やっぱりLiveが好き

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「サメと泳ぐ」 9.5 世田谷パブリックシアター マチネ

千葉哲也さんが演出・出演ということで行ってきました。ものすごくざっくりとしたあらすじしか見てなくて、最初はもろアメリカだなぁという描写、人物設定についていかれるか心配だったんだけど、田中圭くん演じる頼りないガイが出てきていろんな対比が生まれてきてからはわかりやすいくらい、「人間」の話だったので大丈夫だった。

権力を持つ者、屈する者、屈せず別の生きる道を選んだ者、屈しながらもへばりついてのし上がってきたもの、いろんな立場をとっている、とってきた人物がいて、その者たちに翻弄されいつしか自分自身が何を大事にここへ来たのか、それがどんどん変わっていくガイ。恋人を失ったことで田中哲司さん演じるバディに恨みを向け、今までの仕返しと言わんばかりの拷問をしていくわけだけど、舞台としてはそんなに凄い描写ではないと思うけど、やっぱりこういったシーンを見ているのはきつかった。舞台本編としては、バディとガイの立場が逆転し、でもそのまま終わるのではない、結局はその恋人を裏切って自分自身の欲、出世、名声、賞賛、活躍、そういったものをとったガイ。

後味が悪く終わってもおかしくないのに、妙な爽やかささえあるのは千葉さん演出のおかげ、あとは田中圭君が演じるというところにもあったのかも。やっていることだけみたら最後の結末はひどいんだけど、なぜだか責める気持ちが起きない。

バディは捕らわれた被害者の立場に居ても、ひたすら助けを求めるようなことはせず、そんな状態でも結局自分につかせるような、そういう選択をガイにさせるという恐ろしさと自信のありよう。人をコントロールすること、されることが長年染みついていて、そういう生き方もあるのかな、とすら思ってしまう。結局ここで一番の被害者・・・というとしっくりこないけど、どうにもならなかったのがガイの恋人だったドーン。ガイはドーンを失った自分のためにバディに復讐をし始めたのに、結果それでも自分の名声のためにバディをとったガイ。ドーンの純粋にいい映画を作りたい、という気持ちが本当の一番の目的だったのか、わからなくなったけど、結果道半ばにして映画人としても自分の人生も終わらせられてしまったっていうね・・・。

田中圭君も哲司さんも野波さんも、全員にとってとてもハードなお芝居なんじゃないかと思う。変貌していくガイ、立場を自在に変えるバディ、動きも大変だし、人間の心が疲弊する芝居を演じていてそれ自体が凄かった。千葉さんは出番は少なかったけど、バディが恐れる上司として、時代や自分の立場が移りゆくちょうどそのときにいまだに権力をもち、未来が見えてきたことでの弱さもある人物だった。このオフィスに入ってくるときに、正面の後ろが照明で当てられているところを歩くのだけど、そういうセット、その場面、ただ歩くだけでかっこよかったなぁ。

何かに納得がいく、ということはなかった。ガイは環境により変わってしまったのか、最初からもっていた願望に気づかないまま選択していった結果がそうだったのか、それはわからないけど人間の愚かさをたっぷり見せててもらったような感じ。客観的に見ているとそうわかるけど、多かれ少なかれそれは自分も人もあるんだろうなぁと思う。何を選択しているのか、信じている物は何なのか、それがわかっていなければぐらつくばかり。

それにしても拳銃ぶっ放されるのは心臓に悪かったです(笑)こわかったー。