(笑)
右 凄いなぁ・・・
玉 30になったときに少し余裕を持ちたいと思ったんですね。でも持てなかったの、やっぱり忙しくて、お仕事いただいて。特にね30代になるとアメリカとかヨーロッパへ出ていくのね。
そういう時休めなかったの全然。海外の公演があった時は、日本も充実させなきゃいけないので、30代はほとんど休まなかった。
40にさしかかり、色んなトレーナーさんとかに聞き「休ませないと長持ちしませんよ」と言われて、だから30代はどんどんおやり下さいませ。
右 ありがとうございます。そして最後に歌舞伎ファンの皆様に、何か一つメッセージをお願いさせていただけますでしょうか?
玉 皆さま、こんな時期を迎えましたけれども、皆、舞台に立つ人間は準備をしております。
皆さまが安心していらっしゃれる時期をお待ちしておりますので、どうぞ皆様もお体大事に、
劇場でお目にかかることを楽しみにしております。今日はありがとうございました
右 お兄さん本当にありがとうございました
玉 とんでもないです
右 貴重なお時間いただいたし僕も思い切って、想いとか感じていることだったり
お話させていただきましたけども。やはり何というのかな、すごく大きいですよね。
全部受け止めてくださるし、助けていただいたなというところもたくさんあって
非常にありがたい時間を過ごさせていただきました
右 オープニングの時には私も含めスタッフさんも皆さん緊張していたんでございますけども、
さすがお兄さん、そういうものをとっぱらう感じで、しかもこの番組に直接来ていただくという。
これ嬉しい、本当に。
またまた緊張してしまうかと思うんですけども、改めて直接お会いして、お話を伺えたらなと思っております
以上です。
「今の時代はお稽古が足りない」という言葉をあちこちで目にしてきたけれど、
それぞれの時代背景を理解した上で、
玉さまも右近さんも「じゃあどうしていくか」というところに目を向けてらっしゃるところが凄く良いな、と思いました。
今に文句を言っても、昔を懐かしんでいても、良くなるわけじゃなく、
視野の広さと目的意識をこのように持つことで、
目指す方向を向くことが出来るのだなぁということを見せていただいた気がします。
玉さまが「今度はスタジオへ行きます」
と仰った時の右近さんの驚きっぷり!!この日いちの声でした(笑)
玉さまの乗っ取り発言も(笑)こういうお茶目なところがかわゆい(笑)
右近さんも仰ってましたが、周りの方の恐縮さを取っ払うくらい
玉さま自らフランクに心開いてらっしゃることが、凄く素敵だなぁと思います。
玉さまが邦楽ジョッキーを担当されていたころのお話も初めて聞けたし、
また右近さんも本当に真摯にご自身が関わってらっしゃるのだなぁ、ということも感じました。
2、30代の頃の玉さまの仕事量は、本当に尋常じゃなかった💦
海外に出ていくことで、それと同じ位日本のお客様の為にする、なるほどなぁ、と。
私はその頃は拝見できていないけど、そのようにしてくださっていたことを有難く感じるとともに、
そういう責任を感じて全うしてくださっていた大変さを思わずにはいられないお話。
最後、右近さんとお話されていた時とはまた変わって、
私達リスナーの方へ意識を向けてお話してくださっていることを物凄く感じましたし
メッセージ、しっかり受け取らせていただきました。
今回右近さんの番組に出てくださり、本当に聴くことが出来て良かったです。
右近さんの誠実さとお人柄があって、深い話、
知らなかったことを聞くこともできましたし、お相手が右近さんで本当に良かったです。
玉さまとの共演も、ぜひ実現されますよう、お待ちしております!!!