やっぱりLiveが好き

目の前の空間を味わうのが好きな人の記録🍀

「幽玄」博多座 9/13,14

5月のオーチャードホールの時は、これは一体何を表してるんだろう…って何かに当てはめようとして見ていたから、正直あまりよくわからない、ピンと来ないまま終わってしまった…。 それから四ヶ月、今度はあの博多座!行くだけで嬉しいあの博多座で幽玄が見れるんだから期待して行きましたよ.・・・期待は裏切られなかった!!!

羽衣

鼓童のメンバーが袴姿で静かに摺り足?で登場。この厳かな雰囲気がなんとも言えず良い… 横一列に太鼓の前に座ったメンバーが、太鼓を静かに叩いていって、左端から右端へ、波が伝わるように音を出していったり、すごくシンプルで抑制された音なのにバリエーションがいくつもある。この音の世界観すごく良いなぁ。で、後方のその列が一斉に前に移動すると、「うぉー!来るー!!目の前にまー君が!充さんが!!」って本編とは別の興奮状態(笑)来るぞーってわかってる時って異常にどきどきする・・・(笑)

次に白龍、そして黒いお着物に袴姿の花柳の人達。東京公演ではこの方達が何を表しているのか、ってすごく堅く考えてた。だけど!そうじゃなかった。この人達がいかに自由に変幻自在に表しているかが博多で初めて分かった!何の役、とかではなく、この方達が表現そのものだったってわかったら、今まで難しく観てたことが嘘みたいにするするわかれたことが、楽しく観れるまでになったことに大きく繋がったと思う。白龍や花柳の人達の決して大きく派手ではない、歩く、気づく、といった動きをよく見ながら鼓童の方が太鼓の音を出す、その神経を使う繊細な動きの大変さを思うと気が遠くなりそう・・・それぐらい、その動きを見ていないと音が出せないし、その細かさがとんでもなかった。白龍が手にした羽衣を、花柳の人達が次々に覗き込んでは去っていくところ、何かの擬人化、というか、とにかく表現するものの幅が広い。

そして天人玉さま登場!!!天人様の神神しさたるや!!天人様の神々しさを表すようなキラキラ光輝くような音、一瞬にしてこの世のものではない世界になるのだから凄い・・・。天人が天へと帰っていくところ、ひらひらと上へ登っていくようなその感じも扇を使って黒の花柳の方達が表していてなるほどな、と。

京丹後での「羽衣」を挟んだからか、内容がよりわかることができた気がする。それにしても、羽衣の袖を頭にのせて、それを取る、という動作が難しいんだろうな。シャッと取る時が鮮やか。素早い。そうでないと取ることができないんだろうなぁと想像・・・。

道成寺

 鼓童のメンバーが横に並んでいて太鼓がすぐ始まるところから。いつもの鼓童に近い曲調もあり。六人での演奏になった時、真弥さんはいつもの高い音の太鼓、坂本さんも同じ太鼓。充さんと中込さんで両面の太鼓・・・など、自分が今まで見た、この人はこういう太鼓、っていうイメージとは別のものをたたいていたのでそこからして新鮮。両面の太鼓は、早く打つ時凄いな・・・手がいくつもあるように見える(笑)高い音の太鼓を打つ真弥さん坂本さんもカッコいい。そして最後に船橋さんの大きい太鼓!来るぞ来るぞ感と、そこに船橋さん登場っていうのが最高。何気にこの場面好き。

そこから、筝と笛と太鼓のゆったりした曲調に。ろうそくの灯りを持った花柳の方達が客席側から登場されて、舞台上に灯りの輪を作っていく。そのバックも夜空の星、というより宇宙を表すような光と闇を表していて、筝、笛、スローな太鼓が懐かしさや遠くへ思いをはせるようなそんなスケールの大きさが感じられて・・・もしかしたら全然この意図はないかもしれないんだけど、時を経ても、思い、恨みを持ち続けてきた花子の哀しさへも思いをはせる場面にも思える。

そして鐘が頭上に現れて花子登場。周りを鼓童が囲み、「作りし罪も消えぬべし」この言葉を花子に謡っている時、花子が一人途方もない孤独の中に居て、謡っている人たちがまるで温度も何もない、冷たい何かが花子のことを遠巻きに見つめている、そんな感じがする。あんなに人がいても花子はただ一人強烈な孤独の中に居て閉じ込められているような。鐘を見つめる花子が、娘道成寺の時の「キッ!」と睨むあの迫力ある感じではなく、強烈な孤独感と寂しさでいっぱいで、救われて欲しい気持ちになる。

乱拍子では、歌舞伎の時よりもはるかにその時間が長く、ほとんど足を動かしてない拍の時もあるのが驚き。東京公演では、鞨鼓(かっこ)を付けた花子のリズミカルな動きが本当に大好きで食い入るように見てたけど、博多に来てその陽なリズミカルな感じが薄まって、花子がずっと寂しい中踊っている感じがした。だから余計に、道成寺全編にわたって孤独と寂しさを感じたのかも。鞨鼓の後の袂を持った踊りも好きだったなぁ。袂をもっているあのふわっとした感じがたまらん・・・(笑)かと思いきや顔横の髪をご自分でシュッと出して正体を現しだす花子。赤いバチのようなものをもってさっきまで一緒に太鼓たたいてたり踊っていた人達を次々になぎ倒す!不思議だけど面白い(笑)鐘の中に入ってしまったら次に出てくるのは正体を現した大蛇。これ、何人かで動かしてるのかなと思ってたけど、一人だな。素早くあっちへシュッて動けないし、一人でできる動きだった。それにしてもとぐろを巻いて縦に立ち上がる時も、一歩間違えたら全部落ちてきてしまいそう。尻尾を巻いたり解いたりするの大変だな。そして花柳さん達が楽器を演奏しながら退治して終了。

石橋

道成寺からすぐ石橋だから始まりのことをあまり覚えていないけど、太鼓と謡だったはず。で、お獅子だお獅子!東京では席の位置関係であまり見られなかったお獅子!!鼓童のお獅子、花柳のお獅子、と来て玉さまのお獅子!!!かっこいい!!!!!なんて凛々しいのだ・・・。女形は勿論素敵だけど、獅子でこんなにカッコいいとは!!!なんでもお似合いになる・・・というかご自身のお顔を知り尽くしていらっしゃるんですね。凄い・・・。そんな玉さまお獅子が台の上から他の獅子にぶんぶん頭を振って合図をしてますよ・・・そこからの毛振り。頭を止める位置、斜め右上をキッと必ず見る瞬間が一回転ごとにあって、それがとんでもなくかっこいい。二日目はそれが確認できず。でも確かにそうだった。玉さまの毛振り、なんだか夢みたいな。

そしてカーテンコール。一日目は両サイドの人達はスタオベされてたけどどうにも自分の周りの方達は立ち上がらなかったので、そのまま座って。でも、拍手は熱く送った!!二日目はスタオベはなかったかな。でも両日とも熱い熱い拍手で、鼓童の方達、特に充さん船橋さんへの拍手が大きい。花柳の方達へも熱い大きい拍手があって、最後に玉さま!少し微笑んでいらっしゃるのがよくわかって嬉しかった。

 

幽玄は古典の要素がありながらより自由に作られているから、はっきりとしたストーリなどのわかりやすいものではないけれど、でも、難しく考えてみる必要は全然ないし、むしろそれが妨げにもなるし、そういうことを外して観てみたときのこの自由な表現の仕方が本当に面白かった。作ることが難しかったと思うし、観客に楽しんでもらえるだろうか、という不安なお気持ちもなくはなかったんじゃないかなって思う。この自由さと面白さがどうか多くの人に伝わったらいいなぁ、と思った博多座でした。