やっぱりLiveが好き

目の前の空間を味わうのが好きな人の記録🍀

「立正大学 トークイベント」8/8

 2017前半玉さまツアーのラスト、終わってしまった・・・あんなに長くてまだまだあると思ってたのに、始まったらどんどん過ぎちゃうんだなぁ。とりあえずまとめ。発言内容が正しいかどうかは自信ない上に自分で繋げてしまっているところあり。なのであくまでも自分メモ。間違ってたら後で修正。

 

お着物に袴姿で玉さまご登場。スクリーンが下りてその後ろに隠れてしまった仏像に一礼されていた。

  • ご実家の楡原家と守田家の菩提寺が同じであることがご縁、ということからお話し始まる。玉三郎となったあと守田家の法事があり、実のお母様が「失礼に当たるかもしれないので同じお寺だということは伏せて おこう」と、知らん顔して行ったが、日本に二つの家しかない「楡原」という名字の珍しさからあっけなく知られる(笑)お養母様は喜んでくださったそう。
  • 実父と養父は同い年で同じく酒飲みで。実母「キミエ」さん、三代目玉三郎=勘彌さんのお姉さんは本名「キミ」ご縁を感じる、と。キミさんは女優さんだけど阿古屋、道成寺もされたが23歳の若さで亡くなっている。最近までご存命だったキミさんの妹さん曰く、キミさんは「今度生まれてくるときは男に生まれてくる」と。なので、キミさんの生まれ変わりだといわれたが、それも不思議なご縁。
  • ご住職曰く、玉さまの実父が顔が広い方で、堀切の妙源寺幼稚園設立に関わられていた、と。妙源寺へよく行っていたので、お寺に行く時に食事することろがあれば、と鰻屋さんも少しの年数されてたと。←玉さまの鰻好きはここから? 
  • 学校は苦手だったけど 、お話を聞きたい先生はたくさんいた。(舞台がありので)たくさん休めるからという理由でプロテスタント系の学校へ。決まりとしてでなく、人間としてのお付き合い、関わり方をしてくれてとても理解があった。先生の方から「あと〇日休めるよ・疲れてたら休んでいいよ」等、教えてくれた。
  • 守田家に入ってからは三食小言(勘彌さんの)付き。他の時間も、寝る前まで小言付き。言われないのは舞台上とお風呂の時くらい。
  • 玉三郎を襲名したのが勘彌さんが58歳の時。55歳の時には体調がよくなかったので、親子の関係を築きながらというより、早く伝えなければ、との思いから だったのだと思う。
  • 机に向かってする勉強がとにかく苦手。40歳まで歌舞伎の勉強をしてこなかったが、自分で本を開くことが苦手だから、すでに読んだ誰かに聞く、とにかく人に聞いた。
  • 信心深くないといいつつ一番仏壇に手を合わせていたのも勘彌さん。新しいことへも反対の立場を取っていたけど、心の中では喜んでいてくれたのではないか。
  • (ご住職)玉さまは毎月のようにお参りに来ていた時期がある。陰ながら見ていて、若いのに、と感心していた。
  • こう見えても緊張や。責任のある大きな仕事任された時など、小さい頃広間でただただ好きで踊っていた頃に戻りたいと思うときもある。誰にでもそういう気持ちはある んじゃないか。
  • 父から「他人様から呼ばれるような役者でなければいけない。親に役をもらっているようではだめ」 と。自分がどこに立っているかということを常に確かめていた。客観視できなければいけない。演出家は昔はいなくとも、そのように外から見てもらうことはしていたのではないか。
  • 役がつくと、その時のその役の先端の人、口もきけないような大先輩のもとに教えてもらいに行くように手配がされていて、そうして教わっていた。
  • 「来なきゃよかった」と思われるような舞台にしてはいけない。お客様の時間、人生を使ってきてくださっているのだから。
  • 歌舞伎以外のことは全体の一割以下。他のことは大きく取り上げられるから、割合が多いように感じられるだけ。
  • 観世宗家の人とのお話しした中で、型は教えられるけど道は教えられる時代ではなくなった。風姿花伝は一子相伝だが、見せてもらえた。見たところで読めるかはまた別だけ ど、見てもらわないと伝わって行かない。 役、歌舞伎のことを伝えるということについて。聞いてくれたら何も隠すことなく全部教えている。
  • LINE(のようなSNS)で流しても、ただ薄く広がっていくだけ。液晶の中に何かがあるのではない。とはいえ、便利なもののお陰でなりたっていることもある。使ってはいけないのでなく、使いよう。

 

幼少期の頃から学生時代、お若い頃を経て今まで、どのように過ごされてきたのか・・・厳しかったことも今から振り返るとその理由がわかる、そういう昔を振り返る懐かしい、温かい感覚もあって。昔から知るご住職が対談のお相手だったことも大きかったと思う。

「命」についても、「単に命がひとつのもの、というより、命、魂があって意識がある、その命が終わっても魂はあり続けているということ。災害などで亡くなられた命でも、遺されたもの者にとっては残念と思うかもしれないけど、魂は自由になってもう次に行っている」・・・常にそういうところからものを見て考えておられるんだなぁと。頭では、そうだと理解していても、どうしても感情にべったりの所でものを見てしまうからなかなか客観的な視点で見ることが難しい。冷たいのではなく、正しいところからすべてを見る、見ようとされていることが自分をいかに制御して、あるべきところに在ろうとされているかがうかがえた気がする。

役者として、人として、どのように在るか、どのように舞台の上に立つか、その思いと姿勢が、聞いているだけの私達にも物凄く影響を与えていると思う。この三か月あまり、玉さまのお話し等聞いてきて、おこがましいかもしれないけど、自然と自分の中に玉さまのそういった思いや姿勢が少しずつ浸透してきたような気がする。その人の在り方が自然と周りの人の在り方をも変える・・・応えたいし変わりたいと思わせる、そんな人はなかなかいないと思う。

 

で、対談中の玉さまは真面目にお話しされてるときは真面目に、笑った時にちょっと顔戻さなくっちゃ、みたいに口もとをきゅっと閉じて正そうとするのがかわいい(笑)前方席玉さまの視線範囲内だったから、目が合いそうになると目をそらしてしまった・・・もったいない!でも恥ずかしい(笑)いつになったら玉さまと目を合わせられるんだろうなぁ。合わせたいなあ。

表彰状を受け取られた玉さまが、客席にもそれをよく見えるように掲げてくださったときのしぐさがやはりこちらのことを考えていてくださるんだなぁと思って。よく考えてみたらそういう機会に立ち会えることは滅多にないから、それも貴重だったなぁ。トークイベント最後の今回は、玉さまの死生観にまでおよぶ締めくくりにふさわしい内容で物凄く充実してた。しかも無料って!信じられない・・・。立正大学に玉さまにご住職、ありがとうございました。