やってきてしまった千穐楽。
口上では、千穐楽を迎えられたことについて触れられていました。
ご来場くださる皆様があって、こうして公演が出来る、ということも仰られていて、
「賑々しくお集まりくださいまして」のように仰った時、特に「賑々しく」に
とても力が込められているように感じました。
こんな風にお迎えいただけるのが本当に有難いです。
鷺娘を長年踊られてきて、踊り納めてから13年。月日が経つのはあっという間だったということ。
苦しいこともあったけれど、過ぎてみれば・・・(文末忘れてしまった💦)と、そのようなことを仰ってました。
この日は、口上の最後に「お客様がご来場くださることで初めて成り立つ」ということと、
今後も歌舞伎をよろしくお願いいたします(←玉さまは常に仰っていることですが)、ということがとても印象に残りましたし、玉さまのお気持ちを強く感じられたところだったように思います。
この日に限らず、舞台ができること、お客様がきてくださったこと、今まで舞台で演じてきたこと、これたことへの喜びと感謝に溢れた口上だったことを物凄く感じました。
言葉ひとつにしても、行間からも、そのお気持ちがにじみ出ていて、こんなふうにお話しくださること、伝えてくださることに、有り難いきもちでいっぱいでした。
バックステージツアーの件!!テンションが高くなるこのお話(笑)
映像に映る前の転換のときにお話されるため、この時立ち上がってらっしゃるんですね。
で、ほかの日は忘れてしまったんですが、恐らく口上の始まりから置いている扇子を
右手にお持ちになっているんです。
昨日は「世界各地で」バックステージツアーを体験されたとお話されていましたが、
今日は「アメリカ・ロンドン・パリ」と具体的な国、都市を挙げてくださった!
具体的に聞けたということが嬉しかったというわけなんですが(笑)
で、専門家ということを隠して、そういったツアーに参加されたことは新鮮なお気持ちだったということ、
また、衣装や鬘、場所を<手を触れないでください><ここからは入らないでください>という風に表現されるとき、手にお持ちの扇子でさしながら(そこそこー、みたいに扇子で指して止める風)だったので、臨場感あふれる説明になっていて、そういうところも楽しかったし、
玉さまは、触れられないもの(大切にされるもの)を身に着けているのだ、ということを改めて思うこともお話されてました。
皆様にも鬘や衣装、手にしてご覧になっていただきたいのですが、難しいので
(この後に映像で紹介させていただきます)
このことを聞いて、鬘や衣装等、もちろん大切なものだということは前提だと思うんですけど(バックステージツアーでの言葉のように)
そういうものだからこそ、「触れることができたらいいのに、手にして感じていただきたい」と思ってらっしゃることが凄いと思ったんです。
大切なものだから、貴重なものだから、触れさせない、触れていい人を選ぶ、という方へ行かない。
例えば、京丹後で本当に良いものを皆に使っていただきたい、触れていただきたいから時間も労力もかけて、ご自身でも生地を作られたりしたんだろうな、と思うし、
囲ってしまうような狭い意識ではない、そういう間口の広い考え方で、
他のいろんなもの、分野へもその精神で関わられている、ということに改めて気づかされました。
<鷺娘>
玉さまの鷺の精。綿帽子の下から見えるお顔から、目に見えるところだけなくて、
感じられる「美しさ」が凄すぎる。
綿帽子から見えるお顔だけでなくて、もちろん取ったあとから最後まで。
「美しい」=「綺麗なもの」なんていう言葉では全くない、収まりきらない、恐らくいろんな心、在り方、そういったものがあらわれたすべてを、視覚だけでない感覚で感じているのではないかな、と。
でも目に見えない心のそれらが目に見えるものにもあらわれての、あのとてつもなく美しい鷺の精なんだと思う。
絵画の中の(現実としてはありえないような)人が、そのまま出てきた、という感じ。
しんとした静けさ、晴れないこころ、抱えたなにか。綿帽子を取った後、怨みの気持ち
が前面に出る時、単に「怨み」だけでなくて、厚い背景みたいなものがあって、そこを通して出た表れに魅了されているんだなぁと思う。
白無垢の姿から町娘の姿になる時、引抜の準備の様子も見たいし玉さまもどのようにされているのか両方知りたくてあっちこっち目が忙しいんですが(笑)さささっとされてるけどコンマ何秒の繊細さ、玉さまもご自身で外すところや、後見のお弟子さんがしやすい位置に移動されたり、それを客席には何でもないかのように見せてくださっているのが毎回凄いなぁと、じっと見てしまう。気づくと息を止めてしまっている(笑)
引き抜かれたときの、照明が変わり、場内の空気がぱぁぁっと変わる晴れやかさがたまらなく好き。
娘の指先のしなやかさとか視線の先とか、観ているとふわーっと浮かれる気持ちになって記憶が飛んでいく(笑)
そして映像へ。
千穐楽の前に「傳左衛門さんの手の動く可動範囲が広くてスナップが効いてて凄い!早すぎて残像」と、友達から聞いていて
映像の中ですけど、あまり見れていなかった!!と思って、半ばで演奏だけになるところを特に注目して観てたんですが、まーーー凄い!!
堤から手が近いというわけでもなく、遠いのに、余計な動きがなく、
手首が物凄く柔らかいからか、聞いてた通りに可動範囲が広すぎる!!
手の動きに重さがなくて軽そうに見えるのに芯をとらえてる、みたいな。
大きいスクリーンだから、あと舞台で拝見している時は正面から観ているので斜めから写した映像は余計わかりやすかったです。
海老反りの最高(反り)点から玉さまの鷺の精がセリから上がって来られて、
その時はもちろん最高点ではなくてその途中の角度で決めて登場されるんだけど、
そのお姿が物凄く美しい。
どれだけ反れるか、なんてオリンピックみたいな数値で測れるようなものじゃない、
美しさってそういうことじゃないってことが、今回この瞬間にハッキリとわかった。
千穐楽のこの日、くるくる回る時や袖のさばきのキレが凄く際立っていて、
これが13年前に踊り納めたものなのが信じられないくらいだった。
この日も降りしきる雪の量が多くて、それがより異空間を作り上げていたと思う。
前にも書いたけれど、倒れこむ前に佇んで空を見上げる鷺の精の表情と、その姿に吸引されるように見入り、倒れた後の息絶えるまでの羽がそっくり返ってしまうくらいの苦しさ、本当に「鷺の精」そのものにしか見えなかった!!!
<カーテンコール>
一度目の幕が上がると、息絶えた鷺娘のままのお姿。今から思うと、一度目が本編からの流れをブツっと切らない、余韻に浸れるようになっていたんだなぁ、と思う。
二度目の幕が上がると、玉さまが座った状態で待っていて下さった。その場で、上手、下手、上方、全体を見てお辞儀してくださった。
三度目の幕が上がると、立った状態で居て下さり、上手の端、花道へ向かい、外花道のお客様へ、その後は上方のお客様、後方、花道内側をくまなく見てくださりお辞儀をされて舞台中央へ。
四度目の幕が上がると、舞台上には誰もおらず、下手舞台袖から玉さまが入ってきてくださり、花道外、上、後ろから全体、花道内、その後に上手端、最後に中央へ。
幕が下がる前、お辞儀をされるとき、明らか「にこっ」という笑顔になられて、伝わってる!と思うとそのお顔を見れたことが凄く嬉しかった!!!
この時に、花道側を見た時に少しスタンディングオベーションされている方がちらっと見えて、あぁ私も立ちたい!!と思い(というかその前から思っていた)
下手側に行かれた時にそちらにも立ってらっしゃる方が少し見えたので、「あああもう(我慢してるのは)無理だ、立つ!!」と思って立ちました!なんで我慢してたんだろう(笑)思ったら立っててよかったじゃないか、周りを過剰に伺わなくて良し!と今なら思う💦
五度目の時には総スタオベ。この状態で玉さまをお迎えできるのは嬉しかった!!
幕が上がると玉さまが立ってらして、上手、花道、舞台中央へ。驚いてらっしゃるようにも見えた気がする。
座っている時からあつい拍手だったけれど、立つことが出来てからはもっと全身を使ってのびのび拍手出来る気がして、思い切り伝えられるのがきもちよかった!!
解放された私達(笑)は玉さまから感じたもの、受け取ったものを伝えたくてお返ししたくてしょうがなくて、そのまま拍手は鳴りやまず、六度目の幕が上がった!!!
上手、下手(花道)、舞台中央から観客のことをすっごくよく見てくださってた。
舞台中央にいらして、両手の指を少し組まれ「ありがとうございます」のように何か仰ってる口の形をされてました。「ありがとうございます」という言葉ではない気もしたんだけど(何だったか知りたい!)感極まるというか、胸いっぱいのご様子でした。
私達こそ、ずっと前に踊り納めたものを、こんなに隅々まで趣向をこらした素晴らしい作品として観せていただけた感激は、どれだけ表現しても表しきれないくらいで、それでも何とか表す機会を下さって、本当に嬉しかったです。
幕を下ろすときに、玉さまに近づく高さになるとゆっくり下ろしてくださっていたことも、そういうものなのかもしれないけど、凄く嬉しい細やかな気遣いだなと思って感動しました!
最後、鳥のような形のサーッと広げた腕のあと、両手をついてお辞儀をされ、幕が下りて終了しました。
ひさびさの歌舞伎座
絵看板には、鷺娘!!
終演後、大量の雪❄️