やっぱりLiveが好き

目の前の空間を味わうのが好きな人の記録🍀

シネマ歌舞伎「わが心の歌舞伎座」

なかなか見られないものだし、せっかくなので、と思い見てきました。

最初に舞台のセリから上がってくる視点で撮影されていて、この風景を役者さん達は見ているのだな、目の前にたくさんのお客様が居て、そのなかでこうして出てくるという、当たり前なんだけどその視点に立つと世界が広がるようでなんだか感慨深くて。その後に歌舞伎役者さん11人の方の、閉場する歌舞伎座への思いを語り、ゆかりの演目が流れるというもの。

二人目の吉右衛門さんの「毎日が初日」という言葉、吉右衛門さん自身が毎日肝に銘じてらっしゃるそうで、観客の私と言えば何度か行き、千穐楽だから、とか何か期待をしてしまうけれど、この言葉は観る側の姿勢も問われているような気がする。いつでもその時が一期一会、何度か観たから、と言うことではなく、同じ瞬間なんてものは存在しないし、何度も観られることの上に胡坐をかきたくない。吉右衛門さんの熊谷、花道での涙をこらえるあのシーン、良かった。この前見た幸四郎さんのも良かったけど、それとはまた別で胸にせまるものだった。

三人目の團十郎さん。白血病を一度克服されたあと閉場前の舞台に立たれて、花道からの引っ込みで鳥屋にひっこんだあとの息が大きく上がっていてとてもお辛そうだった。楽屋で着替えてらっしゃるときもずっと。團十郎さんがそれまでに立ってきた数々の舞台の様子も流れていたけど、常に飽きさせない、とても目を引くものが多く、かといってそれだけでない、この方の存在感がとても大きい。團十郎さんの舞台は全く拝見したことがなかったから、動きの機敏さ鮮やかさが素晴らしかったし、こういったものを目の前で観ることはいかに大切かと言うこと、今観たいと思ったものは観ておかなければ、ということを思わずにいられない。

そして4人目の玉さま!!!車を降りたあと・・・(たぶん、降りたところは映ってらっしゃらない💦)歩道から楽屋口へ向かう玉さま。夏物の上下スーツ着用されてて、着到版にさした後、上に祭られているところに手を合わせる玉さま。手を軽く叩いているようで綺麗なパン!パン!ていう音が出るんですね・・・。手の合わせ方も、手のひらを丸く上下半分ぐらい手の位置をずらしていてその形も綺麗だったなぁ。回り舞台の舞台したのところから語り掛けるように話してくださって、思い出はたくさんあるそうで。一番印象に残っているのは玉三郎襲名の時だったと。その時のお写真がでていたけど、水がさらさらと流れる・・・まるで清流のような美しさだった。ほかに印象に残っているものと言えば「阿古屋」だそうで、伝心の時にも仰っていたように、楽器を弾くことが目的ではなくその向こう・・・直接心情を表しているのではない、と。その次に何か仰っていたのだけど忘れてしまった💦泉鏡花作品も流れて、泉鏡花作品は、わかるとことをまたその次へ、つかまっていけばいい・・・このような、ちょっと難しいことを仰っていて、頭で理解しようとするから難しい、と言う感じ(全然違うかもしれない・・・)のことを仰っていたと思う。セリフは自分の思いを代弁してくれいてるようだ、だから言いやすいと。天守物語の冨姫、海神別荘、獅童さんもいらしたから高野聖も、だと思う。それらすべて映って、天守物語は人間界のことを、海神別荘は自然界のものを・・・なんと仰っていたのかこの先も忘れてしまい・・・どちらも未見だから早く観て推察してみよ・・・。冨姫、海神別荘の美女ともに声から視線から本当に美しかった。(おそらく)主人公の周りにいる役者さん達への演技指導もしてらして、そこに居る時の心情、ただ居るのではなくこうすると・・・ということも事細かに始動されてた。それだけでなく、ナレーションによると主演役者は全体のことも観て、演出、指示をされる、と。ほんとに隅から隅まできめ細やかに観る必要がある大変なお仕事だということがわかる。

次は中村富十郎さん。鷹之資さんのお父様。鷹之資さんが玉さまと歌舞伎座出演が同じ月に何度か舞踊を拝見したけれど、たった2,3日しかたっていなかったのに、グンと踊りが安定して物凄く良くなっていて、あの時は本当に驚いた。慣れというか、回数を重ねて、にしては本当に短期間でひとってこんなに伸びるものなんだなということを目の前で見せていただいた鷹之資さん。そのときロビーに、確か富十郎さんのお写真が飾られていたし、他の方の感想でお父様のことを何となく情報として目にしていたので、やっとどんな方なのか初めて知る機会になった。お稽古風景での富十郎さん、この方、動きは、すべてがスッとまっすぐに伸びる、まっすぐというのは角度のことでなくて、その芯にとおるものがまっすぐで、余計なものがない。本当に美しい動き。動きそのものもあると思うけど、この方の精神の透明さ、無駄のなさというか。こんな風にして表れるっていうことに驚いた。鷹之資さんが期待されるわけと言うのも凄くよく分かる。 

仁左衛門さん。ご自身の魂、精神を高める、磨く、純度を上げる・・・この言葉のどれでもなかったかもしれないけど、そうしてやっとその役に向かうことができる、そのようなことを仰っていた。一つのお役をするときでも、ご自身にこれだけ向き合って、整える、高める、それだけ役を尊重しているからこそ余計なものが入ることがなくあれだけのものを生み出せる、そのお役で居られる、その役を生きるという凄さが生まれてくるんだろうなぁ。

勘三郎さん。松竹にずっと勤めていて、勘三郎さんが小さいときから可愛がっていてくれた女性を歌舞伎座にお連れしたこと。そのかたにとって今までで一番の想い出になったということ、そういうことが出来ることがお人柄をよく表していた。役で宙をみてそこに思いを馳せる、と言うことが勘三郎さんは多いように思うけど、その視線の先に思う気持ちの表れが凄い。そういうときだけじゃないけど、この方の思い、気持ちの表れは本当に強いものなんだなぁと、改めて感じた。

皆に舞台に映らないところでも、舞台裏で役者さんたちがそのお役になって演じている、その気持ちを舞台にたつ役者さんが感じ、また観客もどこかで感じているのかもしれない。舞台上には見えないけど、休憩の間に舞台転換をし、終演後に鬘を丁寧に直し・・・本当にたくさんの人の手で毎日毎日作られているんだなという大変さ、凄さがよく分かった。私らが楽しかった~って言って帰っている間にもずっとだもんね。

舞台の裏側、舞台に向かう気持ち、在り方、劇場そのものへの思い、劇場にまつわる思い出、色々知ることが出来てよかった。それを当たり前のように見させていただいているのだからね。こういうことはしみ込ませておきたい。