やっぱりLiveが好き

目の前の空間を味わうのが好きな人の記録🍀

「ART歌舞伎 」

なかなか舞台上演中が難しい中、
中村壱太郎さんが、配信として届ける舞台を制作したとのこと。

なんとなく目にする感想、壱太郎さんが発信する熱量から、これは何かある、と思ってはいたのと、
普段はあまり人に何かすすめたりしないお友達がおすすめしてたので、勘を信じて購入してみました。


四神降臨

靖國神社能舞台が今回の上演場所。
壱太郎さん、尾上右近さん、舞踊家の花柳源九郎さん、藤間涼太郎さんの四人。
その後ろには和楽器演奏家の方たち。
能舞台の後ろの鏡板(松の絵が描かれてる背景)だと思うんだけど、そちらも照明によりこの世の感じがしない良い雰囲気。


「DOODLE」
今回のART歌舞伎のテーマ曲といってもいいと思うんだけど、和楽器の心地いい音色、古風さと現代的な感じが合わさって
早いテンポにのって踊る四人の皆さんが良い!!!この幕の始まりと終わりはこの曲。

その後お一人ずつの踊り
壱太郎さんがお琴の音楽にのって踊る「青龍」
花柳源九郎さんと津軽三味線「朱雀」
藤間涼太郎さんと笛で「白虎」
右近さんと太鼓で「玄武」
(多分あってると思う💦)

この時からイヤホンで聴こえるくらいの雨が降り始めて、右近さんの時には一瞬だけ、下から強い風がぶわっと吹いてた。
そのタイミングというのも、右近さんが正面を向いて四股のように足も手も広げている時。
もう演出なんじゃないかっていう神がかった瞬間!!


踊り切る身体、体力というのはとてつもないことと
この四神降臨だけでもその凄さを十分に感じるほどだったし、
演奏も素晴らしい!!!どのパートも、全く古い感じがせず、物語性もあって本当に斬新。なのに心地いい。

使っているお箏が知っているものだけでなく
「二十五絃箏」という、演奏するだけでも大変そうな幅の太い箏!!
まるでギターのように、自由自在に筝で伴奏を奏でてて、お箏ってこんな曲を生み出せるんだ!っていうのが本当に驚いた!!

源九郎さんの踊りを観ている時には、自在に身体を使って表現されているのを見て、
踊ることの喜びや面白さを感覚的に受け取れるほど。


五穀豊穣

津軽三味線の浅野祥さんが伴奏なしにお一人で歌う民謡「豊年こいこい節」と、その次に浅野さんと太鼓の山部さんの曲。

『民謡ってこういうものだった、それを歌い上げるってこんなに凄いことなんだ』って思うくらい高い音域まであって、地の願いを天にまっすぐ届けるような浅野さんの歌。豊作をねがう風景、見たことがないのに懐かしいというか奥が共鳴する感覚。

太鼓は鼓童の太鼓を聴いていたけど、山部さんの太鼓というのはまた感覚的に違って、初めて耳にする感じ。この素晴らしさをどう書いていいのかわからない💦


祈望祭事

舞踊家のお二人が白い、まさに儀式といった衣装で
、物凄く現代的な動きを入れた躍りを踊るのが面白い。

壱太郎さんと右近さんは全身を藁でつつんだようなものを着て、一人後ろに下がったと思ったら頭に被っている藁を舞踊家の方がじゃんじゃん引っこ抜く。二人ともそれがおわると四人で踊り出す。
原始的な動きだったりでとにかく動く。どこまでいくんだろうというくらい。
意味が伝わるものというより、全身でひたすらに表すパワフルさが、神への儀式という感じ。


花のこゝろ

頭=花という、花だけでできたものを被り、短冊のようなものを体全体にまとった2人が踊る。
優しくてあたたかい、包み込むような感覚の曲と踊り。

琵琶の友吉さんの演奏と語りで話は進む。

〈壱太郎さん演ずる、夫を戦で、子供を病気で失くし遊郭に身を沈めた女。
右近さん演ずる、生きる道は戦だと思っていたが友に裏切られ落武者となった男。

その二人が出会い、共に生きていたが、戦が終わることを信じて戦場へ男は戻る。
男が残した琵琶とともに帰りを待つものの、女に聞こえたのは海での戦模様と、そこで果てた男の戦への虚しさの声。〉


壱太郎さん演ずる女が夫と子供を失くしたあと、ボロボロになった傘で身を隠しながら、恐れと怯えがいっぱい詰まった表情で辺りを覗き見る。
その時の壱太郎さんが、鳥肌が立つくらい女の感情が手に取るようにわかる。
この一瞬に女の全てがあって、見入ってしまう瞬間で、私が一番好きな壱太郎さんの表情。

深傷を負った右近さん演ずる男が、女のいる水辺へやってくる。女に気づいた男は、見られまいと傘で隠す女の手を払う。その男は女の失くした夫、または子供に似ていて、女は男の傷を癒そうとする。
男は最初は拒むものの、その優しさに打たれ女に心を開く。



慰め合いという意味の、心に傷を負った者同士、というより、壱太郎さんの女と右近さんの男は、その傷にさえ心が共鳴した者同士、という感じがする。


戦場へ発つ男の弾く琵琶、待つものを失くした女の弾く琵琶。鋭い感情の現れでもあるこの琵琶が強烈。

友吉さん演奏の琵琶、語る心情と背景が、この物語に流れを与え、骨の部分といってもいいと思う。



「英霊」といえども、男から伝えられるのは、戦には虚しさしかないということ。
その男が女の肩に手を置くとき、そこに温もりや優しさを感じる。

生と死、女と男の間にいるのは花の二人。
女と男の魂でもあるような、二人を繋ぐなにかでもあるような、抗えないなにかであり、導くなにかでもあるような花。

花の二人が、小指を繋ぐ。そこに感じられる希望。
分かれても男と女の視線の先に、お互いが見えている。



右近さんの「男」は、とにかく目が離せない。乱れた髪の間からわずかに見える目に、本当に深い哀しみと男が背負っている何かが現れてる。

すべてを観て、もう一度最初から観てみると、花の二人へ感じることが変わる。象徴的な二人が意味する「何か」が、もっともっと深いものだったことがわかる。


靖國神社という場所で行われたこの舞台そのものが奉納であり、祈りであり、特に最後の「花のこゝろ」は靖國神社でなければいけなかった、と思うし、またこの地だけでなく、すべての人達への鎮魂の祈り、天へ繋ぐものでもあるように感じた。

歌舞伎、舞台、その枠を遥かに越えた、大きな意味を持つものだったと思う。


今回の配信された舞台から、本当に大きな大きな何かをいただいたというか、託されたように思うし、
また舞台を観たときに感じる感覚を今回思い切り味わって、自分が舞台を好きなのはこの感覚だった、というのを思い出させてくれた。


本当に素晴らしく、有難い舞台でした。
本気で創るということ、その熱量がこんな凄い結果をもたらすということ、それが人の心を動かすということ、そういったこともすべて感じさせてくれた。


今回の大きなチャレンジが、壱太郎さんや本気のいろんな方々の今後を後押しするものであり、次に繋がることは間違いないと思うし、また次回を期待しています。