やっぱりLiveが好き

目の前の空間を味わうのが好きな人の記録🍀

「十二月大歌舞伎」歌舞伎座 12/7,21,23,26

<阿古屋>

重忠役に彦三郎さん。榛沢六郎役は功一さん。彦三郎さんはほんとに声がいいし声だけでなくて役としてもぴったりだしまたこの配役で観られて幸せ。功一さんかっこいいなぁ。梅枝さんコタさんの時も観られるとはなんて良い月だ(笑)重忠を前に方膝をつきながら「遊君阿古屋、召し連れましてござりまする」という時、その前傾姿勢で大きな声で台詞言うのが大変そうだなぁって思ってしまうんだけれども、重忠とともに凛々しさと芯の通った役が合っていて素敵。

 

そして玉さまの阿古屋。「気はしおれ」の時に肩を落とす阿古屋からは一人の女性としての気持ちが透けて見えて、重忠に言い切る時には阿古屋がどういう存在であるか、その大きさが自然とわかる在り方に、阿古屋である玉さまの凄さを感じずにはいられないし、景清とのなれそめを語る阿古屋の可愛らしさ、いじらしさが素敵でその光景を一緒に見ているようで、最後にたった一言交わしただけ、のときには切なくて胸を締め付けられるような思いがした。

去年阿古屋を初めて観たときにはもう必死に観てたと思う。聞き逃すまい、見逃すまい、みたいに。その音の表現、阿古屋の存在に圧倒されて。でも、その後、南座を経て私にとっては二年目の阿古屋で、ようやく「阿古屋」という女性の心、気持ちが感じられるこの演目が今までよりも遥かに魅力的で素敵なものだということが分かった。はい、いまさら💦でもね、回数を重ねてみてわかることって私にはあるからしょうがない。

曲の最後の方で胡弓がぐんぐんのびやかになるほど、阿古屋が見つめる視線の先、景清を思う心の世界がどんどん深くなっていって、その阿古屋を見ているだけで吸いこまれそうだった。本当に発見が多かった。また、阿古屋が観たい。

 

<阿古屋・梅枝さんと児太郎さん>

去年は児太郎さんの阿古屋しか拝見できなかったけど、今年は梅枝さんの阿古屋も観ることが出来た。児太郎さんは可愛らしさを感じる阿古屋。梅枝さんは凛とした阿古屋。とくに梅枝さんは堂々と阿古屋を演じられていたように感じた。イヤホンガイドのインタビューでも、玉さまが「梅枝くんは僕より三味線上手いんです」と仰っていたけど、本当に上手だった!玉さまは阿古屋を演じてきて「(阿古屋を演じ始めて)10年たったころにようやく演奏に必死になることから離れられた(というような内容)」のことを仰っていて、梅枝さん児太郎さんには何を伝えたいか?というような質問に対して「二年目なので気を楽にしてやってほしい(言葉は違うかもだけどこのようなこと)」・・・玉さまが10年かかってその余裕が持てたものを!と思ったけど(笑)💦、いずれそのような気持ちで出来るようにとの願いがおありなんだろうな、と思った。

 

<保名>

玉さまの立役自体ほとんど拝見したことがないから新鮮だなぁ、と思っていたけどお獅子があった!あの時は格好よかったけど、今回はまた全く別の魅力の玉さまだった。

花道から現れた玉さまの保名は美しくてあやうくて、菜の花が一面に咲く背景が恐ろしく似合って、ひとり幻想の中で昔の想い出と過ごしているようだった。小袖を握る姿も、二人でいた楽しさを思い出す場面も、切なくて、すべてが儚い、のに寂しさだけが大きな存在としてそこにあるようだった。保名もまた観たい。

 

<本朝白雪姫譚話・序幕>

幕が開いてまず舞台上に並んでいるのは腰元の方達で、生まれたばかりの白雪の美しさについて語って盛り上がっているところ。玉朗さんや守若さん含め八人いらっしゃるのだけど、ふうわりとした優しいパステル色のお着物をお一人ずつ着ていて(同色×2人)例えばピンク、水色、黄色、緑、ピンク、水色、黄色、緑・・・みたいに順番にすわってらしてこういうところにも玉さまの美のセンス(玉さまが指定してのことかはわからない💦)が表れていたし、その配色からもメルヘン調が感じられた。

その白雪姫の美しさが憂鬱な気分のもとと語るのは、母親の野分の前の児太郎さん。そして大きな鏡も出てきていると思ったら、鏡の精の梅枝さんも登場。「日の本で一番の美女は誰か」と心配気味に問いかける野分の前に、淡々と答える鏡の精。この二人のやりとりが何度もあって、その鏡の精の返答が「野分の前様」から「白雪姫様」に変わったことで野分の前が激高して、姫を追いやり命まで狙うようになる。

で、この後の場面で梅枝さん児太郎さんが最初は物凄く日本的、歌舞伎寄りな二人揃った連舞をするのだけれど、千穐楽の頃には、コタさんが右に顔を出したと思ったら梅枝さんは左から、というようなあそび、を含んだ舞に変わっていて、より楽しい親しみの持てる世界になってた。

玉さまが始まる前のインタビューで「音楽劇」にしたい、と仰っていたように、舞台の後方には地方さん達、今回はお琴や胡弓も加わって、華やかさが増していた。その二つの楽器が入ることにより、この場所をあらわすのにふさわしい音楽になっていた。また、地方さんたちの前に薄い透けるスクリーンが降りていて、その使い方、照明の当て方すべてから趣が感じられて「うわぁ、素敵・・・」って心の中で唸ってしまった。本当に玉さまってそういう細部まで考えて舞台を作ってらっしゃるから、その細かなものがすべて合わさると、あえてそこを観ていなくても全体として美しさやその背景が自然と入ってきて、感じられるようになっているんだよな、と思う。

生まれてから十六年が経ち、「この世で一番美しいのは野分の前様。明日からは(十六歳、大人になるのだから)白雪姫様」と答える鏡の精。許せない野分の前は、鏡の精から「歌舞音曲なら負けることはあるまい」と言われて得意のお琴で白雪を負かそうとするが、連れ弾きを始めたら白雪の方がうまくて野分の前を追い越してしまっていた。悔しがる野分の前は演奏をやめ白雪をなじるが、なぜか自分の映しなはずの鏡の精も演奏をやめずに白雪とともにまだ弾いている・・・そこをつっこむ野分の前(笑)こういうあそびの部分が多々あって、やりすぎなこともなく面白い(笑)。

そして野分の前は、獅童さん演じる家臣の新吾に「白雪姫を亡き者にせよ」と命ずる。新吾は白雪を山中に連れだして斬ろうとすると、白雪姫から光が溢れ、それを見た新吾はどうしても斬ることができず白雪姫を泣く泣く残し山中をあとにする*1。山中まで連れられるこの時にも、白雪は足元が悪い中なかなか新吾に追いつくのが大変でちょっと待ってほしい、と伝える、かよわさが可愛らしかったり、また白雪自身こんなに遠くまで来たのは生まれて初めてで、初めて見る植物、動物ばかりで連れてきてくれて「ありがとう」とまで新吾に伝えるとは、なんて純真な心の持ち主なんだ・・・。 

森を彷徨っていると、七人の妖精(の子役)が現れる。最初の腰元の方達のように、妖精の衣装もそれぞれ淡いパステル調の色で蝶々の模様入り。その上に白く、透けるオーガンジー生地のような衣装を着けていておとぎの世界観がここでも美しく表現されているなぁと思った。妖精を見ても全く驚かず微笑ましく見ている白雪さん・・・って、もうどこまで素敵な子なんだ(泣)!!というところで二幕へ続く。

 

<本朝白雪姫譚話・二幕>

 野分の前は、鏡の精から、白雪姫が生きていることを聞いて新吾を問いただすと本当のことを聞かされ、今度は自ら白雪姫を手に掛けようと決める野分の前。

妖精たちと暮らす白雪姫だが昼間は妖精たちが留守の為、「狙われているのだからうちの外に出てはいけないよ」と言われ留守番をする白雪姫。そこに現れる小間物売りの怪しい女こと野分の前(笑)。口元には中東の女性が鼻から下を隠すような黒い刺しゅう入りの布をつけていかにもわかりやすい怪しさ(笑)!!そして美しい櫛を白雪姫に見せて、外へ誘い出すことに成功。白雪が素敵だと言った櫛で、「こんな山の中で髪を撫でつけてももらえないのだから私がしてあげるよ」と白雪の髪を梳くと、白雪姫は倒れてしまう。「南蛮渡来の毒が仕込んであるんだよ、ヒーッヒッヒ」といった感じで(笑)去っていく野分の前。帰ってきた妖精たちが異変に気付き白雪姫を救い「もう知らない人に会ってはいけないよ」と念を押す。

再び鏡の精に自分が一番美しいか問うことで白雪姫が生きていることを知り、また白雪姫のもとへ向かう野分の前。

白雪姫は、なぜ母様が自らに辛く当るのか嘆いているところに、花道から果物売りの怪しいお婆さんこと野分の前が、ゴツン、ゴツン、と鈍い音、をさせながらやってくる。

見ると、杖をつきながら腰が90度に曲がったまさにこのイメージ図、というかまんまの格好の野分の前が(笑)↓これに先ほども着けていた鼻から下を隠す黒い布を着用。

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喋り方も、志村けんのお婆さんレベルの上手さで(笑)これは玉さまから指導を受けたんだろうか・・・だとしたらお稽古風景を猛烈に見たい、見た過ぎる(笑)!!コタさんもうあっぱれだった!!振り切り具合が凄い。どんどんエスカレートしていく野分の前の悪役っぷりが見事で、また役の幅が広がったんじゃないのかなぁと思う。この役で本当幸せ者だなぁと思ったし、もちろんそれを演じきったコタさんも凄い。

で、やってきたこのお婆さんの同情作戦にまたも出てきてしまった白雪姫。お婆さんの差し出す鮮やかな林檎を見て「母様の好きな林檎・・・」や、お婆さんが「この林檎を食べると願いが叶うんだよ(あやふや💦)」という台詞が入った時もあった。

我慢をする白雪姫を前に、林檎をかじって「大丈夫だ」と主張するお婆さん。月の前半の公演時には、まる一個の林檎のお婆さんがかじった方には毒が入っていない、反対側には毒が入っていてそこを白雪姫が食べた、ということになっていたが、千穐楽にはまずお婆さんが林檎を半分にし、片方を食べて安心させ、もう片方の白雪姫に渡した方には毒が入っていた、という風に演出を変えていた。こうして日々より良くするため、伝わるように変えているのだなぁ、ということが今回も良く分かった。

白雪姫を手に掛け、安堵した野分の前が鏡の精に問うと、「白雪姫様は鏡を見て一度も自分の美しさをたずねたことはない。鏡に自らを映し、己を振り返っていた」と言われる。ところが響くどころかすがる野分の前を振り払って鏡の精はいなくなり、野分の前も闇に引きずり込まれるように消えていった。 

息絶えた白雪姫を、それまで集めた鏡で作った台に乗せて悲しむ妖精たち。そこへ天照大神のご神託のもとに姫をさがしに皇子たちがやって来た。皇子に言われて落ちていた毒林檎に気づいた妖精たちが、「白雪さんをひとりであの世へいかせるわけにはいかない!」といって皆で林檎を食べ次々に後を追おうとする。それを見て皇子も食べると、白雪姫が息を吹き返す。皇子は白雪姫に「妻になってほしい」と言い、白雪姫もその願いを受け入れる。祝言の前祝だー!と妖精が森の木々を光らせ二人を祝う。おしまい。

 

・・・流れであらすじを書いてしまったけど、このお話、面白かった(笑)!!梅枝さんの鏡の精は鏡に映るその人そのものを見せる存在で凛とした雰囲気にとても合っていたと思う。無垢な心で光り輝く玉さまの白雪姫は観ていて心が洗われるようで本当に可愛らしく美しかった。白雪姫が息を吹き返すまでの、妖精たちの「後を追う」という選択に「えー!!!」!っとびっくりしたけどさらに驚いたのがそれに続いた皇子様!!キスではなく接吻ではなくそうなのですね!!という(笑)、一体どうやって白雪姫は生き返るんだろうと最後まで謎だったけど、なるほど、と思いました(笑)最後に12月、クリスマスらしい、木々をクリスマスツリーのように光らせるのも雰囲気があって華やかで素敵だった。

玉さまはイヤホンガイドのインタビューで、白雪姫について、台本通りやるのではなくて、歌舞伎ですからその時の中でやれることをやってみる、あそびの部分を出すことも大事、みたいに仰っていて、それが本当に良くわかる、楽しい芝居だった。劇中で玉さま、梅枝さん、コタさん三人でお琴を弾くところも、昼の部(阿古屋を毎日だれかが演じている)ではできないことだし、あと、白雪姫の中に地唄舞の雪の一節が入っていたりすること、「魔笛」の曲が使われていることも仰ってた。

贅沢で満足な12月でした!!!

 

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今年も有難う!!歌舞伎座!!!

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そして微妙に影が映ってしまっているが美しい玉さま達!

*1:のちに野分の前にこのことがばれたとき、「白雪姫様があまりにもお美しくて」と新吾の台詞にあったけど、それって単に外見の美しさを指しているのではなく、内側からあふれる白雪姫の魂の美しさ、それがいざ斬ろうとするときに眩しすぎて斬ることなど到底できなかった、ってことを表していたのかなぁ、と思っている