やっぱりLiveが好き

目の前の空間を味わうのが好きな人の記録🍀

「坂東玉三郎 映像×舞踊公演」八千代座 11/1,2,3 <演目解説部分>

藤娘

解説の為、羽織を脱いでくるために立ち上がって舞台袖に入られるのだけど、その後ろ姿が毎回ため息もの。裾のほうのお着物の柄も見えるし、立った時の立ち姿の美しさに見とれてつい「はぁ~~・・・」って声を上げてしまう客席(笑)その気持ちが本当によくわかる。本当に素敵ですもん。

 

・藤娘を演じる上での難しさ

舞台に戻られて藤娘の解説。道成寺には安珍への恨み、鷺娘は地獄の責めなど、わかりやすいストーリーがあるが、藤娘は大津絵からでてきた少女が踊り、時が(少女である時期が)過ぎていく、という、ただそれだけなので、「社会人の男が踊るのはとても難しい(笑)」と。

・・・「社会人の男」と仰ったのは1日か2日だった気がするけど、藤娘と社会人の男、のそのギャップある表現が面白くて客席からも笑いが(笑)

「皆様が思うより、本当に難しいんです」というようなことを仰っていて、どんな役も簡単ではないでしょうけれど、そういう演じる上で気持ちの難しいものをあんなに優雅に表現されてて、でもそこに表現されるものその空気すべてが魅力的だからこそあんなに惹かれる演目、藤娘なんだなぁ、と思う。

 

・藤の枝

「実は藤の枝は重くて、女方でなければ無理」とのこと。「皆様に舞台に上がってやっていただきたいとこですが、それは難しいので・・・(笑)」と。

「(枝全体の)大きさ、長さも、顔が隠れるくらい」と玉さまがご自身のまん前に枝を立てると、玉さまが隠れてしまい、ほぼ身長と同じ位大きい。

藤の花の半分から上部分の、五本の藤の房が見えにくいワイヤーみたいなもので一つにつながれていて、だから回したりしてもばらばらにならないのだそう。藤の花ひとつひとつにも(かな?)とにかくこちらが思うよりワイヤーのようなものが使われている、と。

枝、花をぐるっと一回転させた後に、藤の花五本をまとめて掴む時も難しいそう。でも玉さまのつかみかたが本当にやさしいまとめ方に見える!!あんなふうにそっとつかまれたいなぁ、と妄想も広がる一場面・・・(笑)

「水道の~」のうたの時に、いかに音をがさつにたてずに「さっさっ」と床に触れながら揺らすのか、を実演してくださるのだけど、演じているときの玉さまを観ているとふわーっと優しい雰囲気を感じるけど、実際は優雅さと動きの両立って難しいんだなぁと思った。なにもしなければ音も出ないけど、動きをしながらそのように見せる、する、ということって相反してることを成立させてるんですもんね・・・。

藤娘の最後の時、枝を体の後ろ側で担ぐとき、枝を後ろに回し、帯の右上の部分に枝をひっかけて、下から枝を支える右手は逆さ手に持ち替える、ということを一瞬のうちにしなければならない、と客席に背中側を見せながら実演してくださった。

で、枝を徐々に上に持ち上げる、ずらしていくことで(ここで客席に正面を向いて)藤が下から伸びていくようすを表してくださった。優雅な場面なのに、重い枝をしょってさらに静かに動かすって・・・観ているより演じる方の大変さは、やっぱりこうして聴くことができて初めて気づけるんだなぁと思った。

 

鏡獅子

・扇子を持ち運びするものについて

この直前までに玉さまがお座りになっていた場所に敷かれていた毛氈を玉雪さんが回収に来られ、そしてその後に藤の枝を舞台袖にあずけていた玉さまが舞台上にお戻りになられ、扇子が収納されている布を持って玉雪さんご登場。

扇子を収納するものは、毛氈と同化するような布に、扇子をさすポケットがいくつもあるもので、扇を落としてしまうとか、何かがあった時に備えて余分に扇子を用意しておく、とのこと。なのでかなりの本数の扇子をさせる部分がある布だった。そこから扇子の出し入れをするのだけれど、使い終わったらその布ごと折りたたんでまるで赤い布を持っているかのように、扇子がばらけることなくしまって持ち運びができるようになっている、とのこと。

 

・扇の受け渡しの時のこと

鏡獅子のときに二枚の扇を使うけれども、客席に背をむけて扇の受け渡しをしているときの様子を見せてくださった。玉雪さんが扇子を静かに広げて、玉さまに渡すとき、玉雪さんも玉さまもお互い目をあわさず、視界には入っているが扇子自体は見ない。

この時にもしお互いを見ながらやっていたら、扇子を見ながらやっていたらどうなるか、というNGバージョンも見せてくださったんだけど、そうすると、たしかに見ていておかしい(笑)。

玉さまと玉雪さんがお互い顔を見てしまうと、観客側もそちらに視線がいって話とは関係ないところに神経が注がれてしまう。扇を見てしまっても、頭、体が下へ傾いているから何をしているかわかってしまうし、やっぱりなんでもないところで余計な視線が注がれてしまう。

実際にやっていただくと、こんなにも別物になってしまうのか!っていうことがよーくわかった。だからいかに動きを少なく、視線を注がれずに次の場面に移れるか、というのはとても大事。そういうところがスムーズだから、動く場面がより活きるんだと思う。

最後に玉さまが後ろに扇子を投げるんだけど、それをさっと取る玉雪さんの鮮やかさよ・・・。映像を見てても、あの場面何度みてもドキっとする。投げられる側を想像してしまうからか(笑)

・・・扇子のお話のときだったか、玉さまがどの角度でお客様にお見せしてしたらわかりやすく伝わるか、ということを考えながら動かれていて、それを玉雪さんに場所の指示をされるのだけど、舞台上でぶっつけ本番のようなものだから(笑)はっきりと、場所の意図の説明をするわけではないので、玉雪さんも察しながら動かれていて、なかなか大変そう。それでも、多くても二、三度で意図を掴んで動いておられるのでさすがだなぁと思った。

 

・後見の方が綺麗に舞台袖にはける時の工夫について。

玉さまが歩きながら、玉雪さんは立膝のような姿勢のまま玉さまの歩くスピードに合わせて歩き、歩きながら玉さまが持っている扇子を玉雪さんに、客席からみえないようにお着物(身体)と袂の間から渡す、という客席にわからないように小道具を渡す実演を見せてくださった。

その次に、玉さまが獅子頭が置かれている方(上手)の方に歩いていく時に、玉雪さんもその体勢で一緒に歩いていき、玉雪さんだけそのまま舞台袖にはけるもスマートに見える、とのこと。

・・・スマート、とは仰ってませんでしたけど(笑)そういう風にスッキリ見える、という意味。

 

 ・鬘の角のような部分

藤娘(少女)のような役を踊る時は、(たとえとして)頭のてっぺんにお皿が乗っていて、そこに水が入っていたとしたら、それをこぼすように首を斜めに傾けるように頭を動かすが、弥生は役柄上、そうではなく角(のようなところ)が常に真上を向いている姿勢でなければならない、とのこと。

 

獅子頭

玉雪さんが獅子頭の口側を持って、玉さまが手を獅子頭のなかにスッとはめて受け取ってらした。この受け渡しも、玉さまがすぐ手をはめられるような渡し方をしなければならない、とのこと。

獅子頭についている布も、通常二枚ついたものが使われていたけれど、玉さまは一枚の方が美しいと感じてらっしゃって、調べても二枚でなければいけない理由はなかったので、一枚にしているそう。

獅子頭は見た目は重そうだが、20数年前に最初で最後に演じるときに獅子頭を作り、とても軽い作りにしたそう。口を合わせたときによく音が鳴るように、獅子頭本体の口から出る音でなく、三味線に使う何か(名前覚えてない💦)を獅子の下あごの真ん中につけており(たぶん上にも?)、合わせることによっていい音が出る工夫、また劣化を防いでいるとのこと。獅子頭は重そうに見えて軽く、藤の枝は軽そうに見えて実は重い、と。

 

・獅子と胡蝶の場面

玉さまの後ろで玉雪さんが二匹の蝶を操るのだけど、弥生の意思とは別に獅子が動き出す、という場面。玉さまの左側に飛んでいる蝶に、玉さまと玉雪さんの視線を合わせることで、右手の獅子が勝手に動き出していることをより表現できる、とのこと。

本当は、獅子にかまれそうになる右側の蝶を見て玉雪さんは動かしたいところだし、玉さまも動かしている右手の獅子の方を見た方がやりやすいけど、それをせずにあえて反対側に視線を集中させる=お客様の視線もそちらに行く、ことにより獅子が活きる、と。

・・・あえて楽でない方をしないとよく見えない、というしんどさ。いかにその場面が活きるか、美しく見えるか、そのためには本当にこういった「しんどい」の積み重ねがあるんだろうなぁ、ということがよくわかった。

 

・獅子の精について

連獅子のように「獅子」ではなく「獅子の精」、あくまで「精霊」なので、連獅子の獅子の勇ましさを出すものでもなくて、また違うもの、とのこと。獅子の精ならではの感じ(言葉を忘れてしまったけど💦)で演じるんだそう。

 

・後見を務める玉雪さんと功一さんのこと

扇子収納の布を持ってきてくださった後見の玉雪さん、その時に玉さまから玉雪さんのご紹介があり「後見は大変難しくて、シテ方と気持ちが合わないと(一緒でないと)できない」ということを仰ってた。

他にも、その場所のことをよくわかっていないといけない(スペースやその他もろもろ、空間なども含めのことかなと)から大変、とも仰ってました。いろんな方位に気というアンテナを張って把握している、わかっているということかなと思う。

玉さまが唯一歌舞伎座で鏡獅子を演じたときに、玉雪さんも20代で、その当時のエピソードを3日の日に玉さまがお話してくださって

「この時に私は先輩から(鏡獅子のことを)褒められなかったんですけど、玉雪さんの後見はよかった、と褒められていた」との話に、玉雪さんも思わず笑ってらした(笑)

冗談風に仰ってたけど、玉さまはへこんだそうです(笑)ご自分がへこんだということより、玉雪さんのことを労うということが話の軸でした。

「ずっとついてやってきてくれて」と玉雪さんのことを労ってらっしゃって、玉さまの口から伝えられることで、後見を務める方の大変さがよくわかり、これから観るときにも視野が広く、様々な人、色々なことを感じながら観ることのできる機会を頂けたと思う。

獅子頭を乗せていた盆を下げに功一さんが舞台上にいらしたときも、玉さまからご紹介があり、玉雪さん・功一さんのお二人は、玉さまが能の演目を演じ始めたときに、能衣装の着付けを能の方のもとへ勉強しにいってくれたり、そういったことについても感謝の言葉を述べられていました。

3日の日に「主役と後見の重要度は同じ」と、主役(演じる役者)と後見の方に何の差もない、というニュアンスのことをお話されて「演じ手だけではなく、後見や裏方のすべての人の力がないとできない」と、関わるすべての方について仰ってた。

・・・それを聴いて、玉さまは全くそういう上下というもので見ていない、人や役割というものを本当にフラットな視点で見ていらして、だからこそ他のかたへ感謝の気持ちを自然と口に出されたり、にじみ出ていらっしゃるのかなと思った。この三日間を振り返っても、去年の解説の時も、自然に玉雪さんに「ありがとう」とさりげなく仰っていることを耳にしたし。

二日の時に、玉雪さん功一さんのご紹介を聴いて思ったのが、お二人もそうだし、ほかの後見を務めるお弟子さん、玉さまのところの方たち以外の方もすべて同じようにそのお陰で成り立っているんだなぁと思っていたら、3日に玉さまからまさにそのお言葉があった。

普段から口上などで、関わる全ての方への感謝を述べられているけれど、この八千代座公演での後見の方についてのお話で、玉さまのお人柄を十分に感じられて、また、よりたくさんのひとがその人たちに思いを馳せることが出来たと思うし、本当に自然といろんな方への感謝の気持ちとそのつながりを感じられるあたたかな時間だった。

 

・唄をくちずさむ玉さま

忘れてはいけないことを思い出した!!2日と3日の解説の時、去年に引き続き玉さまが実際の動きをするときにそのときの唄(演奏)を口ずさみながら演じる(踊る)、玉さまワールドが突如現れた!!!

曲があると、動きが自然にでてくる、ということだと思うのだけど、この時間、すっごく幸せです(笑)まるで玉さまが没頭している世界に入らせてもらった感じ。あぁほんとに幸せでした!!