やっぱりLiveが好き

目の前の空間を味わうのが好きな人の記録🍀

坂東玉三郎 越路吹雪を歌う「愛の讃歌」 8.19  KOTORIホール@東京

ツアーもラスト2回!!あーとうとうそんなときまで来てしまったというのに、貧血腹痛により電車を途中下車しなくてはならず遅刻。一曲目を聴けなかった・・・でもそのあとのMCから席に入れてもらえたし、今日は行けないかなということもさんざんよぎったけど、無事にたどりついてよかった。死んだら観れなくなるな、生きてる間はやりたくないことやってる場合じゃないよな、とか、ちょっとよぎったし(笑)

で、「サンライズ・サンセット」この曲から真琴さん姿月さんが登場されて一緒にお歌いになるのだけど、三人一緒に歌われると、玉さまの低音がお二人の歌声の中で映えて、とっても美しい。今更なんだけど、この三人の調和による歌声ってほんとに素晴らしい・・・。

メドレーの最初の方で、姿月さんが歌っている時に玉さまが手をとるところ、前はそれくらいだったと思うけど、玉さまが軽やかにしかもその曲の手をつないでいる間ずっとステップを踏まれてる!!!玉さまリラックスされてるんだろうなぁ。

「さようなら、おやすみなさい」この時に姿月さん、真琴さんがそれぞれお一人で歌われている間、玉さまが一緒に歌っていたり、見つめてたりするんだけど、その時の表情が優しく見守るような表情で温かかった。

越路さんとの出会いの話。 白鸚さんと越路さんのミュージカル「王様と私」を玉さまが15歳の時に観たことが越路さんとの出会いだったけど、その時の白鸚さんのようにミュージカルでれるのかしらと思っていたら結局出れずに今こうして歌わさせていただいております、と(笑)

衣装のお話の時。真琴さんが一幕のスパンコールの衣装のことを「どうしてこの生地を選ばれてたんですか?」玉さま「いや、とくに・・・」っていうのは言葉でそう仰っただけだと思うんだけど(笑)手でなでると紫→ピンクに色が変わる生地があったが(ゴールド⇔黒はご自身のジャケットに)それは5か6メートルしかなく(その前の姿月さんからの質問への玉さまのお答え、生地は一人6メートルは必要、とのこと)なのでその隣にあったこの生地にした、とのことでした(笑)実際その生地でドレスを作ってフィッティングというときに玉さまがいらしてくれたそうで、何度も往復して歩いてみせて、ということをしてドレスの裾の具合を確認されてたと。そのお陰で今着ているドレスはこんなに裾があってもお歩き易くてラインもキレイ、等と仰ってくださりながら玉さまの周りをくるくる歩いて見せてくださるお二人。真琴さん、玉さまでなんとなくもういいかな終わったかなってなっても、気づかずにまだクルクル歩いてらっしゃる姿月さん(笑)その姿月さんにお二人が気づいて真琴さん「歩きたいお年頃(笑)」玉さま「(笑)」姿月さんのこういう自由さと冷静に突っ込める真琴さんのバランスが最高(笑)

「谷間に三つの鐘が鳴る」浅利さんが演出された「ドラマチックリサイタル」ピアフの一生のお話だそうで、ピアフが登場(生まれる?)ときの唄がこの曲だったそう。この曲で始まるのは神聖で壮大で広がっていく感じがわかるようで、こういうお話を聴くと越路さんの演じて、お歌いになっていたものが聴きたいなぁと思う。「セントインザクラウン」もそう。

二部。玉さまの「枯葉」「私の心はヴァイオリン」玉さまの気持ちの入り方、というか歌への伝わり方が凄い。とくに「私の心はヴァイオリン」をお歌いになっている時の玉さまの表情、伝わってくるもの、歌から感じる者、すべてがとても豊かに広がってなんて幸福な歌なんだろうと思う。この歌詞がとてもとても素敵だしそれを歌う玉さま、そしてヴァイオリンの会田さん、他の演奏もすべてすべて魅力的。うっとり聴いてしまう。姿月さんの「ビギン・ザ・ビギン」。越路さんの動画を観たことがない曲なのにきっと姿月さんは越路さんのの歌をよく聴いて今お歌いになっているんだろうなという感じがするのはなんでだろう。よく聴いたこともないのにそこに越路さんを感じるという不思議。真琴さん「ラストダンスは私に」。真琴さんにも同じことを感じたし、その上、真琴さんは本当に「魅せる」ということにたいしての表現が凄いと思う。身体全身を使い、目線をあっちにこっちにやることにより、歌う真琴さんがもっと魅力的になって客席にそれが伝わってる。

この会場、KOTORIホールについて。真琴さんは以前ドラマの撮影で来られてあことがあるけど姿月さんは初めて。玉さまはおっしゃってなかったような。真琴さんが「KOTORI」にちなんで「越路さんは小鳥のハートだったそうですが・・・」とここから緊張について。玉さまは舞台への緊張をされるほうで、でもジンクスのようなことはしないと。もし忘れたらそれを気にしてしまうから、何もしない、と。姿月さんはステージに上がる時には必ず靴は左からはく、と。真琴さんは以前尊敬する人の名前を書いて飲み込むといいよと聞いて、お客様のことを書いたら逆に緊張してしまったということ。越路さんもかなり緊張される方だったそうで、岩谷さんが楽屋での待ちの時にトラトラトラとかいてポンと背中を押して送り出すというようなことがないと出られなかったそうで。約ひと月のリサイタルのために風邪をひかないよう万全な体制でいたこと、ということ。

パリメドレーの最後に、姿月さんがお歌いになっていて、玉さまと真琴さんが腰かけて聴いている時、リズムにのっていた真琴さんの座る位置が恐らく角、端過ぎて落ちそうになるハプニング💦何事もなくてよかったー。

最後の挨拶。姿月さんがツアーが始まったことでこの「玉組」が出来たこと、をお話にだして下さり、そのことをすごく気に入ってくださっているようで嬉しい。玉さまもにこにこされていたし、だから余計にあと一回だなんて惜しい。真琴さん「突然思ったんですけど、(ツアーをされてきたことで)歌舞伎の女形に支障はでていないんですか?」玉さま「それはないんです(笑)私も(真琴さん達も)男と女を行ったり来たりするけど、歌には性別がないですから」

愛の讃歌」この曲の最後の時に、玉さまご自身が思ったほど最後の声の伸びが足りなかったからか、歌い終わった時も悔しいような表情をされていたように感じた。ご自身の納得のいく線を確実に、という信念でいらっしゃるんだろうな。

こういった素晴らしい曲はこれからも伝えていきたい、とはっきり仰っていたので、この先も続くようにお願いしたいです。

カーテンコールも熱くて、終わってもまた一回、また一回、もう一回と増えて最後はスタオベで幕、の熱い拍手でいっぱいのコンサート、事実上の東京千穐楽公演、でした。