やっぱりLiveが好き

目の前の空間を味わうのが好きな人の記録🍀

「十二月大歌舞伎<第三部 瞼の母 楊貴妃>」歌舞伎座 12/4,7,12

瞼の母

 最初の半次郎たちとの場面、妹役のコタさん、母親役の萬次郎さん、半次郎を思い忠太郎の気持ちに涙するこの人達の気持ちもとても純粋で。半次郎が忠太郎を慕う気持ちも不器用だけどまっすぐで。何度も何度も忠太郎が「堅気になれよ」って半次郎にこれでもかと伝えることが、母が家族があるんだから堅気にならなくてどうする!って、自分自身の思いもたくさん重ねて言っているようだった。忠太郎が半次郎の母おむらに手を添えてもらい字を書くところ、おむらを見る目が母親への憧れと恋しさでいっぱいで。で、自分がやったということをわざわざ示してこの人たちには害が及ばないようにしていく、その気持ちに半次郎もコタさん妹も、何も言わないけどその有難さを申し訳ないような表情で受け止めてて、こうして恩を受け恩を忘れずその人に感謝しながら生きていくんだなと。その中心に母の愛に飢えてる忠太郎がいるんだけど、もしかしたらここまで生きていく過程で素晴らしい人に出会ったのかもしれないけど、生まれも育ちも関係なくこうして人に情をかけられる、そういう心を持った忠太郎の素晴らしさがよくわかる。

次に、道端で三味線を弾いてその日を暮らすおばあさん。玉さまのお弟子さんの玉朗さんが演じていたのだけど、お若いのにその年代の、そうして生きてきた過去のある女性をきっちり演じていて、三味線も弾いていて凄い。客席にとどく台詞のみでなく、聞こえないくらいの何気ないお礼の言葉も聞こえてきて、舞台上でその方を生きているんだなと思った。

夜鷹おとらとのやりとり。おとらの歌女之丞さんて、刺青奇偶の時もそうだったけど、そこに居ることの安心感と言うか、すごくきっちりその役でそこに居る、という感じがして、今回もいいなぁと思った。人としてきちんと扱ってくれる忠太郎への感謝の言葉、何度も言う「忘れないよ」という言葉がすごく印象に残ってる。忠太郎がおたかさんにお金を渡したあとの何もないその手が、母に触れたかのような名残惜しそうな、まるで噛み締めているような手だった。玉さまの指導かもしれないけど、そういうわかりやすいところだけでない、細部にまで気持ちをにじませることがより母への思いが感じられるんだろうと思う。

母との対面。忠太郎が実子である、ということは最初の方から気付いているのだけど、娘お登世のこと、水熊という店のこと、守らなければいけないという気持ちが頑なに忠太郎を拒否することにつながってしまうけど、忠太郎が母を案じてずっと百両を抱えて生きてきたこと、忠太郎の思いを聞いていく中で、おはまさんの素直な思いが顔を出すところ・・・忠太郎が自分を見ていないときに、身を乗り出して思いがあふれ出しそうになるところ、最後に、「ね、忠太郎さん・・・」という言葉のあと。忠太郎が話し出した、もしかしたらそれ以上聴きたくないから遮ったとも思えるその時、本当はどんな気持ちを続けようとしてたのか。最後に思い切って出そうとした、忠太郎への優しい言葉だったんじゃないか、と思う。そういう本心が思わず出てきてしまうところが、本当のおはまさんだと思うし、本当は出したくて仕方なかったんじゃないか。玉さまの男に負けまいとこの店を守ってきたその在り方が線は細くても貫録がありとても格好良い。その抑えに抑えているところと、忠太郎への本心が溢れるところ、そのギャップが観ていても苦しかった。本心を出させてあげたい、そう思うくらい。

「なぜ堅気になって現れてくれなかったのか」ということ。それも、おはまさんが守りたいものを守るために探した、相手に非があると思いたい、精一杯の抵抗の言葉に思えて、それに対して忠太郎が、「待っていてくれる人がいないのにどうして堅気になれよう、何のために」というような言葉が悲しくてむなしくて、半次郎にかけた「堅気になれよ」という言葉の意味がここでもずっしりのしかかる。

娘のお登世がその出来事を察して、出てくる言葉がすべて忠太郎兄さんのことを大事に思うことで、その時まで会ったこともない兄を兄と受け入れ、心配するその気持ちをもつ子に育てたおはまさんの生き方は忠太郎に恥じない生き方だったんじゃないかなと思う。裕福なうちで可愛がられてきた子供が皆ああいう風に育つわけじゃないだろうし。わがまま勝手に育ったっておかしくない。だけど、あんなに心の広い、優しい子に育ったんだから、そうしておはまさんは生きてきたんだな、と。

忠太郎が出て行くときに、玉雪さんが出てらっしゃるんだけど、役でこんなに印象かわるんだなと思って。後見で出てらっしゃる時よりもだいぶお若い印象の役だった。

お登世と話す中で、自分の正直な気持ち「かわいいと思えなかった」ということを言えることも凄いと思ったけど、でもその思い一つでなくていろんな思いがあってのことだったんだと思う。じゃなければ、身を乗り出したりしないよ・・・。

忠太郎を探すおはまさんとお登世。このときに初めておはまさんは忠太郎のことを「忠太郎さん」という他人行儀な呼び方でなく「忠太郎ー!」って呼んでいる。忠太郎を受け入れることを決めたあらわれでもあるんだろうな。お登世が「この寂しいところに忠太郎兄さんがいるような気がする」のように言っていたそのセリフ一つにも、それまでかかわりを持ってこなくても、何かを感じ取っている兄弟、もしかしたらお登世が愛情にあふれた人だからそのように感じ取ったのかもしれないけど、そういったことがにじみ出てた。

二人の前に出てやらない、と決めて、瞼をぴったりと閉じるとそこに母が浮かぶからそれでいいんだ、と自分に言い聞かせるようにしていた忠太郎だけど、母を追うその目が恋しくて仕方ない、追いたくて仕方ない、そう思えた。ここでお話は終わってしまうけど、三人が再び会えることはないのかなって、話の続きはないのに、それを願わずにはいられなかった。

玉さま出演だから見に来てはいるけれど、中車さんはじめ出演者の人達すべてが心で演じられているようで本当に響く芝居だった。忠太郎が尋ねるそれぞれの場面が、どれも単なる話の伏線に終わらずそれだけで心に残るひとつのエピソードになっていて、どの役者さんにも胸打たれた。忠太郎を見ていると涙が止まらない、おはまさんを見ていると苦しさが伝わってくる、他の人達にも温かなものをそれぞれ感じて、本当に観に行って良かった。

楊貴妃

 最初は3階から観たのだけど、楊貴妃が出てくる前からその素晴らしさが始まってる!!筝の音色・・・よく耳にする音階、それに初めて聞く低い音の音色、その重なりが本当に素敵。幕の色が始めは薄い水色の照明が当たっていて、水の底みたい。そこから方士の中車さんが出てくる。だんだん真ん中の幕が開いていって最後の幕の後ろには楊貴妃。白い鳥かごのような天蓋付きベッドの小さいもののようなものがあってその装飾もキラキラしてる。DVDではこのセットはなかったけど、楊貴妃のとじこめられているような、でもキラキラしていて、その中で自由にしているようなそんな感じもして。そのベッドのようなものに暖簾・・・ていうと全然違うけど(笑)細ーい何枚もの布の間から楊貴妃が見えていて、端から四番目くらいの布を横に引き上げて出てくる楊貴妃。真ん中じゃなくって端っこなの!だから美しい楊貴妃がさらに美しく出てくるの!!真ん中だったら「いらっしゃい」になっちゃうからね。でその楊貴妃の頭につけている飾りが、ポスターで見るよりももっともっとキラキラで、あまりにもキラキラで素敵すぎてそれだけで本当にため息が出る。うっとりするってこのことか!っていう。ため息レベルじゃなくて、「うおーーー!!」って心のなかで言うくらい。会場中が引き込まれるのがすごくよくわかった。で、楊貴妃が出てくると照明が水色から暖かいピンクのような色に変わる。それがまた素敵で。最初にこの楊貴妃を観たときに理屈どうこうでなくて観た瞬間から心臓がどきどきしっぱなしで高揚しすぎで終わるまでずっとそうで、どうなることかと思った。それくらい衝撃だった。

方士の中車さんの靴は、茶色っぽいキラキラした布でできてるもので、それと同じく楊貴妃も白いキラキラした布地で、足の甲辺りにふさふさがついてる。楊貴妃様も本当に綺麗でポスターも綺麗だけど実物はもっともっと。舞台の奥の方から歩いてくる楊貴妃、ゆっくり、でもまっすぐではなく足を交差ではないんだけど、それに近いような独特の歩き方。腰をひくーく落としていってその姿勢で体をひねるように踊る姿、手の柔らかな動き、方士が持ってくる玉のついた紐のようなもの・・・それを渡しながら操るのも、二枚の扇を持って大きくふんわりと流れを作るような動き、それも素敵・・・扇を使うとき、たまにきめで、キっと一点を見つめるポーズがあるんだけどその視線の先に居たかったなぁ。おお!ってのけぞってしまうんだけどそれがたまらない。すべてが柔らかく、ではなく緩急がついていて、魅せられる。花道でもそういう風にかなり踊っていただけるんだよなぁ。方士が前に出てくるとそれが終わりの合図。あぁ終わっちゃう、方士出て来ないで!って思っちゃう。

踊り、動き、優雅さ、でも優雅なだけじゃなくてあの楊貴妃の独特で幻想的なあり方そのものと音楽で、日本ではない異国、この世とも言えないあの雰囲気になるんだろうな。日本の舞踊ともまた全然違う、あの独特の夢の世界は、この先もどうかまた観られたらいいなと思う。